のぬくもり

























「元気ありませんね、かごめ様」
ぼんやりと庭園を眺める少女に付きの男は気遣わしげに言った。
いつものようにすぐ、そんなことはないといえない自分に苦笑いを浮かべながらかごめは曖昧に首を振った。
「もしや、昨日の賊になにか・・・・!?」
青褪めた表情で凄むように言う男を宥めながらかごめは人差し指を口元に当てて微笑んだ。
「それは不問にしてって頼んだでしょ?・・・やっぱり、縛られたの悔しかった?」
「と、とんでもございませんっ!」
慌てて両手を振りながら否定したあと、それは少々間抜けだと思ったのか、ひとつ咳払いをすると妙に真面目な表情で男は言う。

「かごめ様をお護りせねばならん立場にありながら、賊に不覚を取った某【それがし】の不注意は惜しみなく悔やまれますが某がかごめ様のご意向を疑いになるなど・・・・・!」
「・・・あー、ごめんごめん。そうね、ありがと。北条君」
そう言ってやわらかく微笑むと、北条と呼ばれた男はいちもにもなくとろけた。
そして、少しの間を空けて我を取り戻すと取り繕うようにすっくと立ち上がり、
「そういえばかごめ様、もうそろそろ弓道場へ向かわれた方が宜しいのでは!?」と上擦った声でかごめに告げた。
「そうね、そろそろ先生がお見えになる頃ですものね」
彼の心理状態が手に取るように分かり、かごめは少し不憫に思ったので乗ってやることにした。
やたらはりきったような北条についていこうとやおら腰を上げたところでかごめは不意に止まった。
「かごめ様?」
「ねえ、北条君」
急に止まったかごめを不思議そうに覗き込んでいた北条は、突然呼びかけられ驚いたがすぐに気を取り直した。
「何でしょう?」
「あの、ね。たとえ話なんだけど・・・もし、北条君が一生涯をかけてある物を護れって言われて・・・でも、自分が好きな人がそれを捨ててでも私のところへ来てくださいって言ってきたら、どうする?」
「えっ・・・と、それは・・・・・・・やはり役目を」
「え・・・・」
「ああっ!じゃなくて!!」
しどろもどろになりながら、北条は必死に言葉を探していたが、やがて目を閉じて深呼吸をすると、ゆっくり微笑んで目を開いた。
「某の立場では申し上げにくくございますが、好きな人、を取るかもしれません」
「!・・・どうして?」
仕事一筋で真面目な北条ならば、役目を選ぶと思っていたかごめにとって、その答えは意外だった。
「どうして、と申されましても・・・何、ごく単純なこと。その人がそういわれるのはきっと、とても切羽詰った状態まで追い込まれているからだと思うからですよ。もしくは、それに似た状況に置かれているとか。そして、そんな状態で一番に某を選んで頂けたならば、それほど嬉しいことなどござりましょうか?元よりこちらがお慕いしている方ならば拒む理由はございません。役目は悪いが他の方に、と思います、ね」
「護れるのが、自分だけだったら?」
「でしたら・・・・あー。もういっそ一緒に持って行ってしまうとか!」
「・・・・!」

苦し紛れの一言が、かごめの心に響いた。
その後も何事か言い訳していた北条の言葉も耳に入らず、かごめはただ思い悩んだ。










 * * * 












「ちょっと。まだ落ち込んでるわけ?」
「・・・・うっせえよ。放っとけ」
「そうも行かないよ。店のど真ん中で暗い雰囲気出しまくってたら商売にならないじゃないか。奥に引っ込んでくれない?」
「・・・・お前、この店誰のだと思ってんだよ・・・」
ぶつぶつと未練がましく文句を言いながらも存外犬や差は素直に席を立った。
自分でも邪魔になっているという自覚はあったらしい。
無言の威圧を出しながら奥へ引っ込むと、少年の部下がわらわらと珊瑚に寄って来た。
「珊瑚さん、頭【かしら】今日すげえ機嫌悪いみたいっすけど何かあったんですか?」
「好きな女にフラれたとか?」
ありえねー、と爆笑する一同に、こめかみを押さえながら珊瑚は忠告した。
「あんたたち、犬夜叉に殺されるよ?」
「えっマジでそうなんですか!?」
「遊郭も興味ねえし、性格はああだけど見た目いいからいい女からの誘いなんてざらなのに断りまくってるからてっきりそれはないかと・・・」
「犬夜叉は、随分前から心に決めてる人っていうの?いるから色事に関心示さないだけだよ。そのうち、あんたたちも会うことになるだろうけどね」
それより、と珊瑚は手を叩いた。
「お客さんの邪魔になるから散った散った。いつまでもサボるな!」
気丈な態度を崩さず、自分らの頭領の面白そうな話題にわらわらと集まってきた男たちへ、そう呼びかけると彼らは慌てて各々の持ち場へ蜘蛛の子が散るように駆けて行った。
「まったく・・・」
布巾で机を拭いて回りながら、珊瑚は小さくため息をついた。

今、気掛かりなのは犬夜叉ではなくかごめの方だ。
城の中の下調べとして城に奉公として行くとき、珊瑚は運よくいきなりかごめの女房役を任され、(そもそも、犬夜叉の後見人の紹介状と城主の見る目がなければ、今一番大切な姫君の女房に新入りの珊瑚がなれる筈はなかったが)数十日をかごめとともにすごした。
まだ任命を受けて間もないと聞く少女は、しかし随分と完璧に任をこなしているようだった。
気丈さを崩さず、常に巫女として立派につとめていた。

はじめは、本当に“あの”頭領が惚れて、連れ出したい相手なのかと疑ったが、それはほんの少しの間の話だった。

かごめは、日々の中で“役”を演じていたに過ぎない。何にも惑わされることなく、玉を護ることの出来る完璧な巫女を。
仮面を取り、にこりと微笑みかけるかごめの笑顔は美しいと言うには幼いが、とても愛らしく、人のいない場所では敬語もやめてほしいと、いたずらっぽく人差し指を口元に当てて笑う少女に、今度こそ本当に珊瑚は少年がこの少女を今でも好いている理由を悟った。

身分の差を感じさせない少女で、ふと気付けばお互い、珊瑚ちゃん、かごめちゃんで呼び合う仲になっていた。
かごめは、年の近い女友達は珊瑚が初めてなので嬉しいと言っていたが、珊瑚とてそれは同じだった。
少女と二人きりで過ごす時間は存外、多かった。
護衛としてかごめに付いていた者が、少女の“初めての女友達”と話をする時間を少しでも長く、と席を外してくれていることがしばしばあったからだ。また、この城へ奉公として入る際に男勝りな護身術も見せているので、珊瑚さえ近くにいれば安心だろうと判断されたらしい。
様々な思惑のお陰で、珊瑚もかごめも、お互いのことにかなり詳しくなった。
中でも珊瑚が一番興味を持った話は、少女の初恋の相手だという“緋色の衣と、今の時世には珍しい長い黒髪を持つ少年”のことだった。それが誰か、ということは珊瑚にはすぐ分かった。「でも、会ったときはもう15歳くらいだったから、とっくに妻を持ってるわね」と寂しそうに笑う少女に、思わず本当のことを言ってしまいそうになった。

いつのまにか、城の家臣たちと同じように、この姫君の笑顔を珊瑚も望んでいたのだ。
だからこそかごめの選択は納得できて、とても不憫に思えた。
(そりゃ、お姉さんのこともあるだろうけど、あの子はもっと幸せになっていい筈だよ。
・・・背負ってるものが大きすぎて逃げられないのに、逃げ道をあげるなんてひどいことかもしれないけど)

常連客の一人が御簾を避けて入ってきたのを境に珊瑚ははたと思考を止めた。「いらっしゃい!」と声をかけながらも、珊瑚は祈るしかなかった。
――少女が、犬夜叉の手を取ることを。







 * * * 









初めて犬夜叉が城でかごめと再会を果たしてからもう数日が過ぎていた。
毎夜、犬夜叉が決まりの文句を言い、かごめが拒み、そういえばと話題を関係のない方向へ転がし、かごめも会話しているうちに誘いを忘れ始めた頃に、軽いノリで「うん」と言えるような誘い方で城を出るよう促すが、少年の評した通りにかごめは賢い少女なので、あっさりとかわされる。
丁度その会話が終了する頃に見張りが交代の時間になって部屋への警戒が高まるので時間切れということになり、悔しそうに文句を言いながらも犬夜叉は立ち去る。かごめの手のひらに小さく口付けをひとつ残して。

初日と二日目までは犬夜叉も帰って暫くは落ち込んでいたりしたが、ふと三日目になると、夜中にかごめの部屋の窓だけ全開で、直接本人に理由を訊ねても
「もう来るなって言っても無駄だろうし、家臣の人たちも大変だし犬夜叉も手間が省けるでしょ?」
と照れながら答えるだけだったが、それを見ていれば少なくとも自分が訪れることを少女が望んでいることは明らかで、日課になりつつあるこの“逢引”も、たとえかごめが誘いに乗らなくてもお互い充実できた。
かごめの真意を隠すような香も、少年が苦手だということを初日で悟っていたかごめは焚かなくなった。
何よりも、今では人払いまでされていて、少女が犬夜叉に対してかなり気を許しているのはすぐ知れて、それがとてつもなく嬉しかったのだ。しかし犬夜叉は、それが悪い意味で長くは続かないことを分かっていたし、危惧していた。

最初は、この国の至宝とも言われる姫君を奪うことに抵抗があった。しかし、国の実情や、今かごめが立たされている立場を調べているうちに我慢ならなくなった。元より少女が今、護っている四魂の玉は確かに探していたが、それよりも少女を、少女の姉の代用とした国が、それが致し方ない選択だったと分かっていても、許しがたかった。
だから、実行に移した。

ただ、少女が昔の頃と変わった、例えば自分を“失望させる”ような心根の人間に育っていることを少なからず願っていた。
城下町での噂のように、昔と少しも変わりない少女ではないように、と願わなかったこともない。
むしろ、そうであるように思った。
そうすれば、自分も諦めがついてこの国から宝を奪わずに済むかもしれない、と。しかし。

(もう、後戻りは無理だな)
今の少女を知ってしまった。
失望するどころか、迂闊にも洒落にならないくらいに惚れ直してしまった。そして、だからこそ無理強いはしたくない。少女の悲しむ顔は、どんな形であれ、城を出た時点で何度も見ることは想像に難くないというのに、余計に悲しませる要素は作りたくない。

既に日常茶飯事となりつつあるので、少々ややる気なさげにだが、「らしくない」だの「無理に攫えばどうだ」と部下に言われること、数え上げればきりがない。しかし犬夜叉には、そんな気が微塵も沸いてこなかった。
弥勒の言葉を借りるならば、囲えということだろうか。


人の齢で16といえど、生きた年数は軽くその倍以上だ。
今更こんなことで、とは思うものの、犬夜叉には色事の経験はないに等しくて、慣れたような素振りでかごめの手に唇を落としているが、本当はそれだけで顔から火が出そうなくらいに恥ずかしく、また嬉しかった。

だから、口付けのあと、すぐかごめの顔も見ずに去ってしまうので、犬夜叉は知らない。
少年に負けないくらい赤くなった頬も隠さず、彼が去った後、口付けられた手の甲を愛しそうにもう片方の手で包み込みながら笑う、かごめの表情を。










【続】

本当は、この話全話でひとつの話でしたが長すぎて区切ってるんですね。
え?終わり方が中途半端なことへの弁解はもういい?・・・・すんません(土下座)