LOVE FOR YOU?
「・・・・・・っし」
なにやら拳を作り意気込んでいる兄の後姿を眺めながら、アルフォンスは肩を揺らした。
直情で馬鹿正直な性分だから、黙っているのは大嫌い。諦められないならいっそ潔く認めて玉砕覚悟で突っ走れ。
ここ数ヶ月ほどで、兄が自分なりの回答としてそれを口にしたのはつい一週間前。もし、それを決めて東部へ向かうと連絡を入れたあとになって、自分たちが血眼になって探していた国宝級の珍しさを誇る生体理論の文献の複写などを見つけなければ、予定通りに4日前にはイーストシティに帰還出来ていたかもしれない。
何故か、前回イーストシティに寄ってから、兄ことエドワード・エルリックの様子がおかしかったのは、弟で、自他ともに認める相棒であるアルフォンスにとって気付くのはとても容易くて。それでも、本人が切り出してくるまで放置しておこうと、上の空になる時間が増えたエドワードを文字通り泳がせておいて。一週間前、滞在中の街の図書館で借りた資料を宿屋の部屋で一緒に読み漁っているかと思えば、唐突に「決めた!」と叫んで、何より大切な筈だった資料を床に落として立ち上がった。脈絡もない言動に、思わず「何を?」と尋ねかけて、最近の彼の悩みの種らしきものについてだと思い当たると、アルフォンスは促した。
・・・・・・・そのときは、さすがに考え付きもしなかった。
まさか、あれだけ嫌ったそぶりを見せながら(実際は嫌っていないであろうことは誰の目からも明らかだったが)、“あの”上司であり、自分たちの後見人(実際はエドワードだけなのだが、いつのまにかアルフォンスの後見人も兼ねているらしい)でもあるロイ・マスタングに、兄はどうやら本気で惚れ込んでいるらしいなどとは。
軍に同性愛者が多いのは、偏見も入っているだろうがなんとなく予想はついていた。しかし、まさか自分の兄までそっち方面に走っていくことになるなどとはまったく予想していなかったアルフォンスは、とりあえず様々な突っ込みを飲み込んで、「いっそ突っ込む」と何だか彼らしい発想を巡らせる兄に対し、「頑張ってね」とおざなりな態度を返すしか術を持っていなかった・・・・。
(まあ、兄さんには悪いけどあの女好きで有名な大佐が間違っても兄さんには流れると思えないし)
人生長いし、波乱万丈な生き方している今だからこそ、そんな暴走した恋こそ許容しても、結局兄が最終的に流れ着くのはノーマルな交際だろう。ウィンリィ辺りの。だから今だけなら『若気の至り』で済ませればいいかなんていう打算が働いていないでもないが。
正直なところ、その場のノリで応援したが、アルフォンスはエドワードの気持ちをどちらかといえば心の底から邪魔したかった。自分の兄がそういう方向に走るのは耐えられないという一般的な見解もあるが、何よりアルフォンス自身が、幼馴染やその祖母から太鼓判を押されるほどのいわゆる“ブラコン”だからである。
もっとも、ブラコン云々を言うなら、エドワードも弟と張っている。何せ命を懸けるまでの兄弟愛だ。そこに不純なものが存在するわけでもない。ただ純粋に、自分が慕う兄を誰かに取られたくない一心である。
(うわぁ・・・・よく考えたらぼくってかなり重症な兄さん依存なんじゃ・・・・・)
改めて考えて、アルフォンスはちょっとへこむ。改めて考えなくても普通は分かるが、如何せん、こういうものは当事者は気づき難いのだ。
よく考えれば、「ぼくの為に大佐は諦めて!」となかんとか言ったら弟馬鹿でもあるこの兄は少しは思いとどまってくれただろうか。しかしそれも既に勢いがつききってしまった兄には無駄なことだろうと、アルフォンスは嘆息したくなる気持ちで兄の荷物を受け取った。
そういえば、連絡した予定の日から四日も遅れているのに、それからエドワードが連絡し直した様子はない。もしかして、と思いながらも東方司令部を、まるで今から挑む険しい山脈の如く睨み付けながら入りかけているエドワードに声をかける。
「ちょっと待って兄さん」
「んあ?」
エドワードは首だけをぐるりとこちらに向けてきた。
「前の街で一回、大佐に連絡入れてたよね?予定延びちゃったけど、それはちゃんと伝えたの?」
「いや?言ってねーけど」
「・・・・・・駄目だろそれ。」
だって面倒くせーし、などとのたまう彼に、本当にロイへの愛はあるのか。本当にその場のノリで言ってみただけなんじゃないだろうかとアルフォンスは少し疑わずにはいられない。
元々、律儀な性格をしている割に、妙なところで不精な性格のエドワードは、連絡もなしに東方司令部に赴いて、「君はいつになったら連絡を入れてから来るようになるのかね」と重いため息つきでロイから言われること両の手ではすでに足りないほど。故郷のリゼンブールへ戻るときも、同様の理由でウィンリィのスパナの餌食になっているのだから学習能力がないと言われても仕方がない。
エドワードに自覚は一切ないが(あったら根っからの馬鹿ではないのだから少しは行動も自粛するだろう)、東部の面々にも、故郷の人々にも兄弟は好かれている。あちらが、そのエドワードとアルフォンスの相手をする時間を取るためにスケジュールを調整しようとまでしてくれていることに、アルフォンスでさえ薄々勘付いているというのに、この好意に対しては無防備かつ疎い兄は微塵も気付かない。
しかし、東部への連絡はともかく、故郷に帰るときくらいは、アルフォンスにも出来る筈だが、そうしないのは、何だかんだいっても、この兄あって弟ありだからだろうか、とアルフォンスは思わずにいられなかった。事実は、帰郷でもなんでも、エドワードがいきなり思いつきで言うからアルフォンスに連絡する暇がないだけだが。
「んじゃ、そろそろ行くぜ、アル」
ぐぐっと伸ばしていた腕を解いてエドワードは笑って言った。何故、建物の中に入る前に柔軟体操始めるの兄さん、と言わずにはいられないアルフォンスだったが、とりあえず今の兄にいちいち突っ込みを入れていたら疲れることはすでに分かっていたので黙って彼に従うことにした。
馴染みの、見張りで立っている憲兵に軽く会釈をすると、「お、帰ってきたか」と和やかに話し掛けられて、軽く「はい、さっき。皆さんお元気そうで何よりです」といった意味合いのことを話したあと、別れて受付まで歩く。そこでも、馴染みだった受付嬢と軽い歓談をして、大佐率いるいつものメンバーの健在を確かめた。ファルマンとフュリーが休みだということと、ロイの仕事がここ数日・・・・四日前くらいから溜まり続けていて、いつもそれを叱咤しながら仕事をこなすリザも心なしか叱咤の手が甘いこと以外は概ねなんら変わりない日常らしい。そこまで聞いて、「ほら、ちゃんと連絡しないからだよ」とアルフォンスがエドワードを諌めると、彼は実に心の底から不思議そうかつ不服そうに「はぁ?!なんで俺が関係あんだよ!?」と、やっぱり好意に疎いことを自分で暴露した台詞を吐いて弟を呆れさせていた。
「お?」
ぎゃあぎゃあ言い合いをしていると、ふとエドワードの後ろから聞きなれた声がした。エドワードが振り返るよりも早く、アルフォンスが「ハボック少尉」と呟く更にそれより早く、ハボックがエドワードの首を軽く絞めてぐりぐりその金髪を撫でたので、「ぐぇ」と蛙が潰れたような声をあげるだけで、振り返りかけというなんとも中途半端な動作のまま、そこで硬直する羽目になった。
「なんだぁ?お前ら!予定より四日も遅れて帰ってくるなんざいいご身分だなぁ〜?」
「すみません。予定外のことが色々と立て込みまして」
「まー、なんか派手な事件起こした訳でもなく、元気そうで何よりだ」
「いいから手ぇ退けろー!!」
ハボックの腕の中でじたばたもがきながら抗議の声をあげるエドワードに、アルフォンスは苦笑をこぼした。
「心配してもらってたんだから、お礼くらい言いなよ兄さん」
「心配されんのと俺のこの今羽交い絞めにされてる状況はまったく関係ねー!!」
「おーおー寂しいこと言ってくれるねぇ。俺ら毎日お前らが事件に巻き込まれたかどうか新聞でチェック入れて賭けてたのに」
「・・・・・それ、別の意味で心配してねぇか?」
「ちなみに今回は珍しく俺がボロ勝ちよ。感謝してっぜ?エルリック兄弟?」
「うっわ酷ッ!!」
「相変わらずみたいですね・・・・」
ははは、と乾いた笑いを器用に浮かべながらアルフォンスはようやく解放されてぜーぜーと肩で息をしている兄を回収した。
「まぁ、元気そうで何よりだ。それはそうと、大佐には気ぃつけろよ、二人とも」
「すっかり、お仕事の邪魔もしちゃったみたいですしね」
「そーそー。あの人この四日、ずっとぼんやりしてること多くてなあ。元々気になることを放置して仕事に励めるタイプじゃないしな。大変だったぜ?でもまぁ、リザもお前らがなかなか帰ってこないの気になってたみたいだから、大目に見てもらってたとこもあるらしいけど」
その言葉で、ようやくアルフォンスに言われた言葉を理解したらしいエドワードは、なんともいえない複雑な表情でハボックを見上げた。そのなんとも年相応というか、実年齢よりずっと下に見える(本人に聞こえたら即死させられる呟きである)可愛らしい表情に、ハボックは相好を崩しながらエドワードの頭をくしゃりと撫で付けた。
「なーにらしくねぇ顔してんだ大将。お前らのせいじゃねーよ。あの人の神経質な気性のせいだって。」
「・・・・うー・・・」
「おら、さっさと行ってきて盛大に叱られて来い!んでもって大佐安心させてやれ!」
「・・・・分かった。行って来るわ。じゃあ、またあとでな、ハボック少尉!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おう」
子供に浮かぶのは、満面の笑顔。それこそ絶対この少年の気性を考えれば、絶対にありえないと断言したくなるほどの。
いつもだったら渋々足を向けるそこへ、今回ばかりはどんなに怒られる要素があると言われようとも、スキップでもし始めかねない勢いで執務室へ向かったエドワードに、ハボックが思わず呆気に取られてぽかんとだらしなく口を開けっ放しにして硬直したのも無理はない、とエドワードに続くアルフォンスは内心で思ったとか。
「たっいさー♪」
ばたーん、と。相変わらずノックもなしにいきなり開け放ってずかずかと部屋へ乗り込む兄を諌めようと、アルフォンスは慌ててエドワードに続いて部屋へ入った。
「もぉ!駄目だよ兄さんノックくらいしなきゃ・・・・大佐、お久しぶりです」
予定より遅れてすみません、と続けようとした言葉が止まる。エドワードの挙動不審(としかいいようのない)言動は、いい加減に常人離れした適応能力のお陰で平気になりつつあるアルフォンスだが、ロイの疲れ気味の表情に浮かぶ驚愕と心なしか蒼褪めているものを見て、ああ、そういえばターゲットにされているこの人は一番混乱しそうなシチュエーションだな、と他人事ならではの呟きを内心で漏らし、絶句した。単純に、普段は冷静沈着が売りの大人が、先程のハボック同様、ぽかんとしているのが珍しくもあったからかもしれない。
無理もない。エドワードは、この大人の前でだけは決して出会い頭にいきなり気を緩めたことがなかったのだ。大体は、大人が警戒しまくるエドワードをなんとか宥めすかして警戒を解いたあとにならなければまともな会話すら危ういというのが常だ。よく考えれば、世話になっておいてその態度もないだろうとは思うものの、それがエドワードとロイの常態だったのだから、今のように、今更フレンドリーな姿をなんの予備動作もなく見せられれば思考が固まってしまうのも道理だ。よって、こんな無邪気な笑顔をロイに対して向けるエドワードなどとは近年稀に見る貴重すぎる物である。
しかし、さすがはそこらへんは自分たちの倍近くを生きてきた大人。小さく咳払いをすると、まだ口元は引きつっていたものの、殆どいつもと変わらぬ態度で話し掛けてきた。
「やぁ、四日遅れで久々だね、鋼の、アルフォンス君」
やっぱり嫌味を忘れないのは、こちらのプレッシャーの取り除きたいのかそれともあてつけか。判断はつかなかったが、とりあえずアルフォンスは謝罪の言葉を述べた。・・・・相変わらず、兄はどこか螺旋が外れたように、何が面白いのかきゃたきゃた笑っているだけだったが。
「いや、かまわないよ。無事そうで何よりだ・・・・・鋼の。とりあえず何があったか知らんが落ち着け」
そ知らぬ振りはしていたが、やはりロイもエドワードの言動を気にしているらしい。ソファを指差して座れと促すと、大人しくぴょこんと座ったので、安堵した表情を隠さず、アルフォンスも促した。
常ならば、ここでアルフォンスは席を外して、ロイはエドワードから定期報告を聞き、アルフォンスは手伝いがあれば手伝いに、何もなければ中庭でブラックハヤテ号の相手。余裕があればそのあと談話室に直行して、いつものメンバーで話をするという流れだが、今回ばかりはどうやらエドワードは自分の手には負えないと判断したらしい。だけどぼくも今の兄さんどうしようもないんですけど、という言葉は飲み込んで、兄の隣に腰を降ろした。
「さて・・・・・それじゃあ、一応この連絡があってからの空白の四日間、何をしていたか聞いても構わないね?」
仕切りなおし、で最初に出たのがこの言葉。アルフォンスが、エドワードの代わりに答えようかとも思ったが、先程とは違い、いきなり普段の態度に戻ったエドワードが説明を始めたので、ロイとアルフォンスは思わず顔を見合わせる。しかしそれもほんの束の間のことで、まぁ、元に戻ったのならばそれでいいと完結させたらしく、ロイは黙ってそれを聞くことにした。アルフォンスも、今更部屋を出て行くのもなんだと思ったのでその場に黙って居る。
「――って訳。連絡入れ直さなかったのは悪いと(さっき)思ったけど、悪気はないから」
「あってたまるか・・・・。まぁ、いいだろう。ホークアイ中尉たちには会ったか?」
「いんや。さっき受付の近くでハボック少尉に絡まれたけど、他の人らにはこれから顔見せに行くつもり」
「そうか」
黙って会話を聞いていて、そろそろ定期報告をするか、と思い、アルフォンスは立ち上がった。
「あっと、兄さん、大佐。ぼく報告終わるまで中庭にいるね」
「おう!じゃああとで迎えに行くからな!」
「さっきブラハが庭を一匹で駆け回っていたから、相手してやってくれ」
「はい!」
ブラックハヤテ号がいる、と聞いて、アルフォンスの声のトーンが上がる。犬猫が好きな少年らしい反応だ。律儀にロイにお辞儀して部屋を出て行くアルフォンスを、二人して目線で見送ったあと、一呼吸置いて、見たエドワードの目が光っていたのを思わず発見してしまったロイは、僅かに顔を強張らせた。
「は・・・・・・鋼の」
「ん?なぁに?大佐」
何かされる前に釘を打っとけ、と思ったロイが呼びかけると、エドワードはとても嬉しそうに笑って応えた。
・・・・・・ああ、駄目だ。なんか私の知ってる子供の皮を被った偽者がこっち見て嬉しそうににこにこしてる・・・・・!
声に出して言わなかっただけでも賞賛ものである。
別に、ロイだって、一応気に入っている部類に入る子供にいつまでたっても警戒心丸出しの猫のような態度を取られ続けるのは嫌だったし、少しは懐いてくれたっていいじゃないかと思ったこともあった。だが、それがこんなにも気味の悪いものだったなんて。普段、会えばすぐ口論になり、子供相手に本気で揚げ足の取り合いをしたり(とはいえ、この子供は性質が悪いことに並の大人より口が立つので手は抜けない)悪態をつくのが日常茶飯事で。それがすっかり習慣付いてしまったロイにとって、彼がにこにこしているのなんてある種の精神破壊兵器にしかなりえないことで。
(・・・・何か悪いことをしたか?)
思わず、前回に彼らが来たときの己の行動を振り返ってみた。
「・・・・・・前に来た時に連れて行った店の料理は不味かったか?」
「?いや。美味しかったじゃん。帰りにあそこは良かったみたいなこと言ってたし。忘れたの?」
「いや、そうなんだが」
普通に好感を持たれたから、こんな態度をとっていると考えるには、2年(と1年)というブランクは大きすぎる。態度を豹変されたからこそ、今こうしてロイは困惑しているのである。不自然極まりない。
「・・・・・・なぁ」
「なん・・・・・・・うぉあ!?」
自分の思考にどっぷり浸かっていたらしい。声を掛けられ、ふと顔をあげると、机の上に上って自分を見上げるエドワードの姿があり、ロイは思わず変な悲鳴を上げながら窓際に仰け反る。咄嗟とはいえ、我に帰るとこの子供の前で何と不覚なことかと己を責めたが、しかし、予想していた揶揄や馬鹿にした言葉はいつまで経っても投げ掛けられない。ただ、耐えられなくなったとばかりに肩を震わせてくすくす笑うだけだ。ますます彼らしくなく、ロイは困惑してしまう。
「あーも、何やってんだよ大佐」
「本当に、何やってるんだろうな、私は・・・・」
情けなくなり、くしゃりと前髪を掻き揚げてこめかみを抑える。どうかしている。彼は勿論、自分も。
確かにエドワードの豹変ぶりは少し・・・・いや、かなり度肝を抜くが、だからといって自分までこんな挙動不審に陥る必要などどこにもないではないか。
しゅる。
「っ!」
衣擦れの音が聞こえた、と思えば、感じるのは小さな重みと高い体温。エドワードが腰に手をまわして抱きついてきている、と自覚すると、困惑は更に増すばかりだ。だが、次の瞬間にはもうどうすることもできなくなった。なんでもない風を装っていながら、子供は自分に拒絶さてることを恐れている気がしたからだ。
体勢が辛そうだから、と立ち上がるが、それでも彼は腕を離そうとしなかった。
「鋼、の」
「大佐・・・・おれ・・・・」
戦慄く唇に、不覚にも心臓が高鳴る。馬鹿な、とロイは内心で何度も呟いた。
ありえない。このあまり嬉しくないが選ぶ相手は事欠かないフェミニストと言われている、私が、倍近くも離れた子供に?
よりにもよって、何故彼なのか。・・・・他の野郎だったらいいという問題ではないが。そもそもむさくて固い野郎のどこがいいのか。
確かにこの子は綺麗な顔形をしているし、色彩も美しいとは思うが・・・・・と、思考がずれてきた。
とにかく、有り得ない。こんなことが、あって・・・・・。
コンコンコン、とノックがあって、ロイはようやく我に帰る。入室を許可しようとして、自分の腰に貼り付いているものを思い出し、言葉を飲み込んだが、それも空しく扉は開かれた。
「失礼します。大佐、午前中にお渡しした下水道の修理議案書ですが・・・・」
そこで一瞬、入ってきた人物・・・・・即ちリザだが、彼女は目を丸くする。しかし、そのリアクションはすぐに消え去り、ロイに淡々と用件だけを伝えると以上です、と締め括った。
そして、業務用ではない微笑みを子供に向ける。
「お久しぶりね、エドワード君。聞いてた日よりなかなか戻ってこないからどうしたのかと思ったわ」
「ごめん。ちょっといい文献手に入ったから耽っちゃって」
「いいのよ。それより、若いうちから徹夜ばかりして体調を壊しては駄目よ。」
「うん。ありがと。もうアルには会った?」
「ええ。さっき廊下ですれ違ったわ。今は中庭でブラックハヤテ号の相手をして貰っているの」
「・・・・・・・・和やかに会話しているところ悪いんだがね。せめてこの状況に突っ込んで頂ければ嬉しいんだが、中尉?」
どっと一気に疲れた気になり、ロイが諦め半分で申告すると、リザは少しだけ考えるそぶりを見せ、
「エドワード君、大佐にひっついていても楽しくないでしょう?休憩室でお菓子でも食べない?」
ごく普通に言うので、ロイの精神的疲労感もどっと増えた。
「いや、今はいいや。でもあとで絶対行くよ」
「そう。じゃあ、大佐の仕事の邪魔にならない程度でお願いね?大佐、手前の山だけでも今日中に終わらせて下さいね」
「はーい」「・・・・・・・・・・・・・・分かった」
もう、取り合うのはやめよう。
ロイはそう心に誓うと、ずるずるとエドワードをくっつけたまま椅子に座る。そのままだと手を挟みそうだったので、彼の体を手前に寄せて、自分の膝の上にちょこんと座らせる。どうせ厭きれば自分から離れていくだろう、と決め付けて書類の束を引き寄せた。言えば最後、暴れ出しそうなので黙っていたが、膝抱っこさせていながら視界に邪魔するものは特になかった。彼が意図的に姿勢を低くしているのも原因だが。
「何か・・・・・私に言いたいことがあったんじゃないのか?」
引っ張り出して、軽く読み流す書類に視線を向けたまま、ロイは膝の上の子供に問い掛ける。
しかし、エドワードは何事かを言いかけて、やめた。「やっぱいいわ」と笑って言って、腕に力をいっそうこめた。
それが何かを祈るように感じてロイはふと、一瞬だけエドワードを見る。
特に悲しそうでもないが、どこか諦観したような表情に、それとは分からぬほど小さく息を呑んだ。凡そ、子供がする表情ではなかった。
「大佐」
唐突に呼ばれて、ロイは誤魔化すように書類に視線を戻した。
「何だ」
何事もないように、返す。
「俺さ」
「悔しいけど、大佐のこと・・・・・みたいだから」
「・・・」
「最初に忠告な。知っての通り、俺は餓鬼で聞き分けない子供だから、あんたの気持ちとか知ったこっちゃないから。そこんとこ宜しく」
「・・・・・ちょっと待て少し待てかなり待て」
「何」
聞き捨てならない一言にロイはとうとう手を止める。ついでにぎろりと睨み付けてみせるが、泰然とした子供は少しも動じない。
「じゃあ何か。君は私が君を好きでも嫌いでもどちらでもいいと?」
「んー。ていうか。」
「ぶっちゃけ大佐が俺をどう思ってるかとか興味ない。俺が勝手に騒いでるだけだし、正直これで間違って両思いにでもなったらお互い薄ら寒いじゃんか」
あっけらかんと言われた言葉に、さすがに恋愛においては百戦錬磨と謳われるロイも書類の海に突っ伏した。
そんな自分の膝上では、器用に身を捻ってロイを避けた子供が、やっぱり何が楽しいのかわからないがきゃたきゃたと笑っていた。
それが、本音なのかそれとも彼なりに同性愛についての未知の恐怖への保険のつもりの発言なのか、判断はつきかねた。しかし、自分のことに関してはとことん頓着しない少年だからこそ、前者が正解の気もして少し怖かった。
色々な疑問を残したまま、結局いつもと同じノリで旅立っていった少年の、恋愛に対する概念がまったく分からないと頭を悩ませるいい大人がそれをバーの隅で親友に愚痴っていたという目撃情報があったものの、そのあまりにも情けない姿を彼だと思いたくないと現実逃避した彼のファンの女性たちは、噂を知っても完全に知らぬ存ぜぬで以後を通していたらしい・・・・・。
FIN
勢いだけで書いたらすごいことになったいい例(いつものことです)。
というか、大佐にベタ惚れのエドなんてありえない(笑)面白かったけど始終薄ら寒かったんでもう二度と書けないかもしれない。多分大佐がエドにあからさまにベタ惚れっていうのも絶対書けない。でも可愛いエドは好きです。
ていうか、うちのエドは恋愛面について根本的に何か間違ってます。恋に恋するお年頃?(笑)
目標→エドが大佐にめろめろ(笑)。両思いなのに気付かず一人で満足するエド(大笑)
(11/8記)
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