第五章

【叫び】
















小さな少女が、膝を抱えて泣いていた。
周りには誰も居ない。一人で生きるには幼すぎる少女だ。親は何処だろうと思った。

小さな肩を揺らして嗚咽を洩らし続ける少女に自分まで少し悲しくなる。
どうしたの、と訊ねようとすると、ふと少女が顔を上げた。
髪を二つに束ね、その束ねている髪紐に小さな鈴が付けられていた。

ちりん、

少女が動くと鈴の音も響く。大粒の涙をこぼした少女は、縋るような目を自分に向けていた。
まるで最初から頼るべき相手を自分だとしっかりと知っているような目だった。

『ねぇ』

幼い瞳が悲しげに揺れる。不思議な色だった。深い静かな湖の蒼のようにも見え、また燃える焔の光の色にも見えた。あるいはどちらかなのかもしれないが、惜しいことに自分の目には何故か、少女の顔すらもあまりはっきりと見えていなかった。ただ、自分に見える範囲で言えばとても愛らしい少女だった。
ふっくらとした桜色の頬や、瑞々しい薄桃の唇は、この子供の将来を期待させる。
くりっと大きな、不思議な瞳の色をした少女は自分の裾をくい、と引いた。

『あたしは、誰?』















 * * * * * * 
















どうしておかしいと感じるのだろう。
何もおかしいことなんてない筈なのに、どうしてこんなにもおかしいと感じるんだろう。

犬夜叉は、ぼんやりと前を珊瑚達と歩いているかごめの後姿を見つめながら思った。


不思議な少女と会ったあの日の朝。
かごめは、何とも無い風に目を覚ました。どうして自分が森の中で気を失っていたかは覚えていないらしい。
気絶していたのだと聞かされたかごめはひどく驚いて、「でも私何ともないけど」とけろりと応えていた。
原因は結局分からずじまいだったが、とにかく一度、楓に見てもらうべきだと村を離れた。

それから、だろうか。

犬夜叉は、どうしてもかごめに対して感じる何か強い違和感を、捨てきれずにいた。
別にいつもと変わりないように思える。実際、珊瑚との会話での受け答えも普通だ。自分や誰かに対してぎくしゃくしている風でもないし、元気がないわけでもない。むしろ、原因不明の意識不明から復帰した直後の割には元気すぎるほどだ。おかしなところなど一つもない。
しかしそれこそが犬夜叉にとっての違和感になっていた。
だって、おかしいのだ。『どうして普通にしていられるのか』。

「まあ、普通にかごめ様が犬夜叉に愛想が尽きてどうでもいいと感じているだけかも知れんが」

ぐさり。

何気なく横でぽつりと呟かれた言葉に、犬夜叉は少し傷ついた。心当たりある分、下手な反論が出来ない。

「てめぇは。人の心ん中でも読めんのか」
「ということは、お前も同じことを考えていたと」

あっさりと返って来た言葉に犬夜叉は一瞬、青筋を浮かべかけたが、隣を歩く弥勒の思案の表情に思いとどまる。
どうやらからかうつもりの言葉ではなかったらしい。
顎に手を当てて何か考えている風だった弥勒は、やがてふと顔を上げて真面目な顔で犬夜叉の方を向く。
「・・・・テメェの自惚れだ、馬鹿が。・・・・とか言えたらいいんだが。
実際、かごめ様はお前が桔梗様に会いに行った後、何でもないふりをしているが、寂しいんだろう。あの方は遠慮してどうせ何も言わないが、毎回どんな思いでお前を見送っているかくらい、お前だって察せるだろう」
「・・・・・・んなこと」
耳の痛い話だ。
確かに、無事な桔梗の姿を見たいという個人的感情も確かに存在しているが、犬夜叉が桔梗に会いに行くのは大半が彼女との情報交換の為に過ぎない。けれど、周りから言わせて見ればその間ですら、『二人の纏う空気が怪しい』らしいのだ。犬夜叉には自覚がなかったが、七宝にすら言われるので本当なのだろう。
実際に、二人の中で、過去、互いを思いあっていたときの感情が甦り、言い様のない感情に襲われることは多々在る。だから、仲間達が感じ取った『怪しい空気』とやらは、あながち間違いでもない。
少なくとも誤解とは言い切れない。だからこそ、それを敏感に感じ取ったかごめが、いっそ頑ななほどに自分の感情を押し退けて明るく振舞う節がある。自分の態度のせいで、皆の中に影を落としたくないと思っているのだろう。

それを知っているのに、自分は甘えている節があるのだ。
弥勒に以前、それで諭された。
かごめは、どれだけ傷付いても待っていてくれる。迎えてくれる。
たまには思い切り不機嫌な顔を見せたりもするが、それは全面的にこちらが悪い。
けれど、結局かごめは、最後には「私がそうしたいから」と犬夜叉を見捨てたりはしない。

かごめが傷付かないというわけではないのに。何も思っていないわけはないと分かっている筈なのに。

自惚れでも何でもなく、かごめは犬夜叉のことを真実想っている。
そして自分の想いを理解し、受け入れた上で、桔梗と犬夜叉の間にある感情も受け止めている。
だからこそ、自分が何を思っていようとも、それを抑えてしまう。

誰に屈することもなく、自分の正しいと思った選択を進んできたかごめに、そんな真似をさせているのは自分だと分かっていながら、結局はかごめに甘えたままになっている。どうにかしたいと思っても、結局状況がそれを許さない。
弥勒の言う、「お前、いつか捨てられても知らないぞ」という冗談交じりの言葉は、実際は冗談では済まないのだ。

冗談で済んでいるのは、かごめが許してくれているからで。
そんなに申し訳ないと思うのならば、かごめの思いを受け入れなければいい。傍にいなければいい。
それでも、傍にいたい、いさせてくれと手を差し伸べたかごめの手を払い除けることなど出来なかった。

・・・・・いや、かごめが理由をわざと作ってくれたから、そこに自分は逃げただけだ。
本当は、犬夜叉がかごめを離したくないと思っているのに、もうそう思うことは許されないのだと思ったから。

「・・・・・・かごめ様は、良くも悪くも素直だからな。何とも思っていない限りは、態度として必ず出るぞ。
お前と、桔梗様が会った日の翌日は、な」
「そんなん、お前に言われなくても分かっている」

“だから”おかしいのだ。
今、平然としていられるかごめの様子が。

だって犬夜叉は昨日、桔梗に会いに行った。それを皆知っている筈なのに。
「・・・まあ、昨日倒れた前後のことはかごめ様も覚えていないと仰っていたし。もしかしたら昨日の一件も単に覚えていないだけかもしれんな」

その方がいいのかもしれないが、と弥勒は言う。
確かにそうなのかもしれない。どうせ覚えていたとしても、かごめが犬夜叉を想っている限りは辛い話でしかないのだ。
「・・・・・・・・・」

しかし、それとはまた別に犬夜叉にははっきりとしない感情が残っていた。
それが、今目の前にいるかごめに感じる違和感の、一番の理由だった。

何がおかしいのかまでは分からない。しかし、釈然としないながらも確かに感じる違和感に、犬夜叉自身もどうしたらいいのか分からなかった。それはまるで、昨夜見た、存在の無い少女と相対しているような心持ちにさせる。

(・・・・何でだ?)

分からない。
喉元まで出掛かった問いのない答えに、犬夜叉は小さく舌打ちする。


「きゃッ!?」

「かごめ!?」


先頭を行っていたかごめの悲鳴に犬夜叉は反射的にそちらを向く。
昨晩からの出来事は、大事に至っていたいとはいえ、決して安心出来ることではない。
まだあの少女が誰なのかも分からないし、かごめに何があったかも分からない。

違和感の正体に気を抜きすぎたかと犬夜叉は内心で舌打ちした。
「どうしたの?」
「何かあったのか?」

急に悲鳴をあげ、立ち止まったかごめに珊瑚が彼女の顔を覗き込んでいる。
犬夜叉も同じようにかごめの顔を覗き込んだが、驚いた表情は見せるものの、それだけだった。

「あ、うん・・・・・・何か今、壁みたいなものがあって」
「壁?」
しかし目の前に広がるのは、代わり映えのない緑の道だけだ。結界でも張られているのかと一瞬思ったが、それはすぐに否定された。かごめは、奈落はおろか、桔梗の結界すらも無効化出来る。彼女の力は巫女として最高峰にあると考えても構わない。何よりも、かごめの目の前に結界があるというのならば、かごめの目の前に回り込んだ珊瑚が結界に弾かれていないことがおかしい。

わけが分からないながらも、犬夜叉は手前に手をかざす。
すると、僅かにぴり、と電流が走ったような痛みと、かごめの言う『壁』に触れるのを感じた。
確かに此処にあるのだ。『何か』が。

「・・・・・・・」

それまで、静観していた弥勒が思案の表情を浮かべたまま、犬夜叉と同じように『壁』に触れようとする。
しかしそれは、彼のときだけはするりとすり抜けてしまうのだ。(すり抜けてしまうという言い方もおかしい。目視出来ない『壁』なのだから、阻まれている二人の方があるいはおかしいのかもしれない)

「・・・・・特定の存在のみを通さない結界、というものは確かに存在しますが」

何処か、弥勒の口調は自分自身でも悩んでいる響きがあった。
「おかしくねぇか?俺はともかく・・・」
「ええ、あなた方が揃って嘘をついているならばとにかく、此処に結界らしい力の流れは感じられません。
犬夜叉の考えている通り、妖怪の力だけを通さない結界ならばあります。しかしかごめ様は人間で、それも相当な霊力を持った巫女。かごめ様が通れない筈はないのだが・・・・・」
「しかし実際に通れておらんぞ」
「そうだね。あたしたちにある・・・・ない、のかもしれないけど。
犬夜叉とかごめちゃんだけが、あたしたちと違う力に阻まれてるって考えるのが、妥当だとは思うんだけど」

こういったケースは初めてなのだろう。全員が頭を抱える。
しかし、そこで珊瑚の言葉に犬夜叉は妙な引っ掛かりを覚えた。
そうだ、かごめの方ははっきりとしないが、自分の方は・・・・・
「子供・・・・」
「え?」
「お前らには見えなかった子供が、俺には見えた。かごめは・・・・って、そういや覚えてないのか。
あの子供、多分お前にも見えるんじゃないのか?」

それは根拠のない言葉だ。しかしそれが犬夜叉には何故か、正解のような気がした。
しかしかごめは、突然話を振られてきょとんと目を丸くさせたあと、申し訳無さそうにうな垂れた。
「・・・・・ごめん」
「・・・・・仕方ねぇか」

記憶がないことを責めるわけにはいかない。
どちらにしても、犬夜叉は面白くないと感じた。見えない何かに阻まれ、手のひらで踊らされているようだ。
それは奈落のやり口にも似通っていたが、こちらの方が透明な印象を与える。
何がしたいのか不明瞭で、しかしそこに悪意があるのかどうかすらも分からないのだ。

もしかしたら、この近くにまだいるかもしれない桔梗に事情を話し、協力を頼むのも一つの策とは考えていたものの、あくまでそれは最終手段だ。未だ傷が癒えていないのだろう。奈落から身を隠すように日々移動している桔梗を捜すことは恐らく自分の嗅覚をもってしても難しい上、彼女の足を引っ張りかねない。
「ここで考えてたって雑魚妖怪の標的になるだけだ。一旦、村に戻るぞ。」

まずは現状を見るべきだと理性が告げている。普段ならば突っ走ることも考えるだろうが、自分の行動がかごめに影響を与えかねない事態になりつつあることは薄々勘付いている。迂闊なことは出来ない。

確かに『此処』に“在る”のに、“存在していない”。

まるで、昨晩の子供のようだと、引き返す仲間達の後を追いながら犬夜叉はもう一度、『壁』を振り返った。
「犬夜叉」
「・・・・ん?」
名前を呼ばれて振り返ると、戻ってきたらしいかごめが傍に立っている。
何かを言おうとして口を開いたものの、それが言葉としては出て来ず、口を閉じる。
言いよどむかごめがとてもらしくないと犬夜叉は感じた。
誰が相手であろうとも、物怖じしないかごめには、似合わない態度だ。
「何だよ」
ぶっきらぼうにならないように、なるべく柔らかく促すとかごめは俯いたまま、ようやく言葉を口にした。
「さっき、犬夜叉子供って言ってたよね。・・・女の子?7歳くらいの子?黒い髪で、鈴を付けた・・・」
「!」
犬夜叉の知る子供の特徴に合致した言葉に、彼は目を大きくさせた。
その反応で、かごめにもそれが当たりだということが伝わったのだろう。
今度は、いつものようにちゃんと真っ直ぐにこちらを見て、言葉を続けた。
「さっき・・・・ううん。目が醒めてからずっと、かな。何だか分からないの。今、夢を見ているのか、現実なのか」
「夢?」
「夢見心地っていうのかな。ちゃんと今、地に足をつけて歩いてるっていうのは分かるの。
でも、逆に夢を見てるときのふわふわした感じもするの。
・・・・ふわふわした感じが強くなったとき、一瞬だけ、女の子が見えるの。泣いてる・・・・。」

かごめもどう説明していいのか悩んでいるのだろう。
しかしその言葉で、何となく、犬夜叉は違和感の正体を悟った。
先ほどのやりとりでもそうだったが、普段はとてもよく喋る少女が、先ほどは一言も口を挟まなかった。
何処かぼんやりと、焦点の合わない目で前をじっと見つめていた。
それが、今かごめの言った『ふわふわした感じが強くなった一瞬』だとしたら、なるほど、自分はそこに反応して、違和感を見出してしまったのかもしれない。

それにしても、かごめの口ぶりや態度は、その子供に対してひどく同情的だ。
もしかしたら、今のわけの分からない事態もその子供が原因かもしれないと、かごめだった分かっているだろうに、当のかごめの目は子供を怒らないでやってくれと言わんばかりだ。

「二人共、何やってんのさ、早く行くよ」

二人してその場で黙り込んだことに焦れたらしい珊瑚が二人に声を掛ける。
かごめは慌ててそちらの方へ駆けて行ってしまった。そこには、先ほどまでの悲しげな目はもうない。
『ごめんごめん』と謝罪を入れながらも、楽しそうに会話を弾ませながら道を辿っていく。

不可解なことだらけだ、と犬夜叉は思った。

どうしてだろうか。かごめはいつもと変わらず笑っているのに、それがひどく恋しくなった。










【続】

あまりにもぐだぐだ続くのでまた設定微妙に変えた。これで少しは話を短く出来るでしょう。余計面倒くさくなったけど。
紅鈴の存在と同じく、『壁』は彼女が見える人にしか働きません。なので弥勒様も珊瑚ちゃんも七宝ちゃんも、何もないのに何か犬かごがパントマイムやってるーみたいな状態になってる(笑)
影で何か得体の知れないものが動いてるのは分かるのに、姿を表さない辺りは何か奈落と似てるんだけどそこに悪意が込められてるようには思えないから余計に困惑するわんこ。・・・・この話、大分わんこの精神年齢が上がってるよ。
自分に結果が返って来るなら無茶やらかしてもいいけど、今回のは何となくかごめに影響が返ってきそうと何となく感じているので慎重になってるだけなわけですが。どうしようお姫をどう動かしたらいいのかここまで迷ってる話初めて!(笑



(06.10.29)

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