第四章 【形失き存在】 どういうつもりなのかと、問い詰めたかった。 でもそれと同時に、無事な“彼女”を確認したかった。 誘うようにゆっくりと空を舞う死の眷属の後を追いながらも、犬夜叉はいくらかの相反した気持ちをひどく弄んでいた。望んでこうしてこれらを追いかけて来た筈なのに、心のどこかではそれを嫌だと感じている。 “彼女”の無事を確認しなければ、そして連日の“彼女”の不可解な行動の理由を問い質さなければと思うと同時に、仲間の、かごめの傍から離れることにひどい罪悪感を感じていた。弁解をするつもりは犬夜叉になかった。事実、それだけでないにしても確かに自分は“彼女”に会いに行っていた。 そこに一欠けらの慕情もないかと訊ねられれば答えは否だ。 どれだけ仲間と、自分の良心に責め立てられようと、人を想った気持ちと、その記憶を容易く捨てられる筈はなかった。そんなに簡単な想いを抱いた覚えだってない。 折り合いがつけられない自分を嫌悪しながらも、現状を維持すること以外、彼に出来ることは何もなかったのだ。 (桔梗・・・・・) 昨夜も、同じような死魂を見た。 そのときは、桔梗を見つけることが出来なかった。 いや、何よりも彼がそれを辿ることを躊躇したのだ。 桔梗の今の体は、骨と土で出来た紛い物。ぬくもりのない、しかし桔梗の匂いと、存在はしっかりとそこにある。 そんな、はっきりとしたような、曖昧としたようなものだ。 体を動かす為には今の桔梗には死魂が必要だった。 以前、奈落によって胸に穿たれた穴と瘴気はかごめが浄化したと聞いた。 しかし、完治には至っていない。それを補う為に、今の彼女には多くの死魂が必要だった筈だ。 昨日通過した道にあった村には結局、犬夜叉しか気付かなかった。そして彼も気付かないふりをしてその村を通過した。ひどい死臭が漂っていたのだ。何かに襲われたような気配も、血のにおいもしない。ただ病んだ匂いに、流行り病で村が全滅してしまったのだと、それだけは理解していた。 もしかしたら、村にはまだ生きている人間がいたのかもしれない。 しかし犬夜叉にとってはそれよりも、仲間達がそれを知り、その村へ行こうと言い出すことの方がよほど恐怖だったのだ。特に、それを言い出しかねない少女に対して。 医者が間に合わなかったのか、それとも治す方法がなかったのか。 いずれにせよ、村の規模こそ小さいが(一応、後で一人、確認には行ったのだ。少なくともそのときに生きている人間は一人もいなかった)その集落の人間を死に追いやった病がまだ残っているだろう場所に、普通の人間である仲間達を案内するわけには行かなかった。 ・・・・・先だっての戦いの中で、一度仲間を失いかけた。桔梗だって、一度は失ったと思っていた。 その恐怖は、未だ犬夜叉の中に根付いている。 もしもその病に掛かって誰かが死んでしまったら? かごめが、倒れてしまったら? そんな不安が拭えない。旅をやめることも出来ず、結局常に命の危機に晒される日々だというのに、わざわざそんな危険な場所に足を踏み入れたくないというのが彼の本音だった。 それは非道なことなのかもしれない。 実際にその事実を知ったら、かごめは怒り、まだ助かった人がいたかもしれないと言っただろう。 たとえその望みが限りなく薄く、またそれによって自分達が負うリスクがあまりにも大きすぎたとしても。 助けられる人間が目の前にいるのに、かごめが何もしないわけはないのだ。そういう少女なのだから。 戦国の世を生きてきた少年にとって、それがいくら己の罪悪感を刺激するものであろうとも、割り切らなければいけないという醒めた部分を持たなければ生きていられないと理解していたのだ。恐らく、小さな子供でも理解している者はそれをしっかりと理解しているだろう。 そういう意味ではかごめはとてつもなく甘い。 しかしその甘さは決して悪いことではない。・・・・自分さえ、省みるのだったら。 他人を助けて、たとえかごめにそのつもりがなくても自己犠牲で倒れる少女を見たくないのだ。 だから、黙っていた。その判断を、今になっても犬夜叉は間違っていたとは思わない。 しかしそれとは別にずっと気になっていることがあったのだ。 村の人々が揃って死んでいる、ということは大量の死魂がそこにあったということだ。 たまたま近くを訪れた桔梗がそれらのいくつかを拝借する、というのならば分かる。 しかし彼女はそれらを選ばなかった。 いくつも山を越えた場所で行き絶えたらしい女の死魂をわざわざ拾ってきていたのだ。 何が死んだ原因なのか、はこの際問題にはならない。一番見るべきなのは、『それ』の死んだ場所だ。 “どうしてわざわざ、遠くの死魂を拾う必要があった?” それが犬夜叉にはどうにも腑に落ちなかった。不自然すぎるのだ、あまりにも。 多くの死魂を必要とする筈の彼女の選択としては、適切でないと感じた。だから。 「!、桔梗!」 深緑の狭間から見える鮮やかな赤の襦袢に犬夜叉は踵を軸にして加速する。 少年の姿を見つけて、桔梗がそっと振り向いた。傍に控えていた式神たちは、彼女に指示を受けるとふわりと飛んで何処かへと去っていく。その僅かの間の沈黙がひどく重く感じた。 「犬夜叉、お前・・・・・何故此処に?」 どこか、純粋な問い掛けとは違う、非難するような声音に犬夜叉は一瞬、訝しそうに眉根を寄せる。 意図は理解出来ないが、どうやら彼女にとって自分が此処へ来ることは望まれていないらしい。 「聞きたいことがあったから、死魂虫を追いかけて来た」 その追い掛けて来た死魂虫は彼女の傍に控えて、何を考えているのか分からない、無機質な瞳を犬夜叉と桔梗にに晒している。 彼女はいくらか考え込むように死魂虫を見つめたあとで、「話は何だ」と促す。 その様子が、益々此処に彼がいることを拒んでいるような素振りで犬夜叉は僅かに苛立つ。 「何だよ、此処に俺がいちゃいけないってのか」 「ああ、だから早く用件を言え。そして早く仲間の元へ戻れ」 「な、」 あまりの物言いに僅かに閉口したが、これ以上このやり取りを続けても無駄なのだと、彼女の目を見て感じた犬夜叉は、不満こそあったものの、文句を言うのは諦めて、用件を切り出すことにした。 「此処から少し離れた場所に、小さい村があっただろ?そこの村、流行り病で全員死んでた。そんなに前のことじゃねぇ。多分、ここ数日の間に死んだんだろうな」 腐敗した肉体はなかった。 そのまま放っておけばおそらく村と交流のある行商人辺りがそれに気付いて弔ってくれるだろう。 そう願うしかない。しかし問題はそこではない。 「ってことは、死魂をあの村から取ることだって出来た筈だ。・・・・死魂、足りないんだろ?」 ようやく桔梗の目がぴくりとその言葉に反応する。 「でもお前、昨日も死魂虫に魂を運ばせてたよな。でも、あの村の奴じゃなかった。どうしてわざわざ遠くの死魂を運ばせる必要がある?」 「・・・・・そうか、やはり見ていたか」 ぽつり、と桔梗が呟く。 そこにはすでに、先ほどのような邪険にする目はなかった。 「だとしたら、それを気取られた私の責任か。・・・・・・確かに、今の私には今まで以上に死魂が必要だ。だが、今私がしていることはそれとは殆ど関係ない。それに、あの村は幸か不幸か、全員がほぼ同時に死んだ。互いを知る霊達に現世を彷徨う者は居るまい。『それ』が、お前に早く帰れと言った理由だ」 「どういう、ことだ?」 益々要領の得ない彼女の返答に、戸惑いを隠さずに犬夜叉が問う。 すると桔梗は僅かに考える仕草を見せたあとで、心なしか慎重に口を開いた。 「私には、決して見ることの出来ない者がいる。本来その者は、生ある者に害をなすことは決してない。出来る訳が無い。しかし、どういうわけか、それが存在している、らしい」 「らしい、って・・・・」 「言っただろう。私には見ることは決して出来ない。だから、それが確かなのかまでは、分からない」 そんな曖昧なものの為に彼女が動いているのだろうか。 そもそも、その実害というのもひどく曖昧だ。彼女が何を掴んだのかは分からない。 そして彼女自身も自信はないのか、言葉を選びながら伝えているようだった。 「昨日、死魂虫に運ばせた女から分かったから、恐らく間違いはないのだろう。あの魂からは、魂の『ほんの一部』が削り取られていた。それが何なのかは、その害を受けた者によって違うが、少なくともそれが原因で、彼女達は『不慮の事故』で亡くなっている。私が知っている限りは、全てな」 「なっ・・・・・」 突拍子も無い話だが、彼女の言葉に嘘はないのだろう。 しかし同時に、僅かな疑問も浮かぶのだ。甦ったばかりの彼女は、誤解をしていたこともあるが、自分を含んだ生在る全ての者を憎んでいるようだった。 それなのに今の彼女ははっきりと分かるほどに、生ある者を守る意思を見せている。 憎む気持ちはなくなったのか、などと訊ける筈もないが、どこか吹っ切れた表情を見せる桔梗に、疑問を浮かべることを止めることは出来なかった。それが顔に出ていたのだろう(仲間達からも分かりやすいと散々言われる)。桔梗は小さく笑って見せると、そんな彼の疑問に答えた。 「何処かに、こんな私でも自分に救う力があるのなら放って置く筈がないと言った、どうしようもないお人好しがいたせいで、それがうつってしまったようだ」 それが誰かなどと訊ねる必要も無い。 ただその『お人好し』が彼女にいい意味での影響を残したのだと思うと、自分のことでもないのに誇らしく感じる。 互いに、小さな笑いを浮かべていたが、やがてそれはすぐに緊迫したものに変わる。 突然桔梗が上を見上げたのだ。 ひどく焦った表情に何かあったのだろうかと訊ねる前に、桔梗が犬夜叉の方を向く。 「早く仲間の元へ帰れ!私はこの通りだ。・・・・・・嫌な予感がした」 その、違和感のある言葉に犬夜叉は返事を返すより先に、反射的に元来た道を辿った。 聞き覚えがあった。時々、桔梗が使っていた言い回しだ。 “嫌な予感がした。” すでに起こってしまった可能性の高い出来事を示唆することだ。 彼女を気遣うより先に駆け出したその背中に嫌な汗が伝う。 それに桔梗は最初に言っていたではないか。 生ある者に害なす存在がいるから、だから仲間の元へ帰れと。 (かごめ・・・・・!) どうかその予感は当たらないでくれと、願うしかなかった。 それがどんな予想よりも悲しいくらいに正確なことを、知っていながら。 * * * 「犬夜叉!」 慌てたような声に呼び止められて犬夜叉は立ち止まる。 上から聞こえた声にぱっと上を向くと、雲母に乗った弥勒がいた。益々嫌な予感が苛む。 「弥勒!かごめは!」 「・・・・ッやはり、一緒ではないのか」 さぁ、と血が凍りつく。 弥勒の口ぶりは明らかにかごめの不在を知らせる者だったからだ。 どうして一人にした、と叫びそうになりながらもそれを抑える。 どうして、だなんて愚問だ。自分のせいだ。あのとき、躊躇しながらも結局、桔梗と会うことを優先した、自分の。 「お前の後を追ったのかとも考えたが、かごめ様に限ってそんなことはない筈だ。お前、かごめ様の匂いを追えないのか?」 言われるとほぼ同時に匂いと、気配を探る(どうしてそんなことに気付けなかったのかと自分の詰りたいほどにもどかしかった)。そしてすぐに見つけて、弥勒へと何か返すより早くその場を駆け出していた。 (かごめ・・・・・!) 武器なんて持っていないだろう。 そんな余裕があるのならば、出て行く前にとっくに仲間達が引き止めている筈だ。 丸腰で夜の森へ入ったと思えばぞっとする。 力だけで言えば非力な少女が、無防備すぎるにも程がある。 彼女の精神状態が普段のままならば状況も弁えず怒鳴るだろう。 もっとも、普段のままの少女はそもそもそんな危険な行為を望んでするような馬鹿ではない。 昼間から様子がおかしいのは分かっていた筈だ。 自分が傍にいられないのならばせめて、仲間の誤解を解いて、もう少しかごめに注意しておくように頼むべきだったと悔恨ばかりが頭をよぎる。 匂いが一層近くなり、やがて月で出来た岩の影に、気を失った少女の姿を発見したときに、犬夜叉は仲間を、かごめを失いかけたときの恐怖が甦り、半ば叫ぶように少女の名を呼んで駆け寄った。 少女の傍にはすでに何もなかった。 余韻すら、残さずに。 【続】 犬桔前提だった筈なのにいつの間にか桔かごになってるのって笑うべきなんですか(シリアスで・・・) 頭の中で色んな設定考えたせいで逆にごちゃごちゃになってます脳内。 あ、あと時間軸いい加減です。桔梗の瘴気浄化以降という以外全部捏造です(・・・) ちゃんと全部消化出来るのかしら。そんなわけで犬と桔の発端(しかし遅い)編でした。暗いorz (06.10.10) 前章 BACK 次章 |