蝋を固めて作った翼をつけた英雄は、広い大空を鳥のように自由に飛んだ
まるでこの世のすべてが手に入ったかのような優越感。
しかし、もっとも触れてはいけない偉大なる太陽に近付きすぎたせいで、英雄は地に落とされる。
人は所詮、神にはなり得ないのだ。
BLACK MOON GOLD SUN
「神を太陽と喩えるのならば、さしずめ俺は昔話の英雄だよ」
子供向きというには難しすぎ、大人向きというには拙い古い絵本をぱらぱらと捲りながら、エドはぽつりと呟いた。あまりに自嘲の混じったそれに、自分で笑ってしまう。
そういえば、太陽【神】を祀る町で、紅色の髪を持つ少女に同じようなことを言った気がする。
調子に乗っていたつもりはない。
ただ、愛しい笑顔を取り戻したかった。崩された平穏を取り戻したかった。
子供心に芽生えた安易な思いは、それだけに大人の目から見たらさぞ恐ろしいことを考えている子供と映ったに違いない。
しかし、その気持ちは果てしなく純粋だった。
父親のいない自分たちに、それでもたくさんの愛情を注いで育ててくれた母の死を受け入れられなかった。そうして、周りの大人や師匠となってくれたイズミまでも騙して、悪魔の所業を実行してしまった。結果はなんだ。たった一人の肉親である大切な弟までなくしかけて、自分も片手足を“持って行かれた”。
それはたとえるならば、昔話の英雄そのものだ。
この世さえ支配できる力を手に入れようとして、絶望の淵に突き落とされた。
人の手には過ぎた代物だと、そうして初めて気がついた。
「どうしようもない馬鹿だよな」
アルフォンスがいるときには決して吐けない言葉。
道連れにしてしまったのに、責めずにいてくれる弟。彼の存在があるからこそ、こうやって自分は、今はっきりとこの地面に立って前を見据えていくことが出来るのだ。今や、彼の人生の出発点はアルフォンスであり、ゴールもまたそうだった。
「私の存在は無視かい。君が立ち直るのに少しは貢献したと思うのだが」
唐突に声が掛かって、エドワードは驚いて振り向いた。戸口にもたれかかって大仰に首をすくめる大人の姿を確認すると、エドワードは慌てて捲っていた絵本を閉じて、元の場所へ返した。
「俺、何も言ってないけど」
視線を合わせないままそう返すと、笑う気配がした。気に食わなくて余計に眉間に皺が入ることを自覚していたが、嫌がらせの意味もこめて直さなかった。
「言ってなくてもそんな顔をしている。鋼のは顔に出やすいからな」
「どーせ、俺には隠し事なんかできませんよーっだ」
いーっと思い切りしかめ面で切り返してもロイには効果はない。楽しそうに笑いながらもエドワードに近付き、ぐいと眉間を揉み押した。
「あだだだだだっ!何すんだよ大佐ッ!」
慌てて後退して触れられた箇所を抑えると、心のこもっていない謝罪を述べたロイを睨み付ける。
「痕がつきそうだと思ってね」
「そういうの、小さな親切大きなお世話ってんだよ!」
「それはすまなかったね」
「偉そーに謝られても余計ムカつくだけだー!!!」
威嚇している野生の仔猫のような少年に、やはりロイはくすくすと笑うだけだ。しかし、内心では実は穏やかではない。
エドワードは、出会って今まで、こういう事に関して嘘をついたことがない。
さっき、カマをかけて見事に引っかかったことが、つまりはロイが予想するエドワードの考えていたことが大当たりだったとすれば、どうにかしてやりたいという気持ちが強かった。殊、彼は自分の背負うべきものは自ら背負おうとする傾向にある。負担に押し潰されないように無意識にガス抜きをしてやらねばいつかは壊れてしまう気がして、彼らが此処へ立ち寄ったときは必ず、リラックスできるような環境を整えていた。こちらが言い出すよりも早く、周りもそれを実行してくれていた。
(自分を責めれば、少しは楽だろうがそれが正しいとは思えない)
こんな道へ引きずり込むことでしか、エドワードを引っ張りあげてやれない自分に、実は少しだけ迷っていることは少年には内緒だ。それをネタに面白おかしく突っかかってくるかもしれないし、逆に怒るかもしれない。
「なあ」
「何だ?」
もう少しで思考の渦の中へ入り込みそうだったロイに掛かった声に、平然と返しす。
「どこからいた?」
「・・・・・言わない方が、鋼のの為だと思うが」
「いいから!」
「・・・・・・・絵本を手にとって暫くして独り言を言っていた辺り、かな」
嘘ではない。東部へ帰ってきているというのに、上司であるロイにまともに顔も見せずに直行で図書館へ向かったというのも、市内視察中に偶然買い物中のアルフォンスと出会わなければ知らなかったくらいだ。
国家錬金術師でなければ入室できない特別棟にこもってしまったんで、閉館時間ぎりぎりには迎えに行ってあげなきゃ、と苦笑まじりの声で言うアルフォンスに詳しい位置を聞くと礼を言って直行で来た。だから正直、そんなに長い間いられるわけではないのに、声をかけて一言くらい文句を言ってやろうと来たのに、その姿を見つけた瞬間、足を止めてしまった。
古い本と埃のにおい。暖かそうな陽が入り込む窓辺の席に、すぐ見つけることが出来た。
ここだけ無人の部屋に、琥珀色の存在。暫くぶりに見たその姿は、言えばエドワードは激昂するだろうが、以前会ってからまったく変わっていないように見えた。人のことは言えないが、錬金術のこととなると寝食を忘れてしまうことが間々ある少年の健康管理がきちんとなされているのはひとえにアルフォンスの存在のお陰と言えよう。
しかし、精神的な健康はどうか、というと。
(かなり悪いだろうな。・・・一人で吐き出しているくらいだから)
そもそも、エドワードは他人に弱みを見せたがらない。幼馴染の少女や弟が、弱みの吐け口にならないのならば、他にどこが吐け口になり得ると言うのだろうか。他人に軽く言えるような簡単なことでもないし、そうなればやはり溜め込むしかないのだ。
「神が太陽で君が英雄なら、アルフォンス君は地面といったところか」
どこまでも堕ちて行く英雄を掴んだ存在。しかし、それ自体が望んでいなかろうと、地は英雄の体を叩きつける場所だ。
揶揄に気付いてエドワードは厳しい表情を作る。
「詩人だね。でも、そうだとしたらアルは地面っていうより、蝋の翼だろ。」
英雄の思い上がった愚考のせいで溶けて消えた翼。やはりというか、彼にとって弟は同じ罪を犯した者ではなく、犯した罪を償わせてしまった存在としか受け取っていないのだと、分かった。
(アルフォンス君も、苦労する)
知らずに苦笑がこぼれた。
エドワードが怪訝な表情を浮かべる前にロイはエドワードの隣の席に座る。
「・・・おい。まだいる気かよ大・・・・」
「ならば」
少しは、期待が混じっているのかもしれない。
「君にとって、私は何なのかな?」
絵本の中の英雄の話に続きはない。地面に突き落とされて、絶望を知ったことで物語は終わっている。
元々、教訓を教えるための絵本だったので仕方のないことだが、これまでにたとえてきた比喩の中に、果たして自分は存在するのだろうか。ふと、そんなことが頭をよぎった。なかったらなかったで、かまわない。答えがあろうとなかろうと、今目の前にいる、ロイの知る“蝋の翼をもがれた英雄”はこうしてちゃんと前を見据えて歩いているのだから。
「・・・・・・・・・・・大佐、は」
「うん?」
「俺にとっちゃ、月みたいなもんだけどね」
「月?」
「英雄の話とか関係ないけどな」
そう言うといきなり勢いよく立ち上がるエドワード。
「ちょっと待て、理由くらい訊いたって構わんだろう?」
回答の意味がさすがに分かりかねて、慌てて立ち上がったがエドワードはすでに早足で戸口へ向かっていた。
読んでいた本は、最初にロイの存在を認めたときにすべて片付けていたので、最終的にこうして逃げるつもりだったのだろう。
「鋼の!」
「中央【セントラル】から月見て、そのあとリゼンブールででも月見て来い!」
表情は見えなかったが、耳が赤いことから察することが出来たエドワードの心境。
どうであれ、少しは彼の荷が軽くなったことが分かり、ロイはようやく腰を上げた。
「さて・・・中尉に仕事をサボっていたと思われていないといいが・・・・」
進む道が違っていても、目指す方向は一緒。同じ道は進まなくても、同じ方くらい向いていたい。
そう、改めて思った。
FIN
注釈:月→都会の、ビルが林立するところから月を見ると遠く見えるのに、田舎の何もないところから月を見るととても近くに感じる。太陽は近付けば罰を受けるけど月はいくら近寄ろうとしても近寄れない気がする。掴み所がないけどなんか惹かれるものがある。そんな感じ。“月の裏側”とかけてる部分も。
エドが大佐のこと月みたいだって言うとこ書きたかっただけ。(05.6/5)
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