第四章 【消えた光】 「かごめちゃん!?」 「かごめぇ!」 いなくなった少年に抱えられて帰って来た少女は意識がなかった。 眠っただけと思えたらどれだけ良いだろう。しかし状況からしてそれがありえないことを珊瑚も七宝も理解していた。 しかし、彼女を捜しに出た弥勒も犬夜叉も、顔色が良いとは言えない。当のかごめの顔も心なしか白い。 ざっと見、怪我をした様子がないことが唯一の救いだった。 「法師様、かごめちゃんは・・・!」 「・・・何かに襲われた形跡も気配もありませんでした。ただ意識を失っているだけです」 それは裏を返せば、形跡も気配も残さないものの接触にあったか、それほどの何か精神的なショックがあったかのどちらかを意味する言葉だ。決していい意味では受け取れない。 「目は・・・・目は覚めるのじゃろう!?」 珊瑚は表情を固くした。 原因の分からないものこそ対処のしようがないことを彼女は重々理解しているからだ。 七宝の縋るような声にどうしてやることも出来ずに力なく座り込む。 ・・・・もし、かごめが戻ってきたとき、誰も小屋にいないと不安になるから、と言う弥勒の言葉に頷き、皆の帰りを待っていたときも、七宝と共に今と似たような感情を抱えて待っていた。何も出来ない自分がもどかしくて仕方なく、だからといって自分に出来ることなど全くないことを同時に理解しているときの、あの悔しさ。 黙ったまま、弁解の言葉もこぼさない少年に、元はと言えば原因はお前のせいじゃないのかと叫んで罵りたい衝動に駆られたが、口をつぐんだ。 誰のせいと言うのならば、無防備に飛び出したかごめ自身にも、それを引き止められなかった自分達にも非はあるのだ。 「・・・・・・・・・」 ゆっくりと、座り込んだ珊瑚の横にかごめを横たえさせる犬夜叉の、歯がゆそうな表情は恐らく自分達と同じことを考え、その身勝手な叫びを堪えているように見えた。 そうだ、こうなってしまったことに一番衝撃と罪悪感を感じているのは犬夜叉自身なのだ。 唐突の出来事に混乱していた頭をゆっくりと冷静にさせる。ここで焦ってもどうにもならないことは、理解出来る筈だ。 「とにかく・・・・原因が分からない以上、焦っても仕方がありません。 朝まで様子を見てみて、それでも何も変化がなかったときは、楓様の村まで戻りましょう。それでいいですね?」 弥勒が、その場を静めるようにそう宣言する。 全員に、というよりは犬夜叉一人に対してと言った方が正しい言い方だ。 「・・・・分かってる」 犬夜叉がそれに舌打ちをして返した。焦っているのを見抜かれたことを悔しがっているように見えた。 異常がない様子そのものが、異常。 こうなると、病ではないのは明らかで、普通の医者の力ではどうすることも出来ない。 それは、妖怪退治屋を生業とする上でも、こうして旅を続ける上ででも、学んだことだ。 下手に触って悪化させるよりはずっと良いが、もしもこのままならば。 (かごめちゃん・・・・・・) 泣きそうに顔を歪めてかごめの傍から離れない七宝の頭を、珊瑚は撫でてやることしか出来なかった。 * * * * どうせ、一晩二晩眠らなかったところで、支障はない。 かごめに言わせてみれば『無茶苦茶な体』のつくりをしている自分が、こんなときは便利だと思う。 かごめに何かあったとき、すぐに動けるように近くに。 普段は仲間に何かあったときとなるのだが、今だけは別だった。 これ以上、かごめがおかしな目に遭えば今度こそ自分は何をしだすか分からない。 (かごめ・・・・) 言い訳じみた言葉ならいくらでも浮かぶ。 すぐに戻って来るつもりだった。放っていたわけではない。予想していなかった。 けれどそれは、現実にかごめが『何らかの原因』で意識を失ってしまったあとになれば言い訳にしかならない。 桔梗は、初めからすぐに戻れと自分に言っていた。 それでも、事情を理解し、説明をしてくれたのは恐らく現在のかごめの状態と関係があるからなのだと思う。 あのとき、桔梗は『仲間の元へ戻れ』と言った。しかし犬夜叉はそれを即座にかごめに何かがあったのだと感じた。 実際に、かごめは意識を失って倒れていた。桔梗が話したことと、何か関係があるのだろうか。 だとしたら、冗談ではない。彼女の話を思い出してぞくりと背筋が寒くなる。 魂のほんの一欠けらを奪われ、それが原因で、死んでいる。 かごめが死ぬ。考えたくも無い話だ。 しかし、この戦国の世で、命を賭けた戦いの旅を続けていれば、最悪その事態が起こらないとは言い切れない。 いくら危険を回避しようと動いても、自分の闇にすら立ち向かうほどの強さを持った少女は、怖じることをしない。 それは犬夜叉が最も少女に対して憧れている部分であり、危ういと感じている部分でもあった。 かごめに限って、自分の命がどうでもいいなどと考えていることはありえないと分かっている。 それでも不安は尽きないのだ。 あらゆるものに命を蝕まれ生き物は生きていく。 妖怪や盗賊など、即物的な恐怖を生み出す危険もあれば、病という、施しようの無い危険もある。 前者はともかく、後者からは、犬夜叉は護ることすら出来ない。精々、回避することしか。 以前、本当に仲間を失いかけたことがあった。 あのときの失意は、かの巫女を失ったとき以上のものだった。 50年前のあのときは、裏切られたのだと、怒りと失意と悲しみで満たされ、それどころではなかった。それどころか、巫女の死の事実など、50年経った後の世の、すっかり老いた巫女の妹の口から聞いて初めて知ったのだ。感慨こそ沸いても実感はない。 そんな気持ちで、ただ中途半端な喪失感だけを抱いていた。 しかし、仲間達を失いかけたときのものは違う。 奈落に嵌められ、仲間に裏切られたと感じていたわけでもない。戦いの中、自分が目を離したほんの少しの間の内に、失いかけたのだ。人間という存在を、もう一度信じてみようと、共にいることへの安心感を教えてくれた仲間達を。 ・・・・・・・・そのときの感情に似ていた。 死ぬ筈がないわけなどない。人の身は妖の身の自分よりも、脆い。寿命だって違う。 信じたくない、に近いのだ。死んで欲しくない。死ぬ筈がない。・・・・・・死ぬなんて、信じたくない。 (結局、俺はガキのままってことか) 事実を受け入れられずに、母の骸に抱きついて泣いたときから一つも変われないのだろうか。 自己嫌悪に囚われそうになる。そういえば、自分が母の為に建てた小さな墓が近くにあることを思い出す。 かごめがこうならなければ、もしかしたら行っていたかもしれないが、今更だと思った。 「ん、」 「!」 小さく聞こえた声に、犬夜叉は慌ててかごめを見た。 もしかして意識が戻ったかと期待したが、結局かごめが目を開けることはなかった。 ちゃんとそこに“在る”のだと認識出来たことには安心したが、やはり落胆は隠せない。 そっと、無意識にかごめの頬に触れた瞬間、ふと視線を感じて犬夜叉は視線の先を辿った。 御簾の傍だ。しかしそこに人が立っている筈がない。視線の場所を知るや否や、鉄砕牙の鍔を弾く。 「・・・・・誰だ」 「どうして」 声は、思った以上にはっきりと聞こえてきた。 はらりと、御簾が開く。そこにいたのは7,8歳ほどの少女だった。 この村の娘という風には見えない。いや、それどころか、匂いも、気配すらもなかった。 存在が希薄、というのとはまた違う。そこに確かに『存在している』のに、『いない』のだ。 どう表現していいかも分からぬ気配に犬夜叉が眉を顰めながらも、 周りを起こすという意味でわざと大きめの声でもう一度誰何する。 「お前は、誰だ」 「・・・・・・」 子供は僅かに驚いた表情を見せた。しかし結局、犬夜叉の問いには答えない。 「あなたは、私が見えるの?」 「あぁ?」 見えるから、話しかけているに決まっている。愚問だ。 しかし少女は犬夜叉の態度も気にかけずに、嬉しそうに微笑んだ。今度は犬夜叉の方が毒気を抜かれる。 敵意もない。悪意もない。ただ、空間に違和感だけを落とす少女。 敵ではないと何故か本能的に感じる。しかし、この状況で味方かと問われれば、応えは否だった。 犬夜叉の声に周りも反応して、目覚めたらしい。体こそ起こしてはいないが、意識をはっきり覚醒させている気配がした。 「見えるの?見えるのね?すごい!あなたが初めてだわ!」 「何のことだ・・・・?」 「あなたが、『犬夜叉』?」 「だったらどうだってんだ」 子供への対応としては些か乱暴すぎる。普段ならばここで弥勒か珊瑚、それもなければ七宝から諌めの言葉が入っているだろうに、誰からもその言葉が入ってくることはない。明らかに異質なものを感じ取り、犬夜叉は警戒を強めた。 「わたしは、紅鈴。あなたに聞きたいことがあるの。」 「聞きたい、こと?」 「わたしの、『わたしたち』の求めるものを、あなたは持っているの?」 「『わたしたち』・・・・・?」 「さっきから何ブツブツと独り言言っとるんじゃ、犬夜叉」 起き立ちの不機嫌そうな七宝の声がして、紅鈴と名乗った少女は口を押さえると慌てて外へと飛び出した。 「お、おい!」 咄嗟のことで一瞬反応が遅れた。少女を追って、慌てて飛び出すと、そこには少女のいた気配は少しもない。 いや、元々小屋の中にいたときだって、少女の気配は“最初からなかった”のだ。 「犬夜叉?」 不思議そうに、突然飛び出した犬夜叉に声をかける弥勒に犬夜叉はイラついた声で返す。 「何呑気な顔してやがる!さっきの子供・・・!」 「子供?」 それは、明らかに何のことか理解していない声だ。 はっとして犬夜叉は小屋に戻り、弥勒に問い掛けたことと同じことを珊瑚と七宝にも訊ねる。 しかし、二人も、その傍にいた雲母も、首を傾げるばかりで、子供なんていなかったと返すのだ。 そうしてふと気付く。少女ははっきりとこう言ったではないか。 『あなたは、私が見えるの?』と。 つまり、普通の者には見えないどころか気配すら分からないのだと。 そして、同時に桔梗から貰った情報も、頭の中を駆けて行く。 『私には、決して見ることの出来ない者がいる。本来その者は、生ある者に害をなすことは決してない。出来る訳が無い。 しかし、どういうわけか、それが存在している、らしい』 彼女らしくもなく、曖昧な物言いなのが気になり、はっきりと記憶に残っていた。 桔梗のもたらした情報では、本来は殺された(と、表現しても良いのかすらも、曖昧だが)女たちだけが“見た”ものらしい。 それが、あの少女なのだとしたら? あの少女が、かごめに接触し、かごめに何か影響をもたらしたのだとしたら? (くそっ・・・・・あのとき逃がしてなきゃ・・・・!) 今更悔いたところで仕方が無い。 夜明けも近いらしく、雲の切れ目から明るい光が漏れ出していて、結果的に随分と早くに仲間を起こしてしまったらしいと気付いて犬夜叉はほんの僅かに申し訳なくなった。もっとも、それを素直に口に出すような性分ではないが。 「・・・・・ぅ、」 『!!!』 時間も中途半端に開いてしまったし、先ほどのまだ正体の掴めない少女のことも一度話しておくべきかと犬夜叉が口を開きかけたところで、かごめから小さくうめき声が聞こえて全員が少女を振り向いた。 「かごめ!?」「かごめちゃん!?」 今度こそ、かごめは薄っすらと目を開けた。 そして全員の視線を浴びていることに気付いたかごめは驚きながらも、半泣きで抱きついてくる七宝を受け止めた。 暫くすると、記憶が戻ったのか、ごめんごめんと謝り始める図は、不穏な暗幕が垂れ込めていた夜中とは大違いだった。 特に何の変化もない。いっそ、なさすぎるほどだった。 「とにかく、気分が優れないということはないのですね?」 「うん、本ッ当ごめん!何か、心配かけちゃったみたいで・・・・」 「それはもういいよ!良かった・・・このまま目が覚めなかったらどうしようって思ったよ」 すごい速度で流れていく状況を、思わずぽかんと見守っていた犬夜叉に、かごめの視線が止まる。 「犬夜叉も。ごめんね?もう大丈夫だから!」 「あ、ああ」 それは、本当にいつもどおりのかごめだった。 ただし、『桔梗と犬夜叉とのやりとりが存在しない日』の、いつも通りの姿の話だが。 かごめに意識が戻り、嬉しいはずなのに妙に拭えない不安。 先ほど示唆された、何故か他の皆には見えない、気配すらない謎の少女の言葉。 桔梗のもたらした情報。 何もかもがひどく不自然に見えて、犬夜叉は釈然としない気分のまま、仲間達のやりとりを見守ることしか出来なかった。 【続】 犬夜叉、何か違和感に気付くの回。この段階で紅鈴が見えてるのは犬とかごのみ。段階も何もこの二人だけ? どうしましょう矛盾を埋めようとすればするほど矛盾が生じる。こういうのもある意味墓穴を掘り進めてる図? 自分の中でこれはどうなったからこうなってるっていうのちゃんとあるのに表現出来ないのが悲しい。 弥珊は絶対見えません。七宝ちゃんも多分見えません。桔梗様も見れません。 何ていうの。ちょっとネタばらしすると世にも奇妙な物語風?(余計混乱すること言わないの) (06.10.10記) 前章 BACK 次章 |