第四幕
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繋がる道 |
その日は、綺麗なくらいに雲がなく、二日月というのに、月明かりは眩しいばかりに地上を照らしていた。 人より優れた目は持つが、夜道を歩くのならばこんな日の方がやりやすい。 内心、ひとりでごちながら、犬夜叉は慣れた仕草でひょいと、身の丈の倍以上ある城壁を飛び越えた。 いつものように姫君の寝所へ向かおうとしたとき、ふと、それまでにない違和感を感じた。 (気配が・・・ない?) 部屋の中はおろか、近辺にすら人の気配はない。 それは、周りの建物に限ったことではない。かごめの部屋の中からすらも、生き物が生きている気配が見えなかったのだ。不審に思い、神経を尖らせて辺りの様子を窺っても誰もいない。・・・・いや。 いた。 とてもよく知っている匂いが庭先に在る。 まさか、と思うよりも早く、体が動いた。何か予感がする。それがいい意味か悪いものか、犬夜叉には分からない。 鼓動が早まる。――どちらにしても、今宵で何かが終わることを感じていた。 少しの恐怖と、多くの期待を抱えたまま、一際大きく跳躍して、ふわりと少女の元へ降り立った。 少女は、いつもの簡素な寝巻きではなく、普段の小うちきに細長を羽織っているだけだった。 犬夜叉に背を向けていたので、少年には直接表情が見えなかったが、何かを堪えて唇のかみ締めている気配だけが伝わった。 「かご」 「ずっと、考えてました」 言葉を遮って口を開いたかごめの声音はどこか、決意を秘めていた。 「あのとき、何故此処へあなたが来たのか。何故あなたが私を気に掛けてくれたのか。――何故、今になって約束を果たそうとするのか」 雰囲気に圧倒される。昼間に見せる、儚げで優雅な巫女姫はどこにもない。同じ人間かと疑わずにはいられないほどに身に纏う空気が違う。犬夜叉はぞくりと身震いした。 恐怖してではない。見た目の弱さと異なる“中”の強さに惹かれてだ。 俯き気味に、後ろ姿しか見せなかった少女はやがてゆっくりと振り返る。闇夜で紫がかった瞳に月光が差す。 ――少女が、月の姫の別称で呼ばれる理由のひとつだ。 「私は、姉様が戻るまで玉を護らねばならない身。――姉さまは死んだ、と言われているけれど、そうでない。玉は“戻っていない”から」 「!?」 そっと、かごめの手が前に突き出され、開く。手の中にあったのは丁度半分に欠けた玉だった。それが、自分の捜し求めていた物だと気付くと犬夜叉は何か言いたげに口をぱくぱくとさせたあと、深く息をついて頭を抑えた。 「・・・どういう経緯でそうなったか、訊くべきか?」 「・・・ええ。と言っても、説明すべきことは殆どないわ。姉様は、野盗たちのおとりになる為に城を出るとき、万が一姉様が野盗に捕まるようなことがあっても、玉そのものを悪用できないように分断したの。片方が悪意ある人間の手にあれば、玉は使えないし、こちらの玉も少なからず影響を受ける。それがないどころか、玉がお互いに清められ続けているということは」 「“陽光の姫君”は、まだ無事だということか」 「・・・・ええ」 ぎゅ、とかごめが玉を握り返すと、清らかな光が辺りを充満した。 半妖の身では辛い筈の清浄な光だが、むしろ心地よさすら感じて犬夜叉は小さく首を傾げた。 「・・・・・・ごめんなさい」 「・・・?」 急の謝罪の言葉に、訝んだ犬夜叉が視線で先を促すと、かごめは申し訳にくそうに口を開いた。 「四魂の玉は、完全な玉にならなければ願いを叶えられないの。散々引っ張った後で悪いけれど、私にあなたの願いを叶えてあげることはできないわ」 だから、ごめんなさい、と。 言われた瞬間はよく意味が理解できなかったが、意味が浸透すると言い様のない怒りが犬夜叉の中にこみ上げた。 「嘗めんじゃねえよ」 地を這うような声になったことを、かごめを怯えさせまいと今まで気遣っていたことを思い出すほどの余裕は、今の犬夜叉にはなかった。びくりと肩を揺らし、一歩後ずさりしたかごめの腕を捕まえると、かごめの眉が痛ましげに歪むのも気にせず握り締めた。 「言った筈だ。俺の最優先はお前であって、お前さえ手に入るなら他のものは惜しいが捨てたっていい。俺は巫女姫としてのかごめではなく、ただの女としてのかごめの言葉を待ってるんだ。・・・なのに、どうして逃げる!」 「犬夜叉・・・」 犬夜叉に掴まれた箇所が熱を訴える。痛みはとうに通りこえていた。 ただ、ずっと動かす“べきでない”と動かせなかった気持ちがごとりと動いてしまった。 「お前の返事、聞きたい。――俺とともに来い、かごめ」 掴まれていた腕が離される。これで、彼が自分を誘うのは最後なのだと、直感で悟った。 (待たせる私も随分だけれど、脅すあなたも十分ひどいわ) とにかく時間が欲しかった。すぐに出る答えではないのだ。けれど・・・・時間を捨てたのは、自分だ。 (『私の』、答え?) そんなの、決まっていた。 このひとについていきたい。 「・・・ひとつ、訊いてもいいかしら?」 「・・・・・・何だ?」 「どうして、初めの日に無理にでも私を連れて行こうとしなかったの?」 「何度も言わせるな。俺が欲しいのは玉ではなくかごめだ。無理に攫って未練ばっか残って。その状態で、お前は俺に心を開くか?」 「・・・・無理ね」 「だとしたら、最善策はこれしかねえよ」 当然、とばかりに言う犬夜叉に、かごめは笑いがこみ上げる。 世間で義賊と囁かれているとはいえ、彼は盗みの集団の頭領だ。甘い考えは身を滅ぼしかねない。 だというのに、捨てないというのだ、情を。 かごめは懐に玉をしまい、もう一度犬夜叉に背を向けた。迷いも、後悔も、どちらを選んでもきっとずっと消えない。 それでも―――。 「昨晩は、来てくれなかったわね」 「!・・・ああ、それは」 「馬鹿みたいなのよ、私。あなたが毎夜来てくれると思っていたから、安心していたの。なのに返事はいつも「嫌」で。いざ、あなたが来なくなると落ち着かなくて・・・・眠れなかった」 思ってもみなかった言葉に、犬夜叉は目を見開く。 「――思い出せなかったの。あなたと再会するまでの、十一年もの夜の明かし方」 少女が何を訴えたいのか気付いたが、犬夜叉は黙っていた。 “それ”を、かごめの口から聞くまでは、この“盗み”は終わらない。 「犬夜叉には謎が多すぎるわ。何であなたが求める相手が私なのかも、玉に願いたいようなことも。あと、外の世界のことも色々知りたい。・・・・だから」 くるりと向き直る。今度こそ、しっかりとした瞳が犬夜叉をとらえた。そこに淀みはない。 「連れて行って下さい。外の世界に。あなたと一緒にいたいし、姉様の行方も知りたい。あなたの願いならば、叶えたいと思うし」 ずっと待ち焦がれていた言葉に、犬夜叉はどうしようもない歓喜を覚えた。 本当はその場で叫びたい程嬉しいくせ、変に真面目な顔を作るともう一度問いかけた。 「俺の傍へ来ることの意味は分かっているのか?」 差し出された手のひらに、少女の細く白い指先が触れる。 「ええ。そこまで無知でいるには、少しばかり行き遅れ近い不束者ですが」 「じゃあ、もう遠慮しない」 「っ・・・・・・・ふ」 唐突に抱きすくめられ、唇におりる感覚に驚き、かごめは近くになった犬夜叉の顔も勅旨できずにほぼ反射的に目を伏せた。無知でないとはいえ、経験としてはほぼ皆無の感触が嬉しく、また恥ずかしい。 顔が離れても照れて、犬夜叉の水干の衣に顔を埋めたままあげようとしないかごめをひょいと抱えると、犬夜叉はちらと城を向く。 そうして暫く、何か言いたげにしていたが、俯いていたかごめは気付かなかった。不思議な浮遊感と、温かい体温を感じながらそっと目を伏せる。 朝になり、“闘牙”の義賊の、異例の『事後の』予告状に家臣一同は慌てふためいたが、奥方や城主にそのようなそぶりもなく、この事実も外へ流れず――時は流れる。 【終】 二年前くらいからずっと暖めていた話なので構成の甘さやいい加減さは目立つが書けて良かった・・・・。もう未練はない(待て) 前 戻 次 |