第二十話 波紋






かごめが帰ってきて、ようやく落ち着いた、元の生活に戻り始めた最初に迎えた日曜日。
時刻は昼食を摂るには少し遅く、菓子をつまむ時間にも少しばかり早かった。

その時間帯にも関わらず、嬉しそうにかごめの膝の上を占領して、その上でぱりぱりと可愛らしい音を立てながら人参の野菜スティックを平らげるハルを撫でながら、当のかごめの表情は真剣味を帯びていた。

・・・・と、出てきたついでの余談だが、『ハル』とは、説明するまでもないだろうが、かごめが拾ってきた兎の名である。
命名も世話も勿論かごめ。犬夜叉の方はというと、面白いくらいに無関心なので論外であるが。



それはともかく。

「桔梗は・・・・俺が初めて惹かれた女だった」
先に沈黙を破ったのは、犬夜叉の方だった。
過去形になっていたが、きっと少なくとも今でも彼は・・・。分かっていたが、云って話の腰を折る気は、かごめには無かった。




犬夜叉の、話の大まかなものはこうだった。

犬夜叉と桔梗が出会ったのは、今から三年も前のこと。
当時、犬夜叉は十六で、桔梗は十七で、特に共通するようなものは何一つなく、学校だって違っていた。
生きるには何不自由なく育った犬夜叉と、何不自由なく育ってきた桔梗。

彼らにただ、不自由があったとすれば、全てにおいて完璧だった事。

財力などは勿論のこと。容姿、頭脳、体力、感性は、人の並を外れていた。
その為・・・彼等ずっと孤独の中にいた。だから人との付き合いも億劫で、面倒で・・・・

そんな中で出会った二人だった。
最初は、偶然河原に散歩に出ていた犬夜叉と、進路について悩んでいた彼女とが鉢合わせして・・・両方、別に赤の他人という訳でも無かった為、思わず立ち止まり、思わず声を掛けてしまった。それだけのことだ。
ただやる事成す事全て鏡の中の自分のように重なってしまってやはり同時に吹き出してしまった。

たったそれだけの話。


初めて会った時のお互いの立場は何のこともない、ただ親の営む会社の取引を見にくるよう云われ、出会った。
なんでも、一時だけ互いの利害の一致で組むことになったという会社間での契約の場を設けたとか。
元々、桔梗も犬夜叉も、こと他人に関して何かを感心して自主的に行動する気はさらさら無かったということもあり、ただその時は同じ境遇者が自分の他にも居たのか、くらいの感慨しか沸かなかったのだ。


だが話をしていくうちに、本当に自分達は似ている、という事を知っていき、加え親達の交流もあった為、それから意識し始めると会える機会がめっきり多くなった。
だから、異性として意識して、気になり始めるのにも、大した時間は掛からなかった。






「でも・・・・な。」
苦笑混じりの表情で、犬夜叉は続けた。
「結局、本気になってたのは俺だけだったみてえで・・・・お前と会う2ヶ月前にはさっぱり振られた」
「え・・・・・?」

どうして、と不服そうな表情で眉を顰めるかごめに半ば弁解のように付け加えた。
「云ったろ?会社が協定を組んだのは一時的。その『一時的』が解除された時、会社間の・・・しかも一応子息と令嬢に当たる人間が、何時敵対するかも知れない会社の者と馴れ合ったら死活問題だ」

「だからって・・・・!」
「それに、はっきり云われた。『好きになったことはあったけれど、今はもう別の人が居る』ってな。実際一緒に居る男を見た。
アイツ・・・すっげえ楽しそうに笑ってた。・・・だから、俺も吹っ切った」

未だ納得してなさそうな表情で自分を見つめるかごめを見つめ返す犬夜叉の眼は、とてもではないが、かごめには吹っ切れた者の顔には到底見えなかった。
だがもう、口を挟む事はしなかった。一応、自分の知りたかった事は、彼は教えてくれた。
何故、たかが『桔梗』という単語にあそこまでうろたえたのか。何故、彼女の話題が来た時に犬夜叉が悲しむのか。
・・・何故、素性も知れない自分を受け入れる事を彼が決めたのか。

桔梗の代わりという回答は、間違っても云ってはいけない。

ただ、誰かに依存でもしなければ己の心が壊れそうだったから。

憶測に過ぎなくとも、彼の感情の起伏を読んでいたらそういう結論に当たった。きっとこれは、間違いではない。

(・・・・・どっちが、だろう?)

それは、そう思っていたのは、果たして犬夜叉か、己か。
誰かに依存しなければ心が壊れそうなのは、かごめも一緒だった。寂しいと感じていたのも一緒だった。
じゃあ、犬夜叉と自分があのだだっ広い森の中で奇跡的に出会えたのは、もしかしたら波長が彼と重なったから?

結論に行き着くと、かごめはふっと、笑みを零した。

自分の厄介な能力が、寂しいと、波長が一緒だった犬夜叉を無意識に呼んでいたのだろうか?
そう思うと、滑稽に思えた。自分も、犬夜叉も。


深刻な話をしていた筈なのに、突然笑ったかごめを不審そうな表情で見ていた犬夜叉にかごめは不意に背を預けた。
「私・・・・ね。小さいころ、ずっと自分一人だけが不幸なんだって思ってた」
どうした、と問う犬夜叉の言葉を遮って、かごめは云った。

「部屋から出る事を許されずに、ずっと綺麗な部屋に閉じ込められて育った。外を自由に飛んでいる鳥を見て、何度羨ましいって思ったか知れないもの。」

「お・・・お前」
記憶が戻ったのか、とは続けなかった。否、彼女の零したものを見れば、そんな気起こらなかった。

涙・・・?

「大切な弟に会うのにも、いちいち他人の許可を取らなくちゃいけなかったし、近くには必ず監視の眼があった。
好きでこんな耳を持って生まれた訳じゃないって、何回も反発したし、少しはお母さんも恨んだ。
どうしてわざわざこんな姿の私達を創ったんだって」

確認するように、ゆっくりと噛み締めてかごめは云う。
構わず落ちていく雫は、クリーム色の服に無地の染みを作る。ハルに涙が掛かってはいけないと、かごめは隣に置いてあったケージの中にハルを入れた。そして罪の赦しを請うような告白を続ける。

「後で知った話。母さんってば、本気で猫を愛してたから、私達を創ったのであって、決して実験なんかじゃないって。
そう聞いて、何か安心した。私達は、形はどうであれ、望まれて生まれたんだよねって。
・・・本当、笑っちゃうわ。猫を愛する、なんて。改めて思うと可笑し過ぎるけど、母さんは本気だった。
本気で、それで私達が生まれたんだって思ったら、少しは救われた。だから、今は草太は死ん・・・・」

とうとう堪えられなくなった嗚咽に、最後の言葉は消えて、かごめの体は背もたれにしていた青年の腕の中にあった。

「・・・・いい。もう云うな。」

何も伝えなくても、このひとは、何故こうも自分を解ってくれるんだろう・・・・?

嗚咽は余計に止まらなかったけれど、かごめは確かにこの腕の中に居る事を、幸せに思った。



『ねぇ、犬夜叉。私、まだ不完全だけれど、全部を思い出したら、どうしたらいいかな?』


『・・・んなこと、分んねぇよ。だから分るまでこのままでもいいんじゃねえか?』


『そんな悠長な事云って。犬夜叉がおじいちゃんになるで分かんなかったらどうするのよ?』


『そん時はそん時だろ?』


気楽に聞こえるやり取りはどこか本音が混じっていて。
いつまでもこの時が続かないのは、二人とも重々承知なのであって。


『私は良くっても、犬夜叉は大変ね、それじゃあ』


からかい合いのような問答に、多少の『願い』が混じっている事に、二人は気付いていて。


『一生独身って格好よくねえ?』


『・・・・・お人よし』


『お前ほどでもねえよ』


気楽な自分たちの願い事に、二人は苦笑を禁じえなかった。

                                              【続】

だから犬夜叉とかごめちゃんは恋愛感情持ってないんだって。あるとしたら兄弟愛に限りなく似た家族愛?(何その微妙なの)