「ねえ、犬夜叉、ずっと気になってたんだけど」
と、かごめがきりだしたのは、月に一度行われる集会、とは名ばかりの宴の席でのことだった。
かごめの隣で、とっくに出来上がって馬鹿騒ぎを始めた部下たちより多くの酒を消費している筈の犬夜叉が、顔色も変えずに「何だ?」とかごめを覗き込むと傍で適当に羽目を外していた弥勒と珊瑚は途端に警戒の色を強めた。
「犬夜叉の部屋に、刀置いてあるじゃない?よく持ち歩いてるみたいだけど抜いた所見たことな・・・・何してんの?犬夜叉」
さりげなく近づいてくる顔にじりじりと後退していると、いつのまにか押し倒されたような体勢になっていた。
なんとなく不穏な空気を感じ取り、ぐいと犬夜叉の胸を押し返したがびくともしない。
というか・・・・
「きゃあぁどこ触ってるのよ!?」
ふわ、と被さるように犬夜叉の手がかごめの胸を包み、嫌な予感が強まる。
まさかとは思うがこんな面前で口で言えない様なことをするつもりじゃあ、と冷や汗が流れる。
冗談だよね?と目で訴えてみると、目が明らかに笑っていない笑顔をひとつだけ返されて、かごめは確信する。
(抵抗しなきゃ本当にするこの人!!)
幸か不幸か周りは相変わらずどんちゃん騒ぎでこちらの異変に気付いた者はいない。
先日、堂々とかごめを俺のものにする宣言をした鋼牙は、色んな策略を受け、今はここにいない。
どうしようか、と犬夜叉の手等をひょいひょい避けながら考えていると、不意にのしかかっていた重量が消える。
「まだ無事?かごめちゃん」
「・・・・・・・うん、ありがとう」
いつのまにか乱れていた着物の襟を直して起き上がりながら疲れた声で珊瑚に礼を言うと、かごめは後ろで昏睡している犬夜叉を羽交い絞めにしている弥勒にも礼を言った。
「ごめん。そいつ普段は酒嫌いなくせに集会のときは勧められるがままに飲むの忘れてた」
「うん。ていうか、やっぱ酔ってたんだ?」
よくよく振り返ってみると、すでに一杯目で言動がおかしかった気がする。
表面があまりにも変化なしだったので油断していた。
「見た目に変化が見られないから分かり難いですが、云ってることとか目線が危なくなったら酒はやめさせて外に出すか私たちに云ってもらえれば何とかします」
「・・・・お願いします」
思わず正座で言うと、そのあとふと思いついた質問を珊瑚にぶつけた。
「あの・・・犬夜叉って、いつもああなの?何ていうか・・・」
「だーいじょうぶ!誰か言ったかもしれないけど、犬夜叉って色事関係は昔からかごめちゃん以外で関心示したことないから」
心配していたことをあっさり見抜かれて、かごめは赤くなった顔に苦笑を浮かべた。
とりあえず、気持ち的に落ち着いたので、そのまま寝かせることになった犬夜叉に上着を掛けてやってから思い出した。
(結局、訊けなかったな、刀のこと)
しかし、特に気になることでもないと思い直して、気が向いたら訊けばいいと自分で納得させて終わった。
その集会から六日経ったある日、かごめは奇しくも刀のことを知ることになる。
「まあ、いつか来るとは思ってたがな。かごめの評判考えりゃ、こういう馬鹿も」
少しも隙を作ることなく、困惑の表情を浮かべるかごめを後ろ手に、犬夜叉は大袈裟に溜息をついた。
少年の仕草が気に入らなかったらしく、目の前の男は気分を害したように眉目を寄せる。
男を取り巻いている家臣らしき者たちも同じく、手に手に携えた武器を構えなおした。
ここが町の中ではなく、町から離れた森の中で良かった、と犬夜叉は思う。
何せこの男、こちらの姿を見るなり「わが愛しの方を返せ」と問答無用で切りかかって来たのだ。
とはいえ、剣の腕は少年から見ても未熟で、丸腰でも簡単に見切れて避けられる。
何よりも、かごめが
「あなたとの縁談は母がお断りしている筈です」
と言えば
「承知しております。しかし城で姫のことを聞き、こうしてはおれんといてもたってもいられなかったのです」
と返ってきて、
「私は自分の意志でこの人の元にいるのです」
と言えば
「それはその輩に惑わされているのです。私が姫を正気に」
云々。
周りから余程よいしょされて生きてきたのであろう物分りの悪さを発揮させていて、二人とも苛々し始めていたところだった。
“月の姫君”が城にいないことはこの国の中で一番知られてはいけないことであり、たとえ人前でなくとも軽々しく口に出してはならない。
(こいつ・・・・相当頭に血が上っているのか、単なる阿呆なのか)
どちらにしても邪魔だ。
用心のため、普段は闘牙の館から出ないかごめだが、こうして三日に一度、姉の桔梗の動向をより詳しく知るために町外れまで来ていた。
元々、非常に純度の高い清んだ霊力を持つかごめだが、その能力は未だ未開発段階の箇所が多い。
従って、ある程度の、“玉”の気配は城の中でも町の中でも感じていることが出来るが、その正確な位置までは、よほど近くにいない限り把握出来ない。
精神統一、とはまた違うが、森林に囲まれた場所ではまだその力が少しは発揮できる、ということで、出かけるのが日課で。
あまりぞろぞろと仰々しくしていてはかえって目立つと、犬夜叉と二人だけで来ることが習慣づいていた。
四魂の玉の半分が共鳴する方向に、少女の姉がいる。
どこにいるかまでは正確に分からないが、それでも無事かどうかを確かめたい。
そんなかごめの気持ちを察しているから、集中しやすい場所にまで来ているのだ。
(騒ぎにはしたくねえし)
かといって、丸腰に近い今の状態で、この騒がしい追手を追い払えるだろうか。
少々面倒だ。人の身では尚更。
自分が情けなくなり、舌打ちをしながら腰に収めた刀の鍔を指先で弾いた。
「犬夜叉・・・」
少年の苛立ちに気付いて、かごめがこっそり耳打ちする。
「やっぱり、ここはもう正直に言わない?私たち・・・えっと、ふうふかんけい・・・・て」
語尾がどんどん小さくなるかごめに思わず抱きしめたい衝動を煽られるが、何とか落ち着きながら首を横に振った。
「駄目だ。ああいう勘違い野郎にそういうこと言おうと態度で示そうと逆上するだけだ。そんないちかばちかをするくらいなら・・・・」
こんな情けない場面で、と思わなくもなかったが、背に腹は変えられない。無造作に腰の刀をかごめに渡すと「抜け」と告げる。
「え・・・わ、私に戦えっていうの?」
「ちげーよ。・・・“牙”の封印はお前にしか解けない」
「・・・きば?封、印?」
「先程から何をごちゃごちゃと!」
焦れた男はびしりと犬夜叉を指し示すと「姫には傷一つつけるな!男の方だけをやれ!」と命令を下した。
家臣たちは一気に動き始める。
「ああもう、ちゃんと説明してやるから早く抜け!」
旗色が怪しくなり、犬夜叉の口調も早まる。
半妖の姿ならば、普通の人間が扱う刀では傷ひとつつかないが、今は人間の姿だ。下手な刀でも致命傷になりかねない。
かごめの方も犬夜叉の気迫に押されて鞘から刀を抜く。
封印、と言っていたので何かあるのかと思っていたそれは、いともあっさりと抜けて刀身をあらわす。が。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
一瞬、その場の者全員が沈黙する。
封印されていたという刀身。大層立派な業物が出てくるかと思えば、何のことはない。
薄っぺらい紙切れ一枚すらも斬れなさそうな、ところどころ刃こぼれをした錆刀、一振りがそこにあった。
持ち主の犬夜叉さえも暫し硬直したあと、ぶつぶつと「封印してんのに手入れしなきゃいけなかったのか・・・?」と呟く始末だ。
「くっ・・・・・はははははっ!何が出てくると思えばそんな襤褸刀か!」
「ッ喧しい!知った口たたくな!」
とはいえ、否定しようがない。もうやけだ、とひとしきり言い返したあと、かごめから刀を受け取る。
どくん。
「!?」
脈打つ感覚に驚き、犬夜叉は手の中の刀をじっと見つめて理解する。これで、いい。
こちらに隙が出来たと、一気にたたみ掛けようと迫る家臣たちの気合の声に混じって、かごめの心配そうな声が届く。
「大丈夫だ。・・・・かなり遅くなったが、ちゃんと“継いだ”ぜ、親父」
ぎん、と刃が交わる。鈍い銀色と、白の刃。
「な」
初めに切り結んだ家臣は驚愕の声をあげる前に犬夜叉の刀に吹き飛ばされていた。
それを見て他の家臣たちもたじろぎ、足を止める。
「変化、した・・・」
呆然とした声で呟くかごめに肩越しに振り向いて笑って見せると犬夜叉はぶん、と刀を一振りする。先
程の、頼りなさげな錆刀とは一変し、“牙”の刃となった刀。
「俺のものとして扱うのは初めてだな、『鉄砕牙』」
「っ・・・貴様ァ!妖怪だったか!」
「・・・今頃気付いたか。どうする?戦って決着つけるのと、大人しく退散するのと。言っておくが、戦うというのなら」
すう、と犬夜叉の目が細まる。
甘さや優しさを一切捨てた眼だ。それに、犬夜叉を取り巻く空気が変わった。
冷たい殺気。
少年の言葉が脅しでもなんでもなく、本心なのだと分かる。
対峙していた男たちばかりか、後ろにいるかごめまでもぞくりと背筋を凍らせた。
(本気だ・・・・!)
「あと一回だけ訊いてやる。この場を去るか、無駄に死」
「ああぁ!待て!ひ、引こうじゃないか!」
男は慌てて手を振った。悔しそうに唇をかみ締めながら、家臣たちに引くぞと言うと一目散に走り去った。
その後姿が完全に見えなくなるまで見送ると、ようやく地面に転がった鞘を拾い、犬夜叉は鉄砕牙を元に戻した。
「大丈夫だったか?かごめ」
ずっと呆然としていたかごめに声をかける。
傷を負わせるようなヘマはしていない筈だが、確認の意味もこめた問いかけだ。
勿論、「大丈夫」と返ってくることを予測していた犬夜叉だが、かごめは何も言わずに首を横に振ると少年の腕にしがみついた。
「かごめっ!?どっか怪我でもした・・・・・」
「違うの!」
ぎゅっと力が強まり、かごめの肩は僅かに震えていた。
「かご・・・?」
「分かってるけど・・・犬夜叉が。義賊って言っても、盗みの集団の頭領って、分かってるけど!」
震えている声は、泣いているようだった。
気付いた瞬間、今までの敵と向き合っていたあの気迫からはまるで正反対に犬夜叉は慌てふためいた。
たとえ、どんなに厳重な警備のある屋敷へ盗みに入っても、ここまで心乱れることなんてない。
「怖かったの・・・犬夜叉が平気で人を傷つけるようなことがあったらって思ったら・・・こわかっ・・・・」
「・・・・悪い」
うまい言葉も見つからなかった。
人を殺したことは、あった。
そうしなければこちらが死んでいた。自分を守る為に仕方なくのことだったが、それで後悔を感じたことはなかった。
ただ、そうして自分の生の為に奪った命を、永遠に忘れないだけで。
今回もまた、脅すつもりで行ったことだが、迂闊だった。
いくら肝が据わっているとはいえ、かごめはまだ16の少女で、しかもこんな世界を見せるべきではなかった。
「俺だって、出来れば殺しは嫌だ。けど、仕方ねえときもある、っていうか・・・・悪かった」
「・・・ううん、いい。そうだよね」
「・・・嫌いになったか?」
「そんなこと!結果的にほとんど誰も怪我しないで済んだし・・・私も過剰になっちゃって・・・・ごめん」
照れ隠しのように笑うと、かごめは犬夜叉の腕を離して背を向けた。
「それにしてもっ・・・すごいね、さっきの」
「・・・・妖刀、鉄砕牙。一振りで百の妖怪を滅すこともできる剣。先代の闘牙王の牙から鍛えられている。
さっき、封印をといたから、今からは半妖の俺にしか使うことができねえ。・・・なんだよ?」
いきなり饒舌に刀の解説を始めた犬夜叉をぽかんと見つめていたかごめは、犬夜叉の視線に我にかえった。
「いや、結構重要そうなこと、そんなに簡単に私に喋っちゃっていいのかな〜、と」
「お前、ちょっと前に刀のこと訊いてきただろ」
一瞬考える。そして、集会のときのことを言っているのだと分かると心の底から驚いた表情を浮かべた。
「ちゃんと記憶あったの!?」
「・・・・・酔ってるときは、理性なくなってるけど一応意識は持ってるし」
言外に、今更あのとき自分を襲いかけたのを言い訳されてかごめは苦笑した。
「いいわ。そういうことにしておく。それで、どうして封印されてたの?しかも、私にしかとけないって・・・」
「昔、お前と会う前、相当拗ねてたんだよ、俺。・・・不本意でも、人殺ししなきゃ生きられないときもよくあったし。だから、闘牙王・・・って、俺の親父が俺と、俺の腹違いの兄貴に一振りづつ刀をくれたんだが、『このままのお前には渡せん』って封印かけちまったんだよ。俺が心から愛してる奴の手でしか封印をとけないようにって」
突拍子もないことを聞いた気分になり、かごめは固まる。どこに反応して、は言うまでもない。知っていてわざと犬夜叉は強調した。
「愛してる奴に」
「聞こえてる」
真っ赤な顔のまま、犬夜叉の口を塞ぐ。
それでも楽しそうに目が笑ったままの犬夜叉に背を向けるとずんずん町の方へ戻る。
犬夜叉も、やはりおかしそうに口元を手で隠しながらそのあとに続いた。
「・・・・犬夜叉」
唐突に、かごめは立ち止まる。
「今は、大丈夫よね?あんなに犬夜叉のこと、心配してくれる人もいるし・・・私もいるから。誰かを傷つけなくても生きていける」
「・・・・・・そうだな」
少女の言葉が暖かくて、感謝の気持ちもこめて犬夜叉はぽん、と少女の頭を撫でた。
【終】
犬、妖力制御できるから見た目は普段人間でも、大妖怪の血を継いでいるので妖力は並以上。
だから人間の姿をしていても妖力だけは普通に発揮できる。ので、鉄砕牙も人間の姿形で使える。
ただし、身体能力だけは人間にまで低下している。
(05.10.2)
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