旅人の話 【終焉の見えない絵本】 一人の旅人が、何もない丘の上からずっと下の景色を見渡していた。 金の瞳に、銀の髪。それらを全て、茶のコートや黒の帽子で隠すように包んでいた。 風体から、薄汚れた身なりの、旅から旅への青年なのだと知れた。 その隣には一人の女性が立っている。 青年の、今からやって来る季節に備えた生地の厚い服ではなく、ひどく軽装なもので、これもまた同じく青年とは違い、その服装に目立つような汚れは見当たらなかった。腰の下まで伸びた見事な黒髪は、到底何日も手入れされていないような状況におかれていないのは明白なほどに透き通っていた。 足元を踝まで隠すようなふわりとしたスカートの横に携えられた武器のようなものだけが、唯一、青年と同じ旅人の装備であるだけで、一見すれば、少し遠出をする何処か貴族の息女と、ボディガードという組み合わせにも思えた。 「ねえ、あなた」 女性がゆっくりとした口調で口を開いた。 「次は何処へ行く?」 「・・・・・・・・・さあな」 そっけなく返すと、青年はさっさと踵を返してしまう。 そんな後姿を、女性はただ失望するでもなく、かといって期待していた態度ではないのだろう、特に嬉しそうにもせず、ただ無感動に見つめていた。 そして、暫くしたところでようやくその後姿に付き添うように歩を進める。 いつになれば終われるのだろう。 いや、そもそもこの旅は、いつ始まったのだろう。 何が目的なのだろう。 何を得られれば、終われるのだろう。 そもそも、自分は終わりを望んでいるのだろうか。 青年は何も知らない。付き従う女性も、何も知らないという。 「なあ、―――」 ぴたりと青年は足を止めて、女性の名を呼ぶ。もう幾度目かと知れない質問を、後ろに佇んだままの付き人に問い掛ける。 「俺は、何で何も答えを持っていないんだ?」 「・・・・・・その前に、問い掛けすら持っていないから、でしょう?」 「じゃあどうして俺は問い掛けを持っていない?」 「さあ。だから旅をしているのでしょう?」 そこまでは、いつもと同じだ。 そして青年が興味なさそうに「そうか」と返せば、いつもどおりだ。 そうして不毛な掛け合いも終わり、また別の日に同じことを繰り返す。 しかし、このときばかりは少しだけ違った。 「―――?」 女性が、旅人の名前を呼ぶ。けれどそれは旅人には聞こえない。 ただ、自分が「呼ばれた」ことだけを感じ取り、肩越しに振り返る。 「・・・・・なあ、“これ”は、旅をする以外に手に入れることは出来ないのか?他の方法はないのか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・!」 女性が息を呑むのが聞こえた。 滅多に変えない表情の中に静かに浮かぶ昏い紫を大きくさせて、今まで見たどんな顔よりもはっきりと『驚きの表情』を浮かべていた。 どうかしたのかと訊ねようとして、しかしそれはかなわなかった。 女性は僅かに眉を寄せて、悲しそうに口元を引き結ぶと、そっと目を伏せた。 「気付かなければ、虚しさを抱く代わりに孤独からは無縁でいられたでしょう」 「・・・・―――?」 「口にしなければ、不変でいる代わりに苦しみはなかったでしょう」 「―――!!」 旅人の呼びかけも聞こえないように、決まった台詞を言うように女性は朗々と淀みない口調で続ける。 「しかしあなたは気付いてしまった、口にしてしまった。」 「だからあなたは孤独を抱き、苦しみも受け入れなくてはならない」 「・・・・・おい、何の話だよ」 「あなた、の」 詳しく訊ねようと、旅人が口を開きかけたとき、そっと女性は口元に静かな笑みを浮かべて、声に出さずにそっと告げる。 さ よ う な ら と。 「え?」 瞬きをした一瞬で、女性はそっと、掻き消えた。 どういうことかと慌てて旅人は辺りを見回したが、女性は影すら何処にも見当たらなかった。 「―――!」 「―――!おい、何処行ったんだよ、―――!!」 一人の旅人が、何もない丘の上に佇んでいた。 金の瞳に、銀の髪。 それらを全て、茶のコートや黒の帽子で隠すように包んでいた。 風体から、薄汚れた身なりの、旅から旅への青年なのだと知れた。 たった一人で佇んでいた。 隣には誰もいない。 そこには誰も、“いなかった。” BACK NEXT 【06.1.10】 |