第六章 【痛みのない苦痛と安楽】 元々、存在しない筈の自分たちに生きるなどという定義は存在しない。 だからこそ、生ある者が命を惜しみ、涙する気持ちが分からないのだ。 それどころか、その姿には憎悪すら沸いた。 ある意味では、憎しみにすらならない、嫉妬なのかもしれない。 “死”というものを持てる者に、それを悲しむ者がいることに。 『ねぇ』 『死を悼むというのなら、生きられない“わたしたち”はどうすればいいの?』 その答えを、少女が持っている気がした。少年が持っている気がした。 彼らが答えを出すことを、自分達は待っているのだ。 もしも答えを出せなければ、少女の命をもって自分達を救おうと。 やっと見つけた大切な贄だ。逃すなどしてたまるものか。 人間らしい感情を持たない“自分達”には、それがきっと似合いの道なのだ。 * * * * * * * * * 今朝、早く村を出て行き、すぐに戻ってきた一行を村人達は、嫌な顔一つせずに迎えてくれた。 訳あって暫く旅が出来ない。村の仕事を手伝うから、暫くいさせてくれないか。 そう言えば、村長の老人は人の良い笑みを浮かべて頷いた。 誰もが疑心暗鬼に囚われてもおかしくないこの戦国の世で、この村はとても暖かかった。 「何か、楓おばあちゃんの村にいるときみたいな感じがする。安心出来るっていうか」 「それ、分かるかも。雲母も、この村の子達と仲良くなったみたいだし」 人々に襲い掛かるのは、戦や野盗に留まらず、疫病や天災、ときには凶暴化した妖怪もある。 こんな村ばかりでないことを、全国を旅する中でかごめも珊瑚も知っていた。 それを仕方が無いことと投げるのは悲しいことだが、生きる為の術と言われれば反論することは出来ない。 「・・・・・結局、何だったのかな、あれ」 「そういうことは、専門の人間しか分からないけれど・・・法師様も知らないんじゃあ」 手立てはない。 しかし、いつまでも此処にいるわけには行かないのだ。 早いところ、打開策を考えなければと珊瑚も、経験と記憶を辿って考える。 「・・・・・・桔梗」 「え?」 ぽつりと呟かれた言葉に珊瑚も、そしてそんな少女の護衛の意味も兼ねて、少しだけ離れた場所にいた犬夜叉もぴくりと耳を動かして、かごめの言葉の続きを待った。 「桔梗、この近くにいるんでしょ?珊瑚ちゃんか弥勒様がちょっと聞いてくるとか、駄目かな?」 「かごめちゃん、」 それは、と続けようとして、珊瑚は口をつぐんだ。 非常事態とはいえ、犬夜叉が行くわけではないとはいえ、桔梗との接触は、かごめの昨日の傷に触れることと同義にならないか。珊瑚の危ぶんでいるところはすぐにかごめにも伝わったらしい。困った笑いを浮かべていた。 「やっぱ駄目か。桔梗だって、桔梗のすることがあるし、すぐに見つけられるとも限らないもんね」 何がいけないのかなあ。 暗い雰囲気になりかけたところを、茶化すように言ってかごめはごまかした。 少女の気遣いに、珊瑚も乗って、彼女の言葉を、やる気のない声でわざと反芻した。 同時に顔を見合わせてくすくす笑ったあとで、かごめは勢いよく立ち上がった。 「・・・・珊瑚ちゃん。あたし、気分転換にちょっと村の中見てくるわ。」 「あ、・・・・うん」 あたしも行くよ、と言いかけて、遠くの方で成りゆきを見ていた犬夜叉が背をもたせ掛けていた樹から背を離したので、犬夜叉がついていくなら、と見送ることにした。かごめの方も、犬夜叉がついて来るのが分かっていたらしく、特に何も言わずに歩き出す。 二人の姿が見えなくなったところで、珊瑚は小さく息を吐いた。 「何でだろ・・・・・・かごめちゃん、ずっと元気ない」 それに気付いたのは、今朝だ。 厳密に言えば、元気がないというよりは上の空でいることが多いということに気付いただけだ。 原因も分からずに気を失ったばかりだ。もしかしたら体調が悪いのかとも思い、注意して彼女を見ていたが、動作は普段通りで何も問題はない。ちらりと弥勒と目配せして確認したから間違いはない筈だ。 無理をしているようには見えないが、だからと言って何もないわけではないのだろう。 もしかすると、先ほどこの村に帰ってくる前に、犬夜叉に告げていた、彼と、かごめにしか見えない子供が何か二人に影響を及ぼしているのかもしれない。 子供、と言えば真っ先に出て来るのはタタリモッケだ。 あの妖怪は、自我の薄い子供が悪霊になるのを、笛を吹いて抑え、ちゃんと霊が成仏出来るまで見守っている妖怪。 時折、タタリモッケとはぐれ、悪霊と化す子供の霊がいないわけではない。 しかしそれだと、自分には無理かもしれなくても、弥勒にも子供は見える筈だ。 しかし彼は『見えない』と言う。 犬夜叉一人の茶番と思い込めたらいいのだろうが、生憎と少年はそんな小器用な真似が出来る性分ではない。 同じかどうかははっきりとしないが、かごめも同じ子供を見たというのならば話は嘘ではないのだろう。 だがそれだと、どうしてあの二人にしか見えないのだという疑問が浮かぶ。 結局は堂々巡りだ。 何よりも、二人共『悪意は感じられない』と言っていた。 しかし子供、特に自我の薄い小さな霊ならば、悪意もなく悪意のある行為をしてもおかしくはない。 (駄目だ、説明がつかないことが多すぎる) 弥勒も、ご婦人方に手相を見てくれと急かされまして、などとふざけたことを言いながら出掛けていたが、きっとこの辺りの霊的な存在を探りに行っていることは言外に分かっている。 犬夜叉が、桔梗から聞いたという、『存在するのに存在しない者』の話を、珊瑚は正直、話半分で聞いていた。 勿論、犬夜叉も、そしてそれを教えた桔梗も、そんな胡散臭い話を信じる人格ではない。 珊瑚とて、こうして実際に、不可解だらけの謎に直面しない限り、信じなかっただろう。 「・・・・“いる”のに“いない”って、どういうこと・・・・?」 ただ、犬夜叉とかごめに何かが降りかかろうとしていることしか、珊瑚達には分からなかった。 「・・・・・・・・・・・」 いつの間にか隣同士で村の中を歩いていた犬夜叉とかごめは、会話らしい会話の一つもせずに黙々と歩いていた。 理由は単純だ。喋りが得意とは言えない犬夜叉が、自分からかごめに話しかけるにしても、会話の種がなかった。 今、明るい話題を出すにしても場違いだったし、そもそも明るい話題というのが、最近はない。 現状について話し合うにしても、今はどれだけ話し合ったところで『わけが分からない』という結論しか出ない。 こんなときに自分から話しかけて来るかごめは、放っておくとまた焦点の合わない瞳をしていて、結果として、それらが現状を生み出していた。かごめと共に居て、これほど苦痛と感じた時間は少ないだろうと犬夜叉は内心で嘆息した。 第一に、かごめに聞きたいことがあった。 しかし、何故かかごめの出す雰囲気は、それを尋ねることを拒ませていた。 何も聞くなと、拒絶されているようにすら思えた。それが、犬夜叉にはひどく寂しい。 こんなときに、今更のように、自分達の関係は、かごめの妥協あってこそ成立しているものなのだと突きつけられているようで悔しかった。どうにかしようにも、どうにも出来ない自分ももどかしい。 (もう一回、あの子供が出て来たらどうにかなるかもしれねぇってのに) そもそも、どうしてあの子供はかごめに、そして自分に接触してきたのだろうか。 桔梗の口ぶりと現在の状況を鑑みれば、あの子供が関係することだということは明らかだ。 しかし、子供の接触が、何を原因としているのか分からない。 無差別な行動ではないというのならば、自分達は何の条件に当てはまってしまったのか。 ただでさえ急ぎたい旅の中、こうして足止めを喰らっている間ももどかしいというのに。 「・・・・・犬夜叉」 ふと、かごめが口を開く。 そちらに顔をやれば、かごめは俯き気味だった顔を上げて、真っ直ぐに犬夜叉の目を見ていた。 それが、何処か悲しそうな色を浮かべていることに、犬夜叉は僅かに目を見開く。 「あの、ね。こんなときに不謹慎かもしれないけど・・・・・あたしと桔梗、どっちが好き?」 「へ?」 場の雰囲気やかごめの態度はそれとは似つかわしくないというのに、かごめの口から出てきた言葉は、現状には全く関連性のなさそうな質問だった。 しかし、茶化すことは出来なかった。 かごめの目は真剣だったし、何よりも、それを聞けば自分が困ることを知っていて、あえてかごめはそれを自分に聞くことはなかったのだ。どうしてそれを今訊ねるのかという疑問は置いておくにしても、いい加減な返答は出来ない。 しかし、反面ではそれに対する答えを犬夜叉は未だ持てていなかった。 好きか、と問われれば間違いなく首肯出来る。しかし桔梗と、と比較されるとどうしても答えられなくなる。 そもそも、かごめという少女は、誰かと比較することを、何が議題であれ嫌っていた筈だ。 以前、似たような質問をされたとき、自分はどちらも大切だと答えた。 しかし今は、状況も考えも違う。 どちらも大切だという言葉に偽りはない。しかし、かごめの訊ねたい部分はきっとそこでなないのだ。 言うなれば、オブラートに包んでいるが、それは明らかに、『どちらを取るか』に重点を置いた問い掛けだ。 どうしてそれを、今訊くのか。 かごめと対峙している筈なのに、かごめとはまた別の意思が働いているような状況に犬夜叉は困惑した。 村の子供達の遊ぶ声が遠くで響く。少なくとも、此処は二人しかいない。 この場をどうにかする口実などない(そしてそう考えて、はぐらかそうとする自分に気付き、自嘲したくなった)。 「俺、は」 「じゃあ、あたしのことは?好き?」 「かごめ?」 「ねぇ、好き?嫌い?」 縋りつくようにかごめの細い指がしっかりと、逃がすまいと犬夜叉の水干の裾を掴む。 困惑している間に、かごめの顔は悲しそうに歪む。涙は零れていないが、いつ零れてもおかしくないように見えた。 そっと、掴まれていた裾を、かごめが離す。 「・・・犬夜叉が、困るのは分かってた。今出すべき答えじゃないことも。だけど・・・・!」 「かごめ、俺はお前を」 言葉を続けようとした瞬間、びゅう、と強い風が犬夜叉とかごめの間を通る。 目も開けていられないほどの力に、咄嗟に腕で顔を庇いながらもかごめの方へ手を伸ばした犬夜叉は、それまでそこにいたかごめが遠く離れた場所にいることに気付いた。 「ッ、かごめ!」 『もういい』 くぐもった、感情のない声が聞こえた。ひどく幼いものだった。少なくとも、かごめのものではない。 ようやく風が収まり、かごめの気配がする方へ目をやって、犬夜叉は絶句した。 それまで気配すらなかった子供が、かごめを庇うように彼女の前に立っていたからだ。 あのとき、紅鈴と名乗った少女は、自分の存在を認知した犬夜叉に対して、本当に嬉しそうな顔をしていたのに、今の子供の顔はひどく醒めていた。失望しているようにも、嘲っているようにも見えた。 『あなたは、私たちの求めるものを持っていなかった』 感情がない声、というよりも、苦痛を押し隠したような声だと犬夜叉は感じた。 「待って、紅鈴!犬夜叉は」 かごめの慌てた声に、紅鈴はそっと、遮るように手を出した。 『・・・大丈夫、ころせない。かごめも、犬夜叉も』 “ころさない”と言わないのが意図的なのか無意識なのか分からなかった。 しかし、子供が犬夜叉に抱いた明確な殺意に、犬夜叉も鉄砕牙に手を掛ける。 殺されたくなければ殺せ。 それは、非情なことかもしれないが、この時代を生きる以上は避けて通れない考えなのだ。 勿論、本当に子供に切りかかる真似は犬夜叉もするつもりがない。脅しになればそれでよし、しかし駄目ならば思惑はどうであれ、こちらに対して殺意を持っている相手を野放しになどは出来ないのだ。 「やめて!!!」 しかし、臨戦態勢に入る二人に割って入ったかごめが背を向けたのは、紅鈴の方だった。 途端にひやりとしたものが犬夜叉の背筋を抜けた。かごめはどちらの味方をしているつもりもないのだろう。 しかし、その様は明らかに子供の方を庇っている。 どうしてだ。 「・・・・・お前、覚えてないって言ってたよな。あれは嘘だったのか」 「違う!紅鈴が来るまで本当に思い出せなかったの!」 「・・・・・・・・・。そいつ、お前の何なんだ」 「え、」 「そこまでして庇うってんなら、お前に関係の深い奴だんだろ。何なんだ、その紅鈴って奴」 そう訊ねると、それまでの勢いが嘘のようにかごめは言いよどんだ。 抜刀姿勢はやめたが、しかし一度ついた疑惑の芽は退かない。 今まで、かごめがこうして黙り込むことなど一度もなかったのに。 (どうして、何も言わない) まるでその態度に、「お前は関係ない」と言われているようで、犬夜叉は下唇をかむ。 訳の分からないことだらけだ。明らかに何かを知っているのに話をしようとしないかごめにも、何故か、現状を理解出来ない自分にも、腹が立った。 しかし、沈黙の時間は僅かだった。 そっと、紅鈴の小さな手が、かごめの固く握られた拳に重ねられた。 『かごめ、苦しい。かごめが私たちを要る子だって言ってくれたけれど、苦しいの。悲しいの。』 その言葉に、かごめは紅鈴の目線の高さに合わせてしゃがみこみ、首を横に振った。 それがどういう意味なのか、犬夜叉には分からなかったけれど、紅鈴の顔が悲しみに満ちたのだけは、分かった。 「ごめんね。でもこの我侭だけは譲れないの。犬夜叉には何も言わない。」 きっぱりとした口調だった。瞳にはいつものような強い光が戻っている。 その瞳のまま、かごめはもう一度犬夜叉に向き合った。 「お願い、これだけでも答えて。犬夜叉は、私のこと、好き?」 「・・・・・・・あぁ」 どうして、その問い掛けにかごめが拘っているのか、分からない自分にいらついた。 きっと、答えは自分の中にもあるのだと感じた。それなのに、分からない。それがひどくもどかしかった。 その答えに、かごめは曖昧な笑みを浮かべ、それまで悲しい顔をしていた紅鈴も、ぽかんとした表情で二人を見ていた。そんな紅鈴に、かごめが目配せするように笑って見せると、そこで初めて子供は、嬉しそうな笑顔を浮かべた。 しかしそれもつかの間だ。 そっと笑顔をしまいこむと、紅鈴はかごめの手を強く握って、言った。 「もう一度、犬夜叉のことを信じたい。でも、試させて。私には、私たちにはもう、時間がないの」 「紅鈴?」 「何を・・・?」 ぶわ、 激しい風が顔にぶつかってきて、犬夜叉は反射的に目を閉じた。 再び目を開けると、それまでそこにいた紅鈴も、かごめも、姿を消していた。 「ッ、かごめ!?」 気配が一瞬にして消えた。 元々気配のなかった紅鈴のものは勿論、かごめの気配すらも、一瞬で掻き消えてしまったのだ。 しかし、かごめの匂いだけは残っている。 風で一緒に匂いも消えたかと思ったのに、それははっきりと、ある場所に続いていた。 匂いの続く方角を見て、犬夜叉は愕然とした。 「犬夜叉?」 背後から声をかけられ、それが弥勒であると確認するよりも先に、匂いのする方角へ地面をける。 「おい!」 さすがに不審を感じた弥勒に呼び止められたが、犬夜叉は振り返らなかった。 「今日中には戻る!だからお前等、絶対について来るな!」 それだけを叫ぶと、あとは躊躇せずに森の中へと犬夜叉は姿を消した。 かごめとの間だけの問題かと、最初は思っていた。 でも、違うのだと何となく、分かった。 このことは、あの子供の姿が見える自分と、かごめで解決しなくてはいけないのだと。 何故か犬夜叉はこのとき、疑いもせずにそう感じていた。 【続】 考えていたエピソード全部吹っ飛ばしてみた。大分お話が縮小されました。 お陰で桔梗様の出る場面が一切ありません。ごめんね何か変なポジションに立たせちゃって。 察しの良い方にはもう紅鈴の正体バレてそうなんでちょっとびくびくしつつ。次で終われたらいいな。 (06.10.29) 前章 BACK 次章 |