「まあ、視察と言ってもだな、軍人が真昼間からこんな道を歩く訳にはいかんだろう」
思わず冷や汗を流しながら、普段より一層冷たくなった視線から逃げるようにマスタング大佐は顔を微妙にホークアイ中尉から背けながら、本当に言い訳がましくそう言った。
そういう彼の後ろには色街。先ほどまで彼の視線が向かっていたところだ。
つい最近まで抱えていた面倒な事件の一通りの始末がついて、ようやく一息つけるようになってきたのが今日。
今日くらいは仕事も少し息抜きを加えても構わないだろうとホークアイ中尉からのお許しも出たので、気分転換も兼ねた市街の視察へと彼女も引き連れて出てきた訳だが。
突然、その上司が仕事中に全くそぐわない場所の入り口で足を止めるどころか何かを凝視している。
基本的に女性受けも良いし、本人も女性達との会話を楽しんでいる節があるので女にだらしないというイメージが強いマスタング大佐だが、実際は割とプライベートでは淡白で深く踏み込んだ関係の人間は驚くほど少ない(軍人という職業柄、仕方の無いことだが)ことを知っているので、ホークアイ中尉も彼のことをそういった意味で誤解しているつもりはないのだが、それにしてはあまりにも露骨すぎる言動に眉を顰めざるをえない。
むしろ、取り繕ったように慌てて弁解されると余計に怪しいのだが、変な所が迂闊なこの上司は自分の失態に気付いていないらしかった。
ホークアイ中尉はそんな彼に、あからさまに盛大な溜息をついた。
「大佐・・・・余計に怪しいです」
と、一蹴されてしまえばぐうの音も出ない。
何よりも自分の挙動不審っぷりはさすがに本人も自覚があるらしい。ばつが悪そうに頬をかいていた。
「それで、何を見つけられたんですか?」
仕方が無いとばかりにホークアイ中尉がそう促すと、マスタング大佐は苦虫を噛み潰したような表情で、未だ濁った口調で後ろを振り返った。
「いや、きっと私の見間違いなんだが・・・・・今、知った後姿が見えた気がして」
その返答にホークアイ中尉は僅かに目を丸くさせた。
彼の知り合い、というからには軍関係者だろうという憶測はつくのだが、軍は基本的に男所帯。
おまけに緊急事態は人の都合なんて考えてくれないのだから、何か起これば休日出勤も当然で、ただでさえ今は(東部は割と安定してきているとはいえ)戦争の爪跡もあるし、未だ国境での諍いは絶えない。つまりは、忙しすぎて想いを寄せる女性というのをなかなか作れなかったりする。
嫌な話ではあるが、性欲処理に色街へ通う軍人というのはそんなに珍しくもないのだ。
そんな場所で知人を見つけたからと言って、彼が驚くことがとても不思議だった。
一体誰が、と疑問に思う間もなく、マスタング大佐は再び色街の方を凝視し始めた。
しかし今回は、「何となく誰かを見つけた」ではなく、「確実に“誰”と分かる人物を見つけた」という風で、ホークアイ中尉も思わずそちらを彼の肩越しから覗き込んで、一瞬、彼と同じく絶句してしまった。
真昼から、道の脇で酒を飲んで顔を赤くしている男や、早くも呼び込みを始めた売春宿の女、それと、こんな不自然な場所で硬直しているこちらを好奇の目で見ている者たち。そんなものはどうでもいい。
問題はその少し奥にいた、一度見たら二度と忘れられなさそうな珍妙な二人組の存在である。
いや、珍妙と言ってしまえば彼等に失礼だろうか。
しかし“少し”小柄ながらも鮮烈に瞼に存在を残す赤のコートに金髪を三つ編みに纏めた少年と、そんな彼に心配そうに付き添う鎧姿はそう滅多にお目にかかれる光景ではない。いや、此処イーストシティでは見慣れたものではあるのだが。
「エドワード、君とアルフォンス君・・・・・?」
「・・・やはりあの二人、かね」
どうやら彼が半信半疑になっていた理由は此処らしい。
ホークアイ中尉もようやく納得できた。確かに彼等がこんなところにいるのを見たらどうしてこんなところに、と思わない筈がない。
実際ホークアイ中尉も真っ先に出てきた疑問がそれだったのだ。
ひとしきり呆然と立ち尽くしていた二人だったが、やがて正気に戻ったマスタング大佐は、二人の方へ足早に近付いていった。
ホークアイ中尉もそれに続く。この際、横からの下種な野次は全て黙殺だ。
兄弟の方も、二人が近付いてきていることに気付いて真っ先に弟が「大佐、中尉」と呟いた。
しかしエドワードの方は俯いたまま微動だにしない。
「やあ、久しぶり・・・・・と言いたいところだが。あまり感心しない場所で会ったな」
多少諌めの入った言葉ながらも、中に僅かな苦笑が混じっていることを感じ取ったアルフォンスは「あはは」と小さく苦笑を零した。
しかし、そんなやりとりの間も、少しだけ二人に視線の投げかけた後はすぐ胡乱げに俯いたエドワードにホークアイ中尉は首を傾げた。
「エドワード君?・・・・どこか体調が悪いの?」
「・・・・・・・・ん」
普段の勢い余った元気っぷりは一体何処へ行ったのかと思わずにはいられないほどの大人しさに、マスタング大佐も僅かに表情へ心配の色を見せた。
「返事も出来ないほど、悪いのか?」
そういえば彼等は、はっきりとこちらが存在を確認してから微動だにしていない。
この様子からして腹を痛めたのだろうか。一度司令部へ行って寝そべらせた方がいいのではないか。
そう真剣に考え始めた矢先。
「大丈夫です、今日はたまたまちょっとひどいですけど毎度のことなんで」
「持病持ち、とは聞いていないが・・・」
「持病なんか、ねえよ」
何とか言い返してきているものの、普段の覇気が感じられない。
恐らく彼はいつもどおりに振舞おうとしているのだろうが、これでは逆に余計に心配になってくるというものだ。
「もう、だからさっき部屋貸してもらってれば良かったんだよ」
「るせ・・・・・これくらいいつものことだ」
「エドワード、君?」
それまで少しだけ会話の輪から外れていたホークアイが怪訝そうな表情で、何故か少し自信なさげに彼の名を呼んだ。
何故彼女がいきなり自信なさげになったのかが分からないマスタング大佐は一人、首を傾げるしかない。
しかし彼女は俯いたままのエドワードを見て気付いてしまった。気付かざるをえないというか、“彼”の症状にとても見に覚えがあるのだ。
「今・・・・・なってるの?」
何が、とマスタング大佐が尋ねるより早く、顕著な反応を示したのはそれまで鈍い動きしか見せなかったエドワードだった。
彼、いや彼と呼んでいいのかも今のホークアイ中尉には分からなかったが、ともかくそれで彼女は確信した。
何のことか分からず、一人だけ頭の上に疑問符を浮かべているマスタング大佐を見たあと、彼女は次にエドワードを、最後にアルフォンスを見て、「いい?」と訊ねた。
いきなり蚊帳の外へはじき出された男はともかく、アルフォンスは少しだけ迷ったあと、「はい」と答えた。
エドワードは何も言わなかったが、アルフォンスの返事に反論がなかったところを見ると彼も肯定したらしい。
ホークアイ中尉はそっとエドワードの背中に手を当てて、目線を合わせるようにしゃがみ込みながら、事態についていけない上司の方を見上げてきっぱりと言った。
「生理です」
「・・・・・・・・は?」
「だから、生理現象です」
「・・・・・・・・・誰が?」
「エドワード君が」
「何に、」
「だから、あの日です。月に一回の」
面白いくらい物分りの悪くなった上司に、それでも仕方ないかとホークアイは内心で溜息をついた。
自分さえも、その結論に至ったときには驚いたのだ(それでも内心でだけだったが)。
暫く黙り込んだマスタング大佐は、思考回路が凍結したのかその場で不動状態になってしまう。
そこに、悪びれた風もなく、エドワードを心配しながらのアルフォンスの声がトドメを刺す。
「すいません、騙してた訳じゃないんですけど結果的に騙してますね」
マスタング大佐はゆっくりとアルフォンスを振り返った。擬音をつけるならば錆びた金属を無理やり動かす音に近い。
「・・・・・あー、私の知識間違いでなければ、そういうものは普通男性には起こらないものでは」
「そうですね」
「私の記憶間違いでなければ鋼のは書類の性別欄に男と書かれていたと思うんだが」
「そうですね」
「じゃあ、その『あの日』というのは・・・・?」
頭の中が混乱しているのだからマスタング大佐のリアクションも無理はないだろうがそれにしても律儀にいちいち肯定しているアルフォンスも前々から分かっていることだが随分と肝が据わった子供である。
その傍から見れば馬鹿らしい光景に飽きたホークアイは、エドワードを気遣いながらもゆっくり彼、もとい彼女の体を支えた。
「そういう押し問答はここを離れてからにしてください。さすがに目立ってきました」
確かに、先ほどまではぽつりぽつりとまばらにしかいなかった人影が今や一目見ただけではカウント不可能な人数にまで膨れ上がっている。
ただでさえ軍服のまま、こんな道へ入り込んでいるので余計に好奇の視線が痛い。
一行はとりあえず人目のつかないところまで、ということでそそくさと移動することにした。
そして場所は変わって東方指令部司令室。
「ふぁー、助かった。さんきゅ、中尉!」
ホークアイ中尉から分けてもらった、生理痛用の痛み止めの効果か、ようやく顔色もマシになってきたエドワードは、煎れてもらったホットレモネードをちびちびと飲みながら彼女に礼を言った。
「どういたしまして。いつもって言っていたけれど、いつもあんなに酷いの?」
「いやー、あそこまで酷いのなんて滅多にないよ」
俺不定期だからさ〜などとほのぼのと会話している二人をよそに、未だに現実に戻ってこれていないマスタング大佐に、アルフォンスも律儀に返答していた。案外暇つぶしなどと思われていそうな光景である。
しかし混乱していながらも、一応司令室の近辺は暫く出入りを禁止するように指示を出すくらいの冷静さは残っているのだから彼も腐っても司令官、だ。
「ということは、だ。国家資格を受けるときにわざと性別欄に記入しなかったが鋼のの言動で男と勘違いされて、恐らく独断で直された書類がそのまま受理され、訂正するのも面倒だから今までそれで通していた、と?」
「面倒だからっていうか、そっちの方が都合いいんですよ。ボクもいるけど女の子の旅は色々危ないから」
一部訂正を入れてアルフォンスが言う。
この口ぶりからして、問われればあっさりと言うつもりだったのだろう。
それでも今までそれがバレていなかったのはひとえに(彼女の言動も理由の一つだろうが)「エドワードは男である」という先入観の賜物だ。
案外、人間の思い込みというものは恐ろしい。
「ということは、『エドワード』は偽名?」
「うんにゃ。そっち本名。俺は生まれてずっとエドワード・エルリックだよ」
「え・・・・?」
ホークアイ中尉は、あっさりと返って来た答えにぽかんとした。
いくら何でも女の子に明らかに男性名のエドワードはおかしいのではないか。
言いたいことはいやと言うほど分かるので、エドワードは苦笑しながら付け足した。
「なんていうかなー。俺、戸籍にもエドワードって書いて出されてるし、実際エドって呼ばれてるけど。名前、二つあるんだよ」
「二つ?」
「そ。何か知らねーけど、本当の名前とは別にもう一つつける習慣がある国ってのがあるらしくてそれに因んだらしい」
「ちなみにぼくはアルフォンスしかありませんけどね」
「何でそんなわざわざ・・・・」
「「さあ?」」
口を揃えて言った兄弟(もとい、姉弟)にマスタング大佐はがくりと肩を落としてホークアイ中尉もたらりと汗を流した。
しかし当の本人達はそのことを露ほどにも気にしていない・・・・ばかりか、先入観を利用して今まで旅をしてきたのだ。
経緯の程は知れないが逞しい子供達である。
「・・・・それで?」
「へ?」
「そのもう一つの名前は?」
少し面白くなさそうに肩肘ついてそう訊ねるロイに、一瞬何を言われているか分からなかったエドワードだが、付け足されて「ああ」と得心いったように頷いた。
「エリィ」
「エリィ・・・・ね」
「何」
「いや。イニシャルにしたらEだらけだなと」
「うっさいなー、二個より三個揃ってる方がお得っぽくて羨ましいだろ」
べーっと舌を出して妙な持論を持ってきたエドワードに顔の筋肉を引き攣らせたまま、マスタング大佐はとりあえずスルーした。
「ともかく、だ。・・・・・全く、何だか君達と関わっていると物事が2倍3倍になった気になっていかんな。性別のことは、一応口外はしないでおこう」
「そうして頂けると助かります」
「貸し1」
「はあぁ!?」
ほっと安堵の溜息をつく暇もなくそう言われてエドワードは思わず飲み込もうとしたレモネードを噴出しかけた。
勿論、マスタング大佐が意地悪く笑いながら人差し指を立てている相手はアルフォンスではなくエドワードである。
「何だ?困らんとはいえあまりおおっぴらにもされたくないんだろう?」
「〜〜アンタマジ性格悪ぃ!」
「些細なチャンスも見逃さない、と言って欲しいな」
「セコイだけだろーがッ!!」
「大佐・・・・」
思わずホークアイ中尉もたしなめるような口調になるが、嫌に生き生きとした笑いを浮かべる大人は止まらない。
「せいぜい私に顎で使われたまえ!」
「くっそ感謝して損した!行くぞアル!!中尉、これごちそーさま!」
吐き捨てるように言い残すと、掛けていたコートを取ってエドワードは足早に司令室を去った。
慌ててアルフォンスもそれを追いかける。
暫くは残された二人はその小さな台風を見つめていたが、やがてマスタング大佐が目を覆って笑い始めたのを契機にホークアイ中尉が言った。
「あんまりいじめていると誤解されますよ」
「いや、何つい面白くてな。それにああでも言わないと気にしていない振りをして鋼のが気にしないこともないだろうしな」
「ですから、物には言いようというものが」
「ああ、そういえば」
思い出したように、ぽんと手のひらを叩いた。
何だろう、と彼女は思ったが、同時にろくでもない予感もしていた。
「何故あんなところにいたのか訊くのを忘れていた」
ほらやっぱり。
あえて触れなかった自分にも非はあるが、本来後見人として真っ先に触れるべきはそこだろう、と思うホークアイ中尉だった。
FIN
巷でよく見かけるエド様女子化。
とりあえずうちでやったらこうなった。一番書きたかったお父さんマスタンが書けなくてすごい無念。
色々矛盾点ありまくりなんですが、ノリ(だけ)でやってるんで深く考えないで。
おまけ(本当は本文で書きたかった場面その2)
指令部を出てメインストリートにさしかかったところでの、エルリック兄弟。
「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」
「何か、さ」
「うん」
「全然、変わりなかったね」
「・・・・だな」
「もうちょっと色々言われるかと思ってたから、何か拍子抜けしちゃったよ」
「俺も」
「・・・・姉さん嬉しそう」
「姉さん言うな」
「あはは、ごめんごめん。でも嬉しそう」
「・・・・・・気のせいだろ」
受け入れてくれたこともそうだけど、態度が変わってなかったのがいちばん嬉しいなんて、内緒。
更に蛇足。
そろそろ仕事を再開しようとする東方指令部司令官とその副官の会話。
「そういえば、中尉」
「はい?」
「君、やけに冷静だったな、鋼のの性別について」
「驚きましたよ、十分」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。そうか。その割に順応がえらく早かった気がするんだが」
「大佐が遅いだけです(きっぱり)」
「・・・・・・・・・(机に突っ伏す)」
「ほら、そろそろ少尉たちが書類を持ってきます。早く今ある分に目を通してください」
「・・・・・ああ(絶対君が早いだけ・・・・は、言わない方がいいな)」
平和軍部。
更に要らん別バージョン。