第十八話 『サイアイ』の貴方へ







何もかも諦めた時。

何も未練が無くなった時。


人は生きる意味を見失う。

際限の無い、途方も無い『闇』に、知らずとこころは悲観的になる。

まるで、世界の全てが自分の敵にまわってしまったような喪失感。孤独感・・・・。


だが、忘れてはいけない事がある。


たとえ、生きる意味を見失ったとしても、『見失った』だけなのだ。

其処に、まだ答えは存在するのだ。『生きる意味』を・・・・・。

見失ってしまった・・・・ただ、それだけだ。

見失ってしまったのならば、探せばいい。ただ、それだけなんだ・・・
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―――風が・・・吹いた。

柔らかく包み込むような、この時節には珍しい風だ。

少女は少しだけ眼を細め、風の吹く方向を見た。先ほどまでずっと眼を閉じていた為に、
その行動は億劫そうにも見えたが、実際彼女には何の感慨も無かった。

疲れも、眠気も、まして何かを見て感動を覚える事さえも無い。

思考力が無くなった訳でも、何に対しても興味が無くなった訳ではない。

一種の・・・・抵抗の真似事のようなものだ。


ふと、少女の足元近くで、葉の擦れ合う音がして・・・例の野兎はひょっこりと姿を見せた。
少女はそこでやっと、優しげな笑みを浮かべ、兎を抱き上げようとして・・・・それが口に咥えるモノに気付いた。

兎は小さい口の先にあるものを懸命に、少女に突き出し、受け取らせようとしているようで。


少女は、不思議そうにその兎の咥えるものの正体を見定めた。

「・・・これ・・・」

どこからどう見ても木苺を、果たしてこの小さな身体でどうやったのか知れないが、大きな葉に包んでいたのだ。
少女は困惑と同時に、それの言わんとする事を察し、口の中で苦々しく笑った。

「あなたにまで心配されるほど危なっかしく見えたの?私」

渡した兎の方は、既に我関せずと言った具合に、少女の腕の中で毛並みを整えている。

少女はくすり、と笑い、風の吹く方角をじっと、凝視した。

何かを待つように。何も来ないで欲しいと願うかのように。じっと・・・・・










それから少しだけ時間を戻す事になる。

睡魔に負けてしまいそうな自分の身体を奮い起こし、駅についた青年は、思わぬ先客に暫し呆然とした。
つい一時間もしないさっき、各々の場所へ散った、彼等が立っていたのだ。

「・・なぁーにぼんやりしてやがるんだ、犬っころ」

「珊瑚から連絡貰って急いで此処まで来たんです。この後仕事詰まってるんだから急ぐぞ」

と、彼の表情なぞ微塵も気にせず、彼等・・・鋼牙と弥勒が言った。

・・・・全くの余談になるが、弥勒はともかく、鋼牙も犬夜叉も、他人の事はつゆ知らず。
無関心を装う、実際あまり得とは云えない性格の持ち主ではあるが、容姿の方は・・・これは弥勒も含めるべきだが・・・美青年に部類する。勿論、そんな者が人通りも多い駅に、それも三人も居るのだから通行人の視線が何処へ向かうのかは知れたことだ。
ただ残念ながら、今の彼等の頭にあるのはたったひとりの少女の事だ。

携帯や写真をこっそり彼等に向ける少女等数名には気の毒な話だが。


ともあれ、弥勒の補足を聞き、納得した犬夜叉はついでに彼女に余計な事を、と毒づきつつも、
気を取り直し、静かに頷いた・・・・。






ざわっ・・・・・・


風の匂いに紛れて流れてきた匂いに、かごめは自然と身を竦ませた。
(やだ・・・まさか・・・・違う・・・・よね・・・・・?)

自分に言い聞かせて見るけれど、やはり恐怖は拭えない。いてもたってもいられず、かごめは樹の上に登った。

気休めにしかならないけれど、少しは隠れる場所もある。
胸の中で、少女の感情の変化を敏感に感じ取ったらしい兎の瞳も、不安げに揺れた。
それに気付き、かごめは無理に微笑み、兎の頭を撫でて言った。

「平気よ・・・。多分此処には来
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かごめの言葉は其処で途切れた。
大分前から、そんなに遠くも無い所に止まっていた車に乗っていた人間が近付いてきたのだ。
かごめは無意識のうちに肩を震わせた。・・・その肩を持って、落ち着かせてくれる人はもう居ないのに・・・。

そんなことが頭を過ぎり、かごめは自嘲を零した。

(莫迦みたい・・・・。自分から出て来たくせに・・・・)


木々のざわめきと、風の匂いが伝える。もうすぐ、来ると。

忌まわしき『主』の、使い魔のような存在が・・・・・。


がさがさっ・・・・・



葉の擦れあう音と共にそこに現れたのは、かごめも見知った顔だった。
記憶喪失もあり、かなり朧気ではあるが、確かにかごめはその人物を知っていた。

今、山に居るというのに、普通のスーツに身を包み、長く、少しウェーブのかかった髪を後ろで団子状に止めた容姿。
ほっそりとした長身で、スタイルも申し分ない女性。
ただ惜しまれるのは、その彼女は何かに追い詰められたように、その白い肌に華麗に咲く紅い唇を噛み締め、眉間に皺を寄せたまま、やけくそのように四方を見渡している事だ。

彼女はかごめにとって敵だ。・・・でも、敵ではない。
だから、かごめも彼女の前に姿を現す事は出来ない。彼女は敵ではないが、『主』はかごめにとっての敵なのだ。

彼女自身は意に染まぬとはいえ、彼女は『主』に傅いて生きるより他ない。

(ごめんね・・・・でも、私あそこにはもう戻らないって決めてるの・・・・神楽・・・)

かごめはぎゅっと兎を抱き締め、願わくは彼女が自分の存在に気付かず、去ってくれるのを願った。
女性の名を頭の中で呟くと、自然と罪悪感から泣きたい衝動に駆られたが必死に堪えた。


少女の願いは叶えられた。


女性・・・神楽は、「此処にも居ないか・・・・」と一人ごちると、元来た道を下り始めたのだ。

かごめはようやく息をふっと吹き出し・・・緊張のせいですっかり疲れてしまった身体を抱いて、深い眠りについた。












「ここからは、犬夜叉、お前一人で行け」

自分の横で抗議の声をあげかけた青年を遮り、犬夜叉は力強く頷いた。
一瞬、タイミングを失ったが、それでもはっと気付いたように、鋼牙はさっき言いかけた言葉を吐き出した。

「待てよ!何で犬っころひとりだけなんだよっ!ここまで来た意味がねえだろーが!」

俺も行くと言いかけたところで、弥勒は駄目だと返した。

「『最初の場所』を知っているのは犬夜叉だけだ。我々がぞろぞろ連いて行ったら余計時間が掛かる。
かごめ様だって、一対一の方が落ち着いて話が出来るでしょう。それに・・・・」

そこまで云うと、弥勒は鋼牙を手招きし、何事かを云った。

すると鋼牙は、次の瞬間にはあっさりと、
「よし、行って来い。犬っころ」
と、山を指差して彼を促した。その変わりように不審を抱いたのは犬夜叉。
すっかり満足しきった彼を尻目に、彼は小声で弥勒に耳打ちした。

『・・・おい。何であの痩せ狼、あんなに納得しちまったんだ?』

すると弥勒は、いつもの悪びれた態度を欠片も見せない微笑みで、さらりと答えてみせた。

『いえ、何にも。ただ「先に犬夜叉に花を持たせてやれ。それで帰って来たかごめ様を犬夜叉から素早く奪っちまえば
 かごめ様もお前に惚れ直す事請け合いだ」って吹き込んだだけですよ』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』

こいつ、いつか性質の悪い悪徳商法したって訴えられたりしてな、という言葉は、彼の眼の笑っていない今は飲み込む事にした。

まあそんな事はどうだっていい。それよりも早くかごめを迎えに行かなくては。
そう思い、犬夜叉は山の最奥へと、駆けて行った・・・・



                                          【続】

どーしても男の人同士が絡んだお話だとコメディ風になってしまうのは私の癖らしい。