その





















たん。


町の外れ近くまで来たところで犬夜叉の足が止まる。
もう着いたのかと、かごめが顔を上げるよりも早く、手前の休憩処という看板の掲げられた店先の扉が開き、中からひょいと法衣を纏った青年が出てきて、かごめの姿を見るなり目を丸くさせた。

他より栄えている城下とはいえ、かごめの羽織っているものはすべて明らかに上質のものだ。この場にそぐわないのも無理はないと思ったが、何かを言うより先に法師は道を開け、犬夜叉も当然のように開けられた隙間を縫って店の中へ入った。青年が同じような要領で扉を閉めている様子を、犬夜叉から降ろされながら見つめていると、やがて作業が終了した青年は二人に向き直って笑顔を見せた。
「どうせ今夜も手ぶらだろって思って油断してました。はじめまして、かごめ様」

恐らく少年の部下にあたる人物なのだろうが、初っ端から頭領に対する明け透けとした物言いなのにかごめは目を丸くした。何を言おうが“盗み”の集団である“闘牙”なので、上下関係も厳しいのかと思っていたかごめだが、よくよく考えるとその頭領である犬夜叉の性格が“ああ”だからそれが普通なのかもしれない。と思い直した。
「さりげなく失礼なお言葉ありがとよ。・・・かごめ、こっちは一応、うちの参謀役やってる弥勒だ。スケベだから近付くんじゃねえぞ」
仕返しのつもりか、こちらも十分明け透けした口調で言い返すが、弥勒はくすくすと笑うばかりだ。
「いやいや、まさかお前の想い人を取るなんて命知らずな真似はしませんよ」

言外に茶化されているのに気付き、犬夜叉とかごめは同時に朱を上らせた。
その初々しい反応が余計に弥勒の悪戯心をくすぐっているなんて自覚は微塵もない。
「と、にかくだ」
わざとらしく咳払いをしながら、犬夜叉が話を戻す。
「拠点は今まで通り、ここだ。ここなら城の奴らに追っかけてこようって奴が“いるんなら”格好の隠れ蓑になるし、かごめも落ち着くだろう。・・・ってわけだから、朝一に伝達回しておけ。かごめの紹介は明日の夜するってのも」
「はいはい」
軽い返事をしながらも、弥勒は今まで見たこともないような犬夜叉のかごめへ向ける視線の柔らかさに内心でひどく驚いていた。
(まさか、こいつをここまで豹変させちまうとはな)

物珍しげにじっと弥勒を見つめる黒曜石のような大きな瞳を見つめ返しながら、弥勒が改めてかごめのもたらした影響に感嘆していると、不意に交わっていた視線が緋色に遮られた。誰の、とは愚問だ。
視線をたどるといつの間にか人の姿に戻っていた犬夜叉の、予想通りに面白くなさそうな顔がひとつ。お互い、どういうつもりで顔を見合わせていたかくらい気付いているだろうが面白くない、といったところだ。
思わず苦笑をこぼしながらひらひらと手を振ると犬夜叉は少しばかり鼻白むと様子で気まずそうに無理やり話をまとめ、かごめの手を取り、少々乱暴げにずかずかと奥の回廊を進んだ。
それを少しの間見送っていたが、ふとあることを思い出し、弥勒は後姿に声をかける。
「犬夜叉、たぶんお前の部屋の布団、一組しか・・・・」
言いかけて、口を噤む。そして意地の悪い笑みを浮かべると言わなくてもいいことを言う。
「っと、野暮な心配でしたね。一緒の方が良い」
「うるせえバカ!!」
意味がわかり、すっかり赤くなってうつむいてしまったかごめの手を離さずに弥勒へ悪態をつくと犬夜叉は足早に歩き去った。
ここで否定を入れないことで十分墓穴を掘っていることにも気付けないほど、気が動転しているらしい。今度こそ苦笑して見送ると、弥勒もゆっくりと自室へ戻って行った。
珊瑚がここにいれば、「私たちもそろそろ」などとからかえたのにと少し残念に思いながら。










 * * * 










初めて踏み込む少年の部屋に、かごめは今更ながらばくばくと騒ぎ始めた心臓を静めようと服越しに胸を抑えた。
「当分は悪いが俺と一緒の部屋で寝起きしてくれ。着物は明日にでも仕入れさせる」
「・・・・・うん」
口約束で、しかもはっきりと言い合っていないが夫婦【めおと】になることを誓ったあとにそんなことを言われると余計に恥ずかしい。思わず口数少なくなる自分には気付いていたが、かごめにはどうすることもできない。きし、と床が軋むだけでどうにも恥ずかしさが増す。
敷かれた布団の上に座らされ、犬夜叉の方は巻物や紙の散乱する文机の上に荷を退けて座り、やはりこちらもどこか落ち着きのない様子で視線をふらふらとあちらこちらに彷徨わせていた。
お互い、このままでは埒が明かないことは分かっていたが、何から話せばいいか分からない。

話したいことは山ほどある。
お互い、気が遠くなるほど長い間、想いあっていたにも関わらず今まで顔も見ずに生きてきた。
その間、何をしていたのか。どう生きてきたのか。何を見てきたのか。・・・・・何を感じてきたのか。

犬夜叉の方は、今回の計画を実行に移すにあたって(もとい、この計画があろうとなかろうと、初めて逢ったその後から)、かごめのことを細かに調べていたがそれでもその情報がすべて本当かどうかなど、分かるはずもない。
『あの』
綺麗なまでにハモったあと、先にと促す声すらハモり、仕方なく犬夜叉の方から口を開いた。
「細かい話は明日、って思ってるけど、とりあえず大事なことだけ今夜のうちに片付けたい。お前の姉の“陽光の姫君”、っていうか、正直に言うと四魂の玉のもう半分は何処にあるのか、分かってるのか?」
「今はまだ、姉様が無事なことしか。近くにあればすぐ分かるけれど、気配が薄いの。きっと一山どころか十山くらい越えたところにいるのよ。そこから、少しづつこっちに戻ってきてるわ」
「・・・・玉っていうより、お前を心配して、か」
ぽつりと犬夜叉が呟く。少女の姉を“陽光の姫君”という別称で呼んでいるが、実は犬夜叉は彼女の本名も知っていた。

陽光の姫君との出会いと、今の今までかごめに会いに“行けなかった”理由は実は一緒だったが、あまりにも長い話なので、一から言っていては夜が明ける。
あえて、不思議そうにちょんと首をかしげるかごめに言うことがあるとすれば、そう。
「会ったことあるんだよ、お前の過保護姉貴に」
少し言葉足らずかとは思ったが、存外かごめはあっさりと納得した。
「あと、明日からだが・・・悪いがほとぼりが完全に冷めるまでお前は外出しないでいてほしい」
「・・・・分かってる」
なんとなく予想はついていたがつまらない、と不承不承頷いたそんなかごめの素直な反応に犬夜叉は苦笑をこぼして腰を上げた。
「さて、と」
わざとらしく視線を部屋の隅々に廻らせて咳払いをひとつ吐くと、かごめの肩が大袈裟なくらいに揺れる。
次に少年が何を言わんとしているか、分かったのだ。
おずおずと顔を上げると、困ったように笑う犬夜叉の視線にぶつかる。
「やっぱり、怖いか?」
ともすれば「やめようか」と言い出しそうなくらいにかごめを労わった声音。きゅう、と胸を抑えていた手に力がこもる。
きっと今、「うん」と返せば犬夜叉は我慢してでも本当に自分に手を出さないだろう。


分かっている。

そういうひとなのだ、彼は。

「かごめ?」
隣でじっと返事を待っている犬夜叉は、急に俯いたかごめの顔を不思議そうに覗き込んだ。そして。
「・・・ううん」
「え?」
「怖いけれど、嫌じゃないわ。・・・あなたとなら」

今の出来得るだけの平常心でそう答えると、かごめは笑って犬夜叉の首に腕を巻きつけた。
それでも震える指先をごまかすことは出来ない。呆然とかごめの体を抱き返していた犬夜叉はふうと小さく息を漏らした。
「・・いいけどな。俺は十年待ってる。だからたとえ嘘でも、お前が良いと言うのなら」
音もなく、不器用で繊細な指がかごめの背を滑る。感覚がくすぐったくてか、少年の言葉に怯えてか、かごめは小さく身を竦ませた。衣擦れの音が暗闇に反射して大きく耳に届く。どきどきと早まる動悸が相手にも伝わりそうで恥ずかしかった。
共有する熱が心地よくて、肉親のものとは違う腕の中はひどく照れくさく、安心できた。



とすん、



壊れやすいものでも扱うようだと、かごめは上にある犬夜叉の顔を見つめて笑った。
「少しくらい強引に来てくれなくちゃ、私はいつまでたっても怖がっていそうだもの。犬夜叉にお任せします」
「・・・・後悔だけはすんなよ」





――宵闇は変わらず月光の光を映えさせていた。










【終】

過保護姉貴が誰かなんてこのサイトの常連さんは考えるまでもないじゃない(笑)
アダルトな関係はあるけど、そういう表現が描写されているところはほぼ皆無なのがこのパラレルでした。