予告












「予告状、送らないのか?」


緋色をまとう少年の長い黒髪は、見る間に白銀へと姿を変える。人の耳は獣の耳へ。
大人しかった爪や牙はいまや牛のもののように厚い皮すらも簡単に食い裂くことができるであろうほどに鋭かった。
「今回は、仕事を終えてからだな。
――失敗するわけにはいかねえから」

どくん、と心臓がひとつ大きくうち、変化が止まる。
普段の少年からは想像できないほどに真剣な声音に、闇色の袈裟を身につけた青年は、窓枠に腰掛けたまま苦笑いをこぼした。
胡坐を解くと、肩にもたせ掛けていた錫杖がしゃらりと揺れる。
「十・・・・もう、十一年越しの想いだもんな。姫君が不幸になるのは許せんか」
「うっせーよ」
緋色の上から藍色の薄布を羽織って、少年は月を仰いだ。思い返すのは十年も前に見たきりの幼い姫君。
今は、十五の娘に育っている筈だ。
噂でしか、彼女のことを知れないが、それだけに些少のことでも彼女のことならなんでも聞いた。

“少女”の姉が、女として過酷な運命を強いられているということも、次の城主は少女の弟だ、ということも。
「俺は、あいつを縛るものが許せない。・・・そんだけだ」

思い描く少女の姿といえば、幼少の頃のものばかりだ。
小さな子供に、あっさりと看破された心は年齢なんて関係なく、少年に彼女を求めさせた。
しかし、“国の至宝”で呼ばれる二人のうち一人を、国から奪うことはしたくなかった。どうせ自分は老い難い体を持っている。
遠くから少女の一生を見守るだけでいいと、ある噂を耳にするまで思っていた。
そして、同じく少女にとって障害になるものが目の前に現れるというのならばそれを取り除きたい。

それだけだった。
「攫って囲う気満々な奴が、よく言う」
「かこっ・・・・・まあ、事実だが人聞きが悪い」
むすっと不機嫌に口の端を上げてほやく少年は瞬時に年相応の面立ちに変わったので、おかしそうに青年は笑い、「下の者は?」と訊ねた。しかし予想通りというか、少年は首を横に振った。
「今度ばかりは義にそぐわねえ盗みになるからな。下手をして捕まれば間違いなく極刑だ。大勢では動きたくねえし、下手な犠牲は出したくねえ。勿論、お前も連れていかねえ。俺一人だったら何とか自力で逃げられるしな。・・・そう、珊瑚にも伝えとけ、弥勒」

質問するよりも先に少年が先回りして言ってしまったのでどうすることもできない。
それに、彼としては久しく逢う少女の説得に時間をかけたいのだろうと悟れたので、“弥勒”は小さく肩を竦めて「了解」と生返事した。
「言うと思ってたから、珊瑚はもう回収してますよ。・・・大まかな邪魔は入らせんから、姫君と存分に話して来い」
「・・・・悪い」

随分と手回しのいい弥勒に苦笑まじりの笑いを返してやると、青年はゆるゆると少年に手を振った。
「頭領、今度もうまくおやりください?」
「・・・・・おう」
背を向けたまま、手を上げて弥勒に返すと少年は静まり返った町に駆け出し、すぐ見えなくなった。
「よっぽど、かごめちゃんのことが好きなんだね。あんな顔初めて見た」
「珊瑚」
少年を目で追いかけていた弥勒は、唐突にかかった声にさして驚いた様子は見せずに返した。
出てきた少女は、今しがた仮の奉公から帰ってきた身で、今も少しばかりいい布地の衣を着ていた。切れ長で美しい少女だったが、先刻の言葉の内容とは裏腹に、その形の良い眉根が不機嫌そうにつり上がっているのは惜しまれる。
少女が何を考えているか、何となく想像はついていたので弥勒は本日何度目かの苦笑をこぼした。
「心配せずとも犬夜叉が強いのはお前も承知だろう?・・・確かに、姫君のこととなるとあいつは些か冷静さを失うが、その為に我々が傍へ控えているのだろう?」
人好きのするような笑いを浮かべて弥勒が珊瑚の髪を撫でると、恥じらいながら珊瑚は身を引いた。
そしてごまかすように、というかごまかして、
「さて、そろそろ伝達しなきゃねっ」
と早口でまくし立てながらそそくさと部屋を出て行った。
「フラれましたか」と軽口をたたく弥勒だったが、表情は満足そうだった。












「ずいぶん、手薄だな・・・」

一人ごちながら犬夜叉は冷たい空気の立ち込める城内の廊下を歩いていた。
『草木も眠る丑三つ時』とはよく言うが、それにしても門前や重要な部屋の前の他で一度も番人や家臣を見かけない。
しかも、そのことごとくが少年の侵入に気付いた気配はない。
部下の手回しがいいのか、城の家臣に腑抜けが多いのかは知れないが、やりやすいことに変わりはなかった。
(ここを曲がれば“月の姫”の寝室・・・)

ひたと背を壁に張り付けて、そっと角の様子を見た。部屋の前には気配が二つ。しかし、注意すべき手練れはいない様子。
大方、昼夜問わずつけられる見張りくらい姫君の気心が知れる者にさせようという城主の気遣いなのだろうがそれが運のツキだったのいだ。専門の手練れですら手を焼く少年の相手としては役不足すぎた。
つま先に重心を置いて蹴り出すと家臣たちが気付いて声を上げるより早く、犬夜叉の手刀が首の裏に入り、二人ともあっさりと意識を昏倒させた。

念のためにと弥勒に渡されていた縄で手足を縛って転がして、ようやく僅かに肩の力を抜くと、とたんに香の匂いが鼻をついた。
人の鼻では快い程度で済むのであろうが、妖の鼻を持つ今の自分には不快にさせることしかできない。
何よりも少女の匂いが消えかけていることが気に食わない。

扉に手をかけて、ゆっくりと開くと犬夜叉は部屋の正面に立つ人影にぎくりと一瞬、身を強張らせた。
匂いの強い場所では匂いに気を取られて注意力が散漫になる上に、本来の力を出しにくい。
咄嗟に警戒態勢を取ろうとして、その人影が懐かしい匂いを持っていることに気付いてぴたりと動きを止めた。
「部屋の前の二人はどうした?」

硬い声の少女は明らかに犬夜叉を警戒していた。仕方がないことを知りつつも、少年は少し落胆した。
やはり“彼女”は自分を忘れてしまったのだろうか、と。
「・・・ちょっと眠ってもらった。月の姫・・・“かごめ”と、話したくて」
驚きにかごめは目を見開いた。
「どうして、私の名を・・・?あなたは、誰?」

言葉尻が少しだけ柔らかくなり、彼女が警戒を少しだけ解いたのが分かった。
幼い頃と比べると、人への対応の警戒心の無さは当たり前だが消えて成長は見られるが、少年の目から見ればそれも甘かった。
「俺は、『闘牙』の名のもとに動いてる賊の頭領だ」
「“義賊”の頭領が、どうして?」
「お前の名は、お前の口から聞いたと言ったら、俺の目的は金ではないと分かるか?」
「え?」
羽織っていた薄布を取り払い、黄金目【きんめ】でじっとかごめを見据えた後、静かに瞼を閉じた。
どくん、と心臓が脈打ち、変化が始まる。白銀は漆黒に、獣の耳も人の耳に。先の逆の変化を遂げた。
もう一度目を開くと、そこにはぽかんと目を見開いて呆然と少年を見つめるかごめがいた。
へたり、と座り込み、口元を手で隠し震える。
「かごめ?」
「い、ぬやしゃ?」
「!!」
驚きというより、喜びに近い。
覚えていてほしいとは思ったのは事実だが、まさか本当に自分を覚えていてくれているなど、夢にも思っていなかったのだ。
「うそ・・・本当に犬夜叉?」
座り込んだかごめの目の前へ片膝をついて顔を覗き込めば、嬉しそうな、困ったような、今にも泣いてしまいそうなどうしようもない衝動に襲われているような表情が窺えた。
「本当に、そうだ・・・」
「なんか、懐かしい、ね」
「・・・ああ」
かごめは相変わらず困ったように笑っていた。
しかし、次の瞬間にはその笑みも消えた。
「かごめ・・・?」
「ここに来たってことは、目的は“四魂の玉”?」

肯定されることを拒むかのような顔だった。無理も無い。
少女の姉が行方知れずになった瞬間から、かごめは“玉”の守護者だった。
“玉”を狙う者は誰であろうと排除しなくてはならない。少年がそうであってほしくないと、願ってくれている。
「・・・・・・・・・・・・それも、確かに必要だけど」
はっとしたように、かごめは顔を上げた。
「約束、果たしに来たってのが本題だ。」
とたんにかごめの頬に朱がさした。

彼の言う“約束”。もしも自分が不幸なこととなれば、攫ってくれと。
子供心に随分と真剣な願いをしていたが、まさか少年がそれを覚えてくれているなどと思わなかったのだ。
犬夜叉に縋り付きたいという衝動を抑えることで精一杯だった。
「世迷言を」
あざ笑うかのように皮肉った笑みをかごめは浮かべた。否、事実嘲笑っていたのだ、自分を。
少女の言葉に犬夜叉が不審げな眼差しを向ける。その視線が耐えがたく、かごめはすっくと立ち、無理に表情を殺した。

――もし万が一、姉が逝ねば、代わりにかごめが“玉”の守護者となることは少女が生まれたときから決まっていた。
もしその万が一が来たときのために姉とともに訓練させられていた感情を殺す術。果たして自分はまともに表情を隠せているのだろうかとかごめは不安に思う。しかし心配はまったくの杞憂で、むしろその様はひどく少年を動揺させていた。

「幼少の頃の私の願いを覚えていてくださり、かなえて下さろうという気持ちは感謝いたみります。しかし今の私は玉の守護者。童女の頃とは訳が違います。今宵のあなた様の所業はまだ幾人もの方に知られていない今のうちに、ここをお立ち去り下さい。そして私のことはどうかお忘れください」

声の震えはごまかせない。
最初呆然と少女を見つめていた犬夜叉はやがて、つまらなさそうに眉根を吊り上げて言葉が終えるのを待つばかりだった。
やがて沈黙がその場を支配し、絶景の満ち月が雲の裾野に全て覆い隠されるのに十分なほどの刻が流れ落ちた後、ただ互いを見詰め合っているだけだった二人はどちらからともなく視線を外し、犬夜叉は深いため息をついた。

ざわり、と気配がゆれ、瞬く間に漆黒が白銀に変わる。金の目はかごめを捉えた。
「・・・・今宵は出直す」
「申しましたわ。幾度訪れようとも、私の心は変わりません」
まるで聞こえていないとばかりに犬夜叉は応えず扉を開いた。ただ、去り際にぽつりと言い残して。

「何度だって訪れる。
俺が欲しいのは、押し付けられた戒めに逆らえない従順な玉の守護者の正しい言い訳ではなく
――“かごめの”本音だ」



扉部屋が閉まり、暫くして気配は消えた。
代わりにどたばたと喧しい足音を立てて家臣たちがようやく部屋の前に駆けつけたのを知り、かごめは今度こそ座敷に座り込んだ。部屋の前で転がされている家臣を助けてくれたらしい家臣は少しばかり乱暴に扉を開き、少女の姿を見ると明らかに安堵した様子で駆けてきた。
「姫様・・・夜分に申し訳ございません。今程に賊が侵入した形跡があると報告を受け、慌てて馳せ参じましたが扉の前の者はすでに何者かに拘束されており・・・とにかく、無事で何よりです。・・・・姫様?」

かごめには何も聞こえていなかった。
傍で呼びかける家臣の声も、騒ぎに気付きようやくこの部屋へ駆けつけようとする者たちの足音も。
ただ、先ほどの犬夜叉の言葉が頭を反芻するばかり。
(私の、本音?――どこが違うというの?)
「姫様・・・?」
「え・・・?」
ようやくかごめが呼びかけに答えたことに家臣はほう、と安堵したようで、そこでようやく少女は自分の最も必要とする役目を思い出した。
「私も、四魂の玉も無事です。なので、今夜のことは全て不問にしてくださいませんか?」








 * * * 








だんっ!

力をこめて叩いた柱が小さく悲鳴を上げる。
「人の力だからといって、加減なしに殴れば屋敷が崩壊します」
「喧しいっ!」
八つ当たりと判っていても、弥勒にぶつけてしまう。感情がむき出しのまま睨み付けると弥勒は降参とばかりに両手を上げた。
しかし、ふざけている様子はない。慰めも諌めもなく、ただ気が立っている頭領を見つめるばかりだった。
青年は自分の役目をしっかりと理解している。落ち込んでいる彼を慰めるのは、叱咤するのは、部下か姫君の存在であり、自分の役目はどちらでもない。落ち込んだ少年を、引きずりあげることだ。
「この世の、どの宝石よりも美しいと噂の姫君だ。何度も引き下がるようでは警備の手も強まるだろう。何よりも引き手数多の姫君に婚約者が出来るかもしれん」
それは少女が自分の意思で彼の手を取るまで少年が何度だって城を訪れるであろうことを見越した上での言葉。
「分ぁってる!」

忌々しそうに言い捨てると犬夜叉は自室へ繋がる廊下の御簾を開いた。
「明日は」
「聞くまでもねえよ。明日も行く。下には明日もいつも通りにさせろ」
「・・・御意」




「ずいぶんと大人しいんだね、今回は」
犬夜叉が引っ込んですぐ、入れ違いにやってきた珊瑚の第一声がそれだった。
同調するかのように、壁にもたれ掛かって弥勒は吐息を吐き出した。
「仕方ありませんよ。かの姫君はあいつにとっては、この屋敷を埋め尽くすくらいの金銀財宝よりもよほど魅力的な方ですからね。」
「“お館様”の牙の封印のことも、あるしね」
「それも、犬夜叉にしてみれば二の次ですよ」

初めは、馬鹿らしいと思っていた。たとえ見かけが年頃であろうと、犬夜叉は人の寿命の倍以上を生きる半妖だ。自分が少年に仕え始める前のことは一切知らないが、その頃はすでに犬夜叉は他者を信じる心というものを欠落させていた。
下世話と知りつつも、そんな少年にちゃんと大切な人は出来るのかと心配したこともあった。
そして最終的に選んだのが、当時は殆ど同い年の小さな姫君だったのだ。
少年の心を開けたというその少女に感嘆はしたものの、幼いことに代わりはない。どうせすぐに冷めると弥勒は踏んでいたが、
(結局、姫君に心奪われてから、十一年。)
すでに気持ちを疑える時期は越えていた。
そして、そこまで本当の想いだというのならば何とか助けてやりたい、と立場に関係なく、そう思うようになった。
「なんていうんですかねえ。あいつを見ていると、私なんかよりずっと生きてるくせに、兄貴心とやらが芽生えますねえ」
「下世話の間違いだろう?」
「おや、手厳しい」
しかし否定はしない。ただ苦笑をこぼして、頭領の望む未来へ少しでも近づけるように、出来る限りのことをやってやる。
それが犬夜叉にとっても、姫君にとっても必要なことであるのを信じられるから。
「大丈夫だよ、かごめちゃんは絶対犬夜叉の手を取る」
「そういえば、随分姫君と仲良くなったみたいだが・・・確信でも?」
「姫様には、私以外の誰にも言ってないらしいけど片思いの人がいる。“十一年前”から、ね」
「・・・・なるほど」

もう一度、小さく笑った。




【続】

犬→いわゆる人のために盗みを働く集団、義賊の“闘牙”頭領。何故この地位に立つようになったかは実はあまり知られていない。「俺ってそんな趣味だったのか・・・」とかちょっとへこみつつも幼少の頃の姫に惚れる。今回、見守ってられなくなったので攫う(と言っても自由意志)ことを決行。

かご姫→“神宮”の城の姫君。弟と姉がいる。国の至宝の呼び名で姉共々、慕われてきた。記憶力がいい(笑)巫女としての別称は“月の姫君”。代々に継がれる四魂の玉と呼ばれる宝玉を、女系にだけ受け継がれる霊力で第一姫の姉が護っていた。

弥勒→五歳くらいからとある情報筋で犬夜叉の元へ仕えている。しかし本来の職業は法師。女癖が悪いので本命にはいつも冷たくあしらわれる。ちなみに風穴はない。“闘牙”では参謀役兼犬夜叉からかい役(笑)兼情報収集係。

珊瑚→12の頃、やはりとある情報筋から犬夜叉の元へ仕えている。本来の職業は退治屋。弟と姫が大事。普段、カタギ仕事として、犬夜叉の後見人から譲られた屋敷兼店の看板娘をしてる。割と言いたい事なんでも言うから犬夜叉に対しても物怖じせず怒鳴れる貴重な人物。弥勒に素直になれない自分に最近自己嫌悪中。

廊下で転がされた一人(北条秋時)→姫が好きだがお役目を全うにこなそうとする真面目さんだからきっと片思いで終わるんだろうなあ(笑)

以上、キャラ設定一部。