旅人の話

【安寧の少女】












そこは小さな村だった。



特に名産というものもなく、しかし寂れているという訳でもなく、ただ、
今あるものだけでひっそりと静かに生きている感のあるそんな村だった。
活気に溢れている訳でもないが、小さな子供が、5〜6人で固まって、地面に何やら描いたり、追いかけっこをしたりして遊んでいたり、そんな子供たちを、何処かへ出荷するのであろう、大きな荷を背負った大人たちが微笑ましく眺めながら、仕事をしている。

ただ、そんな小さな村にしては珍しく、小さな神殿が建っていることが妙に印象に残った。

それ以外は、本当になんでもない、ありふれた、けれど暖かな村だった。
しかし“旅人”はそんなありふれたものが何よりも大切なことをとてもよく知っていたので、羨ましがることもなかったけれど、ただ良いことだろうと、他人事としてとらえながら、二階建ての宿の窓辺に肘をついて、村のそんな景色を何となく、見つめていた。

今度は小石を蹴って遊びだした子供たちを眺めていた旅人は、ふと、村人たちの雰囲気が一変したことに気付いた。
皆が一様にある場所を向き、恭しく笑いかけているのだ。
大方、村長か、または神殿の神官か、どちらにしてもとても村人たちに親しまれているのだろう。
そんな雰囲気が、遠くからでも伝わるような気配に、旅人は僅かに溜息を吐いた。
それは自分に向けられたものではないと分かっていても、人に穏やかな目で見られることは苦手で仕方がなかった。
これは性分なので、仕方のないことなのだろうと、銀の髪を乱暴に掻き毟ると、そっと窓辺から離れた。

一人掛けのテーブルに無造作に広げられた古びた地図の上に転がされたペンを取ると、村の位置を確認して、村に×の印をつけて、一息つく。
まだここにはやって来たばかりだけれど、きっと自分が探すものは見つからないだろうと思った。
穏やかで、平和で。ひたすら自分には不似合いだ。
そんな自分の探すものがここにあるとは思えなかったのだ。

一応の幅を取って、三日間の滞在を宿の主人に言っておいたが、これはさっさと次の場所へ移った方がいいのかもしれない。
そう思い、旅人は腰を上げた。
着いたばかりで今すぐ出ていくのは些か間の抜けた話だし、不審だ。それに、旅から旅への生活をしていると、いつ何が足りなくなるかも分からない。この小さな村で、どこまで揃えられるかは分からないが、邪魔にならない程度の荷ならば買い足さなければならない。
そう考えれば、頃合としては明日の今頃出るのが丁度いいだろうと目星をつける。

一歩踏み出すごとにきしりと悲鳴を上げる床を進んで、同じくきしきしと鳴く階段を下りると、食堂兼カウンターがすぐに見える。
気の良さそうな女将が、旅人が降りてきたことに気がついて「あら」と呟く。
「どうしました?お兄さん。お出かけですか?」
「いや・・・・・ちょっと、」

小さな村にはよくある、気軽な喋りかけに、内心少したじろぎながら旅人が用件を切り出そうとしたとき、からんからん、と宿の扉が少し勢いをつけて開いた。
旅人も女将も、反射的にそちらを見て、そして女将は本当に嬉しそうな声で「まあ!」と感嘆の声を上げる。
そこに立っていたのは、年頃の少女だった。
大きな紫水晶のような瞳に、黒曜石よりも深い、腰より少し上まである黒髪。
ふっくらとした桜色の頬や、柔らかな曲線を描く輪郭は、珍しい程に典型的な美少女だった。

しかし、旅人が感じたのは、その顔を見て抱いた「可愛い」という感想でもなく、“似ている”というただそれだけだった。
少女は、女将に人好きのする笑みをにこりと浮かべて挨拶を述べた後、旅人にも同じように屈託のない笑顔を向けて「良かった、いたんだ」と、女将と同じく、気軽な口調で旅人に声をかけてきた。
旅人は、それどころではなかったけれど。

「・・・・・ききょう」
「え?」

きょとん、と首をかしげる少女にも構わず、ずかずかと少女に近付くと旅人はその手を取って、まじまじと少女の顔を見つめた後、小さく溜息をついて謝罪しながらその手を離した。
「悪い。人違いだった」
「う、うん・・・?」
いまいちよく分かっていないらしい返事を返す少女に、すでに興味は失せたとばかりに、顔も見ずにひらひらと手を振って見せると、ようやく我に帰った少女の方が逆に旅人の服の裾を掴んだ。
「・・・・・・何だよ?」
「あ、いや、うん。・・・・・・・えと、今日来た旅人さんって貴方でしょ?」

確かに、今日の少し前にここについたばかりの旅人は、他に宿に泊まっている人間もいないだろうと、小さく頷いて見せると、女将も愛想良くそれに同意してくれた。
「何せこんな辺鄙な村ですからね、旅人さんも久しぶりですよ」
「そっか。・・・・・あのね、旅人さん、今からお時間暇じゃないかな?」
「え?」
「旅のお話聞きたいんだけど、駄目かな?」

手を組んで上目遣いで訊ねる仕草は成程、非常に愛らしい。
女将の態度にも納得がいくというものだ。
「・・・・・・面白くもなんともねえよ、旅の話なんて」

言ってからしまったと思った。
別に意識していたわけではないが、言葉が僅かに冷たくなってしまった。
一瞬、少女が悲しそうな顔をするのではないかと焦ったが、意外にもそんなことはなく、ただきょとりと小首を傾げた後、首を横に振ってもう一度笑顔を向けてきた。
「いいの。私が聞きたいだけだから。」
「〜・・・・・」

伝わっていないのか、わざとそらしたのか。
どの道、白旗は上げざるをえないだろう。

ふいと顔を背けて扉を開けると、「買い物しながらでいいなら」と少女に告げる。
すると少女はとても喜んで頷いて、旅人の後に続いた。
後ろの方で女将が「いってらっしゃい」と見送ってくれた。



 * * * * 




「それじゃあ、東の国は殆ど行ったんだ!」
「地図に描かれてない町とか村もある訳だから、本当に殆どかは知らねーけどな」

右腕が埋まるほどの紙袋を抱えながら、さっきサービスだと貰った林檎を齧りながら旅人は言った。
丁度良く熟した林檎は口の中でほんの僅かの酸味と甘さを伝えていた。
少女もそれに続きながら同じく林檎を齧っていた。

買い物も終わって、することもないが話は終わらず、手持ち無沙汰だと思っていると、今度は少女が村の案内を買って出てくれたので、付き合うことにした。
といえども、そんなに大きくない村だ。
役所や町議の行われる所、買い物できる場所さえ教えてもらえれば、後は知らないところなんてないという風な具合で、
少女の尋ねることにいちいち返答しながら回っているだけではすぐにまた暇になってしまう。
さて、案外にも、この少女と話すことに最初は抵抗があったものの、話し始めてみればそんなに苦痛ではないことに気付いたので、ではここでと話を打ち切るのも少し悪い気がしていた。

あまり悪目立ちしたくないからと、見知らぬ土地ではなるべく宿以外で立ち往生するような真似は避けていたかったが、“今更”だ。これ以上目立ったからといって何があるわけでもない。何処かに座るかと勧めると、じゃあ、あっちに行こうとぐいと腕を引かれる。半分もない林檎が拍子に落ちそうになったのを掴みなおして、少女の後に続くと旅人は、古いが手入れがよくされているらしいベンチに座るように勧められた。荷を足元に置いて、少女が隣にちょこんと座るのを見ると、旅人は「どこまで話したっけ?」と聞く。
少女が「東の国境の話」と答えると、「そうだったな」と、どう語ろうと、僅かに当時に思いを馳せる。



そうして時間を過ごして、どれだけになったか。
遠くの方で、『姫様!』という声が聞こえたと思ったら、隣の少女が途端に苦い顔をする。
「ごめん、お迎え来ちゃったみたいだから、私、もう行かなきゃ」
「・・・・ああ」

本当に申し訳なさそうに言われて、旅人までかえって恐縮してしまう。
「ていうか、姫って・・・・」
「ああ、あれ?勝手に言ってるだけで、私は何の身分も持ってないただの村娘よ」

ただの村娘がそんな大仰な呼び名で呼ばれる訳もあるまいに、と思ったけれど、旅人はそうか、と答えた。
人には、大なり小なり事情があって、本人がそう言い張るのならばそれでも良いだろうと考えていたからだ。
そうこうしている間に、先ほど呼びかけていたらしい、神官服を身に纏う男たちが少女を見つけて慌てて駆けて来た。
そして、隣に旅人の姿を見つけて苦い顔をした男は、旅人に挨拶らしい挨拶もせずに、少女に「御捜ししました」と告げる。

旅人が邪険にされるのは今に始まったことではないし、どうやらこの自分についてきていた少女は、この村の中では大変重要な箇所に存在しているのだろうことは、村を案内されている最中の村人たちの様子でとてもよく分かっていたので、見ず知らずの旅人が、そんな少女の近くにいれば良く思わない者だっているだろう。
どちらにしても、旅人にとってはどうでも良いことだった。

「もうじき日も暮れます。どうぞ、神殿へお帰り下さい」
「分かりました!・・・・・・それじゃあ、旅人さん」

唐突に話を振られて、旅人は慌てて顔を上げると少女はにこりと笑って、
「明日もまだいらっしゃるんですよね?また、お話を伺いに行っても構いませんか?」

姫、と諌めるような声も無視して少女が答えを待っていたので、旅人は「ああ」と答えた。
途端に喜色を浮かべる少女に、無意識で苦笑しながら、それじゃあ、またと別れを告げる。
「あ!」
神官と背を向けていた少女は突然声をあげたかと思うとすぐにこちらへ引き返してくる。
何事かと思うより先に、少女はまた、笑顔を向けて言う。
「私、かごめっていうの。色んなこと話したあとなのに自己紹介忘れちゃってた。ごめんね、また明日」

神官に聞こえないくらいの小声で、まくしたてるようにそれだけを言うと少女は苦い顔をしたままの神官の横に戻って、そのまま帰っていった。

旅人は、厄介なものに懐かれてしまったと小さく溜息をつくとそのまま宿に引き返そうとした。






しかし、途中でぴたりと歩みを止める。
不審な気配が旅人の周りを取り囲んでいた。
旅人が足を止めたことで、観念したのか、一人の男が出てきた。その男も、神官の服を身に纏っていた。
しかし、帽子を目深に被っているせいで、顔ははっきりと見えない。
「ご無礼、お許し下さい」

抑揚のない声で男は言う。しかし、言葉とは裏腹に、男が本当に申し訳なく思ってはいないことは明白だった。
「別に私共は貴方に危害を加えるつもりは一切ありません、しかし、一つだけご忠告をしたく」
「・・・・・・・何だよ」
「我が村の姫君はいたく貴方をお気に召したようです。しかし、姫君にはこの村の人々だけを満遍なく愛して頂かねばなりません。出来れば、旅人さんの方から早めにこの村から出て行って頂きたい」

その言葉で、旅人は“確信”した。

「・・・・・・分かった」

言葉少なにそう告げると、神官たちは満足したのだろう、その場を去っていった。
旅人はその足でそのまま宿に戻ると、カウンターにいた女将に挨拶もそこそこ、一言だけ告げた。

「俺の滞在期間は“最初の通り、何があっても3日間だから”」

何のことか分からずに、曖昧に頷く女将に背を向けると旅人はひっそりとほくそ笑んだ。








姫は女の子の敬称の最上級形です。



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【06.1.12】