第一章 【始まり】 快晴、を絵に描いたような清々しい日差しをいっぱいに浴びながら、日暮かごめは伸びをして頬に当たる丁度いい風を一身に受けていた。 「んー、やっぱり天気がいいと気持ちいいねっ」 「そうだね、これだけ綺麗に晴れるのも久しぶりだね」 「やはり、こんな日はのんびりと過ごすのが一番ですな」 ふわりと髪を撫で上げる風に後ろ髪を押さえながら笑顔で言うかごめに同調して返す珊瑚と弥勒。 昨日立ち寄った村人の厚意で貰った軽い昼餉を平らげて、軽くまどろむには最高の時間で、七宝と雲母は既にかごめと珊瑚の膝の上で肩をゆっくりと上下させている。 激しい闘いを繰り返す中に身を投じているからこそ、こんな平和な時がとてもありがたい。 ここ数日ばかりは特にこれといった激戦をしたという訳でもないが、小さな村落のちょっとした妖怪絡みの面倒ごとを銭稼ぎと宿調達の為に行う程度で、以前、奈落を寸でのところで取り逃してしまったときほどに忙しいというわけではない。 しかし、だからこそ今のこの平和な常時に英気を養っておこうと各々がゆっくりと身を預けようとしていた。 「・・・・・・・・?」 だが、そんな状況に少しの違和感を感じるのは何故だろうか。 かごめは僅かだが非常に何かおかしいとはっきりと感じられるほどの違和感に、思わず背を預けていた岩から背を離してきょろきょろと辺りを窺った。 すると、弥勒と珊瑚の二人も同じ心境であったのだろう。 先ほどの、のんびりとした口調とは別に、何か感じる不思議な違和感に首を捻り―――やがて、三人は同時にその違和感に気付いた。 「あの、犬夜叉?」 「・・・・あぁ?」 そうだ、犬夜叉が。 何かと休養を取ろうとごねると、自分は平気だからと頭ごなしに嫌がる、弥勒に体力馬鹿の名を拝命された“例の”犬夜叉が何も言い出さないという、この事態そのものがおかしいのだと。 恐る恐ると言った風にかごめが話しかけても、心此処に在らずとばかりの生返事だけが返って来て三人は益々首を傾げる。 「もしかして、何処か悪いところでもあるの?」 ふと行き当たった考えに、かごめが心配そうにそう声を掛けると、犬夜叉は心外、とばかりに眉を顰めて頭の下で組んでいた腕を解いて「はぁ!?」と素っ頓狂な声をあげた。 「何でそうなるんだよ!」 「だってあんた、何でもかんでもやせ我慢しちゃうし」 「別に何処も悪くなんてねぇよ。そんなん、お前がよく分かってるだろう!?」 それはそうだ。 何せ、彼が怪我を負ったときに、彼本人が要らないと言っても治療を施すのはかごめであり、それはもうすでに暗黙の了解のようなものになっている。一番、少年の素肌を直で見ることが多いかごめが知らぬ怪我などあるのだろうかということ。 それはそうだと納得する弥勒と珊瑚とは違い、未だ疑いの眼差しを犬夜叉に向け続けるかごめに半ば必死になって弁解をする犬夜叉に、かごめの眼差しは段々と強まる。 「・・・・益々怪しい。何でそんな必死になって弁解してるのよ。やっぱりどこか悪いんでしょ!?怪我じゃなくて風邪とか・・・」 「わー!馬鹿乗っかるなぁ!」 「おやおや」 七宝を腰掛けていた場所にそっと寝かせて、額の熱を測ろうと手を伸ばしてきたかごめに何となく焦りを感じて慌てて押し退けようとする犬夜叉の耳にはしっかりと揶揄うような弥勒の声が聞こえてきたが、いちいちつっこんでいる余裕などなかった。 「俺はそんな柔な体してねえんだよ!いいから退けよ!」 「別にいいじゃない、何でそんなに嫌がってるのよ!」 「別に嫌じゃねえけど・・・・じゃなくて心配すんなって言ってんだよ!」 ぎゃあぎゃあと、いつの間にか始まった痴話喧嘩にやれやれ、とばかりに弥勒と珊瑚は顔を見合わせて肩を竦める。犬も食わない、とはよくいったものである。 七宝が起きそうになるまでそのやりとりは続き、何も無いと、何故か顔を赤くして必死に弁解する犬夜叉に、仕方なく本人の主張通り何も無いのだということにしようとかごめが妥協することでその話には決着がついたのだが。 「でもとにかく。私たち、休憩したいんだけど、犬夜叉はいいの?」 と、一応の確認を込めてかごめが訊ねると犬夜叉は興味なさそうに目を瞑ったままそっぽを向いてひらひらと手を振った。 「おーおー。たまにはいいんじゃねえか。好きにしろよ」 「・・・・・・そう。じゃあ3時・・・えと、陽が落ち始める前くらいまで適当に休むから」 これ以上は取り合っても無駄だと判断して、かごめはぱん、と手を鳴らして文字通り散開を言い渡した。 それを合図に弥勒はさて、と腰を上げて「その辺で涼んできます」と珊瑚を誘いながら言い、珊瑚もまた眠ったままの雲母を七宝の傍へ置いて弥勒の後へ続いた。 かごめもそのまま行くのかと犬夜叉は一瞬思ったが、彼女はそのままぺたんとその場に座り込んで暫くリュックサックの中をごそごそと漁って、数学の教科書を取り出して付箋を挟んでいる頁を捲り始める。 それが犬夜叉には理解できない。 「・・・・・おい」 「なに」 今度はかごめが生返事を返す番だった。 自分が似たような態度を取っておいても、やはり少女に邪険にされるのは些かむっとした犬夜叉は、僅かに身を乗り出して、3歩分くらいの距離を一気に縮めるとかごめの手から教科書を奪い取った。 「あっ」 「お前さっき、休憩するって言ったんじゃねえのかよ」 「言ったわよ」 「じゃあ何でいきなりこんな訳の分からねえ小難しい書物引っ張り出してきてんだ」 「別にいいじゃない、休憩っていうのは好きに使ってもいいものよ。私がどう使ってもいいじゃない!返してよ」 会話を続けながらも、奪い返そうと必死に手を伸ばすかごめと、捕まるまいとひょいひょいとその手を避ける犬夜叉との攻防戦は続く。 「お前、これ見だしたらすげえ眉間に皺寄るんだぞ」 「そりゃ・・・・だって、難しいし」 「何でわざわざそんなことすんだよ」 勿論、犬夜叉がどれだけの適応力を持ってして現代の生活に徐々に理解を持ちつつあろうとも、根底の常識はどうあっても戦国時代の人間のものである。そんな彼に現代でのかごめの必死になってする勉強の意味など教えようとしても到底正確に伝えられるものではない。 「仕方ないのよ」 と溜息つきで言うと不機嫌そうに顰められた眉にまた一つ皺が増える。 その辺の相互理解が不可能な理由が彼とて分からないではないが、折角珍しくすんなりと出した休憩の時間を、わざわざ嫌そうな顔をして過ごすかごめを見たくないというのが犬夜叉の言だ。 「どうせなら気分転換に弥勒と珊瑚にでも付いてきゃ良かったんだ」 「馬鹿ね、そんなことできる訳ないじゃない」 「何で」 純粋に疑問に思ったことを口にしたまで、というのが犬夜叉の意見だろうが、かごめにしてみればどうしてここまで気を回してやれないのだろうかと溜息をつきたい気分だ。 「あんた・・・・どうしてそんなに他の人のことには鈍いのよ。二人きりになりたいの!弥勒様と珊瑚ちゃんは!」 「・・・・・・・・・あー」 無感動に相槌を打つ犬夜叉にかごめは今度こそ脱力してかごめは肩を落とした。 そして、もういいとばかりに諦めてくるりと犬夜叉に背を向けて森の中へ踏み出す。 「!おい、かごめ」 「分かってる。そんな遠くになんていかないわよ。すぐ戻ってくるから」 だから追いかけてこないで、と無言の圧力をかけると犬夜叉も黙らざるを得ない。実際に、正直なところ、犬夜叉も“一人になりたかった”のだ。仕方なく了承の意を込めて黙るとかごめは振り向かずに手を振ってそのまま奥へ消えた。 その後姿が消えるまでぼんやりと見つめていた犬夜叉は、やがてその姿が見えなくなると自己嫌悪をこめた溜息をついて、手で顔を覆った。 (あれは絶対気付かれてるな) 隠し事は無理な性分だという自覚はあったが、少女に気遣われるほどに重症だとは思わなかった。 とさりと後ろの木にもたれ掛かって前髪をかきあげる。 目を閉じて脳裏を過ぎるのは、昨夜の出来事のせい。 気配を感じてそっと抜け出したその先にいた、青白く光る死者の眷属。 その先に居る者。確かめには行かなかったけれど、間違いなく、その先にいるのはかの巫女で。 会いに行こうと、一瞬は考えた。しかし、見つけた死魂虫が抱えて運んでいた魂に足を止めてしまった。 血の通わない冷たい躯を動かすものは、他者の魂。 彼女が、もう既に居ない筈の者だと、理屈で理解できていても、実際に動き、触れる度にそれを否定したがる心の内側。たとえ今は紛い物の躯であろうとも、自分が以前、愛した者の“魂”であることに変わりは無い。 抱きしめたときの感触は、50年前のものとまったく変わらないのに、冷たく墓土のにおいを纏わせるかの人。 そんな彼女が――桔梗が、他者の魂を糧としてしているところは、見たくない、と。 それは逃避にしかならないということは十分に理解しているのだけれど。 (いや、違うか) 理解なんてしていない。 現実に向き合うのが怖くて、足が竦んだ。それだけが、理由というわけではないけれど、それでも、現実を直視することを意図的に避けていた。 そうして、そんな心の内すらも、少女に、否、恐らく残りの二人にすら見破られて。 「馬鹿みてえ」 結局、彼女に付くことも、現世を離れることも、覚悟が足りないのだ。 理由は分かっている。生にしがみつくきっかけを与えたのも、まだ離れたくないと思わせる理由も、全てあの少女の存在が、在るからこそなのだから。 * * * 「馬鹿みたい。こそこそするから余計にばれちゃうのよ、犬夜叉のばか」 ぽつりと呟いて、かごめは足元に落ちていた小石を靴の先端でこつりと蹴った。 自分たちのため、ということをわざと匂わせながらも、結局は、こちらを二人きりにする為に折角、弥勒と珊瑚がお膳立てしてくれたというのに、それを自ら壊してしまった自分も、そうせざるを得ない雰囲気を撒き散らしていた犬夜叉本人もどちらも馬鹿だとかごめは沈んだ気持ちでいっぱいになった。 少年の様子がおかしいことには、今朝から気付いていた。 普段通りに構えているつもりだろうが、如何せん彼に嘘やごまかしなどといったことは、そのまっすぐな気性故に、決して出来ない。うっかり気を抜けば、どこかぼんやりと遠くを眺めるような眼差しをしているし、こうして休憩を申し出たときにあっさりとお許しが出ること事態がありえないのだ。 いつも、最後はかごめがおねだり同然の切り出し方によってようやく得られる休憩時間は、いつも何か訳も無く急く彼が理由もなくあっさりと認めるわけが無い。許可があっさりと出ることは即ち、本人が無意識のうちに、休みたいと思っている証拠なのだ。 だから、最初はどこか具合でも悪いのだろうかと心配したけれど、実際、体調は外傷もなければ病気というわけでもない。普段通りに健康体そのもので。 だとすれば、彼に翳が差している理由はもう一つしか思い浮かばなかった。 「桔梗、か」 ぽつりと声に出した言葉に妙な重みを感じた。 “こちら”へ戻ってきたとき、折り合いはつけたつもりだった。 かの巫女を、桔梗を好きな犬夜叉のことを諦められないのならば、その彼女を好きな犬夜叉ごと好きになろうと、決めたつもりだったけれど。そこまで寛容できるほど、かごめは恋愛に慣れている訳ではない。 否、これが初めての恋愛だったのだから、慣れているどころかまったくの初心者もいいところだ。 (割り切るなんて、出来ないわ) でも、桔梗【そちら】を見ないでなんて、我侭なことは言えない。 「私、心なんて全然広くない。・・・・・・・勇気だって、ないもの」 思うままにこの気持ちを伝えられたらどんなに楽だろうか。 でも、それは出来ないと、彼の心を束縛してしまうのはいけないと思うのは、自惚れだろうか。 「私、言うのが怖いのかな」 今更。 そう、今更だ。 言葉にしなくても、かごめが、犬夜叉が、互いに感じている感情なんて、言葉にしなくても分かっている筈だ。 言葉にするのは、はっきりとした区切りをつけるため。 だからこそ。 (断られるの分かってて、言える訳ないじゃない) 正確には、少年を困らせることにしかならないと、分かっているからだ。 もし好きと口ではっきりと伝えれば何か変わるとしたら、自分たちの中で変わるのは、きっと、今以上に離れた心の距離だけだ。 犬夜叉は、かの巫女の想いを受け止める覚悟を決めていた。 それに待ったをかけたのは、紛れも無い自分。 傍に居られるだけで十分だなんて、そんなことない。 傍にいれば触れたいと感じるし、愛しいと想う。触れて欲しいと思う。愛して欲しいと思う。 「あーあ」 涙腺が緩くなる予感がして、わざとらしく大きな声を出してそれを誤魔化した。 (仕方ないよね、犬夜叉の「好き」はもう、桔梗のものなんだから) だから、自分の出来る精一杯のことをやらなければいけないのだ。 ぱん、と頬をたたいて「よし!」と意気込むとくるりと方向転換して、早足に犬夜叉の元へ戻る。 いつまでもこんなままは自分らしくない。 精々、皆の前では元気に笑っていられるように、つらいことなんて忘れてやると。 決意新たに踏み出した歩みに迷いはなかった。 その、瞬間だった。 (みつけた) 「!?」 ふと、聞こえた気がした声にかごめは勢い良く後ろを振り返ったが、誰も居ないし、気配もない。 空耳だったのだろうか。それにしてはやけにはっきりと聞こえた気がしたのに、と首を傾げながらも、早く戻ろうと歩き始める。 そして、誰も居なくなったその空間にふわりと現れる“紅い靄”。 (見つけた、見つけた) 実体のない“それ”は、かごめの通った道筋を辿るかのように、先ほどまでかごめのいた場所へと降り立ち、輪郭のぼやけた人のような形で薄っすらと笑みを浮かべる。 (見つけた、見つけた。強い巫女) (やっと見つけた。これで・・・・・・) しかし次の瞬間に吹いた風が凪いだ頃には、その靄は姿を消していた。 (やっと見つけた、私の贄。 これで、これで私の願いが叶う。 これで私の想いが届く) “そこ”にはもう、何も無い。 あるのは唯の、平穏な静寂の守りだけ。 【続】 時間軸的は確定していないけれど、18巻終了後、七人隊シリーズ突入前くらいをイメージ。 まだ、犬夜叉がお姫の気持ちに依存して甘えてる頃。 こっちは放っておいても大丈夫なんて思ってたらなくしちゃうよ、大事なもの。 なくして気付くのは遅いんだって、もう知っている筈なのに、ね? (H17.10.25) BACK 前章 次章 |