旅人の話 【聖女の伝説】 かつて、その村には聖女と呼ばれる巫女がいた。 傷は触れただけで、病も呪い【まじない】の言葉を掛けるだけで、たちどころに治してしまっていた。 そんな巫女は、人々からも愛され、彼女も人々を愛していた。 しかし裏では、酷い妬みを持つ者に疎まれていた。 あるとき、そんな巫女の噂を聞きつけて近くの国の王子がやって来た。 病に伏せる我が父を助けて欲しいと懇願する王子に巫女は肯定の返事を返したが、それを村人たちに話すと、 きっと分かってくれると思っていた村人たちは、神官と共に、巫女を村の外へと出すまいと頑なに拒んだ。 人々は、一度巫女を外の世界へ出してしまうと、二度と戻ってこぬのではないかという妄執に囚われていたのだ。 神官たちは王子を村に入れまいと結界を作り、村人たちは巫女を騙して地下に閉じ込めた。 やがて王子は諦めてその村を去り、その暫く後になって、風の噂で王が亡くなったと聞いた心根の優しい巫女は 助けてやれなかったと自分を責め、その苦しみから逃れるかのように静かに息を引き取った。 そしてそれから、その村は―――― 「ところで、貴方のお名前は?」 そう訊かれたのは、一緒に簡単にランチを取ったあとだった。 「・・・・・・・・・・・・・・」 「あっ何?!その沈黙!」 「いや、別に」 きっとこの村では一番長く一緒にいるというのに、今頃になって名前を聞くなんて、というのが半分と、 やっと訊かれてしまったというのが半分。 「ねえ、名前は?何ていうの?」 「・・・・・・・・・ナナシノゴンベー」 「本当にそれで呼ぶわよ」 「冗談だ」 じと目で睨んでくる少女からわざと視線をそらしながら旅人はどう答えようかと内心で考えあぐねいていた。 適当な名前を使って誤魔化すことはいくらでもできる。しかし旅人は何故かそうする気が起こらなかった。 はあ、と溜息をつくと、旅人は観念して、答えた。 「ない」 「・・・・・・え?」 「ない、っていうより、忘れた。名前とか、故郷とか、旅の理由とか」 「ご、ごめん・・・・」 「気にすんな」 頭の回転が速い少女で助かった、と思った。 全てを言わなくても、大抵はすぐに察してくれる。そんなところは“彼女”に似ていると思った。 ――――尤も、“彼女”は少女のように、くるくると表情豊かに変わりはしなかったけれど。 「あ、でも、仮の名前ならあるんじゃないの?宿の帳簿とかにも書かなきゃいけないし」 「・・・・・・嘘の名前聞いても仕方ねえだろ」 「いいの。いつまでも旅人さんだと私が落ち着かないの」 きっぱり言い切られて、旅人は小さく溜息をついて、昨日と同じことを思う。 全く、厄介なものに懐かれてしまった。 「・・・・・・・サクヤ」 「サクヤ?」 「って、呼ばれてた。俺の連れに」 「連れ、って・・・・・・でも、貴方一人で此処に来たんでしょ?」 「途中ではぐれて、それっきりだからな。旅の目的だって、何もないのは気持ち悪いから、そいつ捜すこと目的にしてるし」 言ってから、途中で余計なことまで口走ってしまったと思ったけれど、撤回しようにも出来なくて、旅人は黙り込んでしまった。 しかし、少女は特に気にした風もなく、そっかー、としきりに感心していた。 「恋人さん?」 ぶっ! 落ち着こうと、食後に出された紅茶を喉に流し込んでいるときに唐突に出てきた言葉に旅人は咽こんだ。 「な・・・・・」 「あ、やっぱりそうなんだ。私勘鋭いでしょ?」 「ってオマ、あてずっぽうかよ!」 「違うわよ、勘よ、勘」 「同じだろ!」 「大分違うわよ!いい?あてずっぽうっていうのは・・・・・」 「あーもう煩ぇー」 「あっ酷!」 ふと、こんな会話が出来るほどの仲になっている自分たちに気がついたけれど、旅人は気付かなかったことにした。 気付いてしまえば“後で辛いことになる”可能性があることを、知っていたのだ。 久しぶりに本気で笑いあって、暫くして、何の気なく、旅人は尋ねた。 「お前は、この村の連中のこと、好きか?」 「え?何、急に」 「いーから」 「・・・・・・・・好きだよ、神官さん達は皆頭硬いけど、基本的にすごく優しいし。村の人たちだっていい人ばかりでしょ?」 「・・・・・そうか」 旅人の質問の意図が読めずにきょとんとしている少女の頭を撫でてやると、旅人は椅子を引いて立ち上がる。 「ほら、その頭硬い神官があっちでお前捜してるぞ」 「うそ!?」 指を指してやった方には、確かに神官たちがこちらを見て苦い顔をしていた。 正確には、旅人の顔を見て、だが。 「もーっ何でこんなに迎えに来るのが早いのよっ!」 「仕方ねえんじゃねえか?得体の知れない余所者が“大切な姫様”の近くにいるんじゃ」 「・・・・・それ、皮肉?」 「事実だろ」 少女に気付かれないように、神官たちに舌を出してやると、渋面の色が更に濃くなって、少しだけ溜飲が下った。 「それじゃ、ちょっとしたらまた抜けてくるけど、サクヤ君はどうする?」 「・・・・宿にいる。あと、君はつけんな、呼び捨てでいい」 「了解、じゃあね!」 手を振って、神官たちのもとへ駆け寄る少女を見送りながら、旅人はポケットの中の懐中時計に触れる。 「・・・・・・放っておいても、いいんだけどな」 何しろ、手掛かりがなさ過ぎる。片っ端からぶつかっていく事に、越したことはない。 「結構、情が移っちまったのかもな」 これで、あの少女に会うのも最後かもしれない。 そう思うと、少しだけ残念に思えた。 真っ直ぐ宿に踵を返して、部屋に閉じこもると此処暫く使っていなかった得物を取り出す。 刀身は刃毀れもない見事なものだ。刀を扱う者の力量次第では、僅かな力だけで岩すら切り刻むことの出来る剣。 特に名産というものもなく、しかし寂れているという訳でもなく、ただ、 今あるものだけでひっそりと静かに生きている感のあるそんな村だった。 しかし“旅人”はそんなありふれたものが何よりも大切なことをとてもよく知っていたので、 羨ましがることもなかったけれど、ただ良いことだろうと、他人事としてとらえていた。 生ぬるい安寧の時間を悠々とした時間の中でひっそりと生き続ける村。 旅人がしようとすることは、それらを全て壊してしまう行為であった。 僅かに罪悪感が胸をつくが、それも今更のこと。 何度となく味わってきたものだ。慣れるつもりはないが、いつまでも感傷していられない。 暫くして、こんこん、と小さくノックの音が聞こえた。 思ったよりも早く、少女は抜けてこられたようだ。 扉の前の気配に、旅人はそっと扉を開けてやる。 予想通りの姿を見付けて、旅人はそっと笑った後、部屋の中に招いて、ただ一言だけ。 そっと、訊ねた。 「お前は、幻か?」 「・・・・・・・・さあ。“核”を壊せば、分かるんじゃない?」 いつもと変わらない笑みで、少女はそう、答えた。 インターバル話と話の核心が一気に。 BACK NEXT 【06.1.14】 |