第十九話 自ら望む束縛
何よりもまず、青年は喜んだ。
そして、同時に理不尽とも思える怒りと心細さがどっと吹き出して、何とも云えぬ表情で、目の前の少女を見た。
犬夜叉は、朧気に憶えていた道を覚束ない足取りで辿り、ついにその場所へと辿りついた。
その場所に、少女は見えなかった。
最初、彼は落胆したが、微かに聞こえる正しい息遣いを感じ、ふっと上を向いた。
すると、居たのだ。いともあっさりと。拍子抜けする程に。
落ちかけた陽に照らされて、彼女は小さな息遣いで見上げた樹の枝の幹にもたれかかって眠っていた。
犬夜叉が一瞬、このまま目を開けないのだろうかと危惧してしまうほどに酷く儚げに。
だがそれでも、彼女は居たのだ。
別段、待ち合わせした訳でもなかろうに、周りを針葉樹で囲まれた、たった一つの広葉樹の枝に。
家出だなんて、傍迷惑な事をされて、こっちは必死になって捜したというのに、この少女ときたら・・・。
何となく、起こすのは躊躇われたが、同時に湧き上がった激しい感情が、彼を動かした。
すたすたとその樹の下まで歩いてくると、犬夜叉は渾身の力を込めて樹の幹を蹴った。
「っひゃぁっ?!」
突然の振動に驚き、かごめは思わずバランスを崩し、枝から落ちてしまった。
だがそこに待ち構えていた青年の腕に抱きとめられ、彼女は怪我をせずに済んだ。
かごめはいまいち状況が読み込めず、ぽかんとしていたが、ふと自分を抱き抱える人物と眼が合うと逃げ出そうとした。
・・・・が、足と腰、両方を存外しっかりと持たれていた為、逃げ出す事は出来なかった。
そもそも、何がどうなって今、此処に居ない筈の青年にこうして抱きとめられているのだろう・・・?
だがそんな疑問も、犬夜叉の顔色を見ると一気に吹き飛んでしまった。
何も云わないが、彼は確かに怒っていた。それも、並の怒りようではない。
「あの・・・・・・・・どうして・・・」
「どうしてだぁ・・・・・?」
何と声を掛けていいやら判らずにおずおずと発した言葉に、犬夜叉は低い声音で彼女を睨んだ。
怖い、とは思わなかったが、ヤバイ、とかごめは思った。
「莫迦やろうっ!俺がどれだけ心配したか判んねぇからそんなことっ・・・・・・!」
てっきり、もっと罵声が飛ぶと思って眼を瞑ったのに、そこで彼の言葉は途切れてしまった。
不思議に思い、眼を開けると、そこにあったのは、怒った顔ではなく、酷く心配そうな顔だった。
切なそうに揺れる瞳に、かごめは心臓を鷲掴みにされた気がした。
「また・・・・何も食べてなかったのかよ・・・・」
ぐっ、と彼女を支える犬夜叉の腕に一層力が込められた。
俯いた途端に、かごめの頭から、それまで被っていたフードが簡単に落ちた。
でももう今はそんな事気にならない。
「・・・ごめん なさい・・・」
「謝って済むかよ・・・」
拗ねたような声と共に、かごめはふわりとようやく地面に降ろされた。
そこでやっと気付いたのは、樹から落ちた時もずっと抱いていた兎の存在だ。
犬夜叉も、かごめの視線に促されるように、ようやくその生き物の存在に気付いた。
さっきの犬夜叉の大きな声に驚いてか、辺りの匂いをひくひく嗅ぎつつも、先程よりも余計にかごめに擦り寄ってきた。
「・・・・・・?」
「あ、あぁ。この子は前、此処で知り合ったのよ。何だかずっと此処に居てくれてたの」
不思議そうな視線を向ける犬夜叉に、かごめは補足程度に説明した。
彼の方は納得したような、そうではないような表情で、地面に座り込んだ。
「犬夜叉・・・・?」
「・・・俺・・・・」
「ぇ・・・・・?」
微かに声が震える。
「俺が何かお前の嫌がるような事、知らないうちにして、お前を傷付けてたんなら・・・ここで俺のところに無理に連れ戻しはしない。でもここにずっとは居させねぇ。俺の所が嫌だったら、珊瑚も楓婆あもお前を引き取りたいって云ってる。だから・・・」
「違うっ!」
予想さえしなかった犬夜叉の言葉に、かごめはきつい視線で睨めつき、言い返す。
「違・・・・私は・・・ただ・・・・・・・っ・・・・・・・何でもな」
「・・・真柚か?」
ぴくっ・・・・・
肯定は出来ない。でも否定はもっと出来ない。事実・・・なのだから。
かごめはのろのろと顔を上げて、暫くするとすぐに下げて、兎の身体を撫でた。
その無言の態度を肯定と取り、犬夜叉は念押しのようにもう一度、尋ねた。
「真柚なんだな・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何も答えない。
それはともすれば―――何もかもを拒絶するような、確固たる姿勢。悪い言い方をすれば・・・・・・
犬夜叉は僅かに眉を顰めた。するとかごめはぱっと顔を上げ、慌てたように頭(かぶり)を振った。
「違っ!犬夜叉の事信用してない訳でも傍に居たくなくなった訳でもないのっ」
(私が・・・・怖いだけ。犬夜叉の口から決定的な言葉を聞くのが・・・・・)
云えない言葉を飲み込んで、かごめはそのまま押し黙った。
少しの沈黙を余韻で残した後、犬夜叉は不意に立ち上がり、かごめに背を向けた。
「・・・・・?」
「乗れよ。兎も持って」
不思議そうにきょとんと首を傾げるかごめに、じれったそうに彼は云った。
だが察しはついたが、かごめはなかなか行動に移ろうとしない。恥ずかしさや戸惑いが彼女の行動を押し留めていた。
犬夜叉ははぁ、と溜息を一つ洩らすと、こればかりは使いたくなかったという手段を使用する事にした。
「・・・帰ったら、教えてやるよ。桔梗の事」
「――え・・・・」
「だから・・・・・早く帰るぞっ」
不貞腐れたようにふいっと明後日を向くと、犬夜叉は無言で彼女を促した。
言葉と、その態度にようやくかごめが動きを見せたのまでに、そう長くは掛からなかった・・・・。
「かごめっ!」
いち早く彼等の存在に気付いたのはホームの壁に凭れて暇を持て余していた鋼牙だった。
鋼牙は、さっとかごめ・・・正確には犬夜叉も含めだが、生憎彼の眼にはかごめしか映っていないので・・・の傍に寄り、犬夜叉の背から彼女を奪い取ると、愛しそうにぎゅっと抱き締めた。
「って、てめ何を当たり前のよーにっ・・・・!」
「大丈夫か?!何処も怪我は無ぇか?かごめ!」
「う・・・うん。平気・・・ごめんね。心配かけて・・・」
自分を無視されて展開されたこの光景に不快を感じたか、犬夜叉は、鋼牙に奪い取られた速さで彼女を取り返すと、その二の腕の中に閉じ込めて、鋼牙に触れられないようにした。
・・・ムードが一気に一触即発状態になったが、間に弥勒が入って一応、その場は収まった。
犬夜叉の腕から解放されたかごめは、目の前の青年の苦々しい顔で困ったように俯いたが・・・
ぽんっ・・・・
優しく、かごめの頭に手を置き、撫でた。
「お帰りなさい。かごめ様。・・・もう一人で抱え込んで悩むのはよしなさい。
皆、貴女に頼りたいのと同じくらい、貴女に頼られたいんですよ。迷惑になるなんて考えないで、何でも云ってくださいね」
微妙に腰を屈め、かごめの目線に合う様に話し掛ける弥勒。
それはまるで、兄のような雰囲気で・・・・かごめは堪えていた涙を零し、弥勒の胸に飛び込んで、咽び泣いてしまった。
弥勒も、それをやんわりと受け止め、本当に優しく撫でてやった。
その様は、本当に血の繋がった兄妹のような雰囲気で・・・・。
独特の雰囲気に慣れ切れないながらも、別に恋愛感情のそれではないからと、
傍の二人は何とも苦々しい笑いを浮かべ、それを見つめていた・・・・。
“お帰り、かごめ―――”
【続】
最初弥勒×かごめも好きでしたが最近は兄と妹みたいな居心地いい関係な二人ってのが大好きなのです。
だってほのぼのしてて後味すっきりですものv
・・・・兎はまだかごめちゃんが抱っこしてます。
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