何も知らないのは罪
何も知れないのは怠惰
何も知らされないのは穢れなき証拠
しかし、知ることによって人はまた、罪を重ねていく
ねぇ だとしたら
人はどちらになっていればいいのかしら?
RETURNABLE MEMORIES
「「何も知らないくせに」
「何も知らないから、そんなことが言えるんだ」」
無感動な男の声が、無数の本に反響した。冷たい空気が僅かに震える。
そして、無自覚のまま・・・・自分自身すらも、震えていた。
これは、憤り?それとも、悦び?
「そんなことが言ってほしい訳ではないだろう?」
「・・・・あんた、どっかから見てたのか?」
精神状態が軽く揺さぶられている自覚はあった。しかし、彼が突然出現してきたときも、大して驚かなかったというのに、この声は何だろう。
酷く情けない。声が泣いているかのように震えていた。
元々の予定では、閉館時間ギリギリまで粘って書物を読み漁る予定だったのがすっかり崩れていた。
何を読んでもちっとも頭に入らなかったからだ。しかし、少年が何より思うのは、あの場に最愛の弟がいなかったことだ。
あの心優しい弟は、兄同様、互いを優先させて物事を考えることがある。エドに投げかけられた言葉は彼にとって何よりの屈辱に等しい。
もし、あの場所にいれば、優しい弟まで、事情も知らない人間から言葉のナイフで傷付けてしまうことろだった。
傷つくのは、自分一人だけで構わない。兄として、護るべき相手を、そっと慮っただけだ。
“あの出来事”は、もう自分の中でひっそりと仕舞い込んで、なかったことにしてしまおう。最初から何もなかったのだと。
それすらも崩されてしまったのは、目の前で意地の悪い笑みを浮かべる軍人だった。
男は、闇色の髪を軽く掻くと、同じ色に燃える瞳をそっと伏せたまま、素に戻ったらしい小難しい表情を浮かべた。
「生憎と、司令部全体は私の庭みたいなものだからね」
「・・・・じゃぁ、あんたはその庭で相当躾の悪い狗を飼ってるんだね」
「・・・・・すまんな。どうしても、若いうちに出世した人間は、疎まれるものだから私も庇いきれん」
「別に、あんたのせいじゃないし分かってることだから」
がたん、と椅子を引いて、少年は隣に積み上げていた本の山を持ち上げて棚に向かう。
どうせ、このまま読み続けても頭の中に入ってくるとは思えないし、突然珍しく殊勝に謝ってる大人が珍しくて、相手をするのもいいかと考えたからだ。
おそらく、自分が“あれ”を言われたあとに、すぐ気付いてこの図書館まで追いかけて来てくれたんだろう。・・・・悔しいと思いながらも、逃げ出してしまった自分を。
落ち着いた物腰とは裏腹に、肩にかけたコートが微妙に崩れていた。
『いいよな、国家錬金術師サマってのは。苦労しないで馬鹿みたいな金額がもらえるんだからさ』
それは、愚痴にしては大きく、少年が傍にいるのが明らかなのに憚らずに言われた、紛れもない暴言。
東部には、少年を快く思う者が非常に多い反面で、こういった最年少の少年を妬む輩も少なからず存在していた。
それは、この大人とて同じことだ。20代のうちに大佐という階級まで上り詰めた人間だ。少年より遥かに多くのやっかみやひがみを言われている。
そんなものは、小鳥の鳴き声か何かだと思って軽く聞き流してしまえばいい。元々自分が歩むと決めた道だから。そう、大人は思うのだけれど。
(それを・・・・この子まで味わうことはないだろうに)
そうとは知れない小さな歯噛みをした。
この修羅の道に誘ったのは自分だ。それが、彼等兄弟にとって、最も未来への近道になると思った。消えかけた焔が耐えられなかったということもあるかもしれない。どちらにせよ、このまま捨て置くには惜しい人材だと思ったから、拾ったまでだ。
ある意味では、自分と最もよく似ていて、そしてある意味では全く似ていない。駒と判断するには彼は子供すぎるし、大人自身も、庇護する対象だと思っていた。
たとえどんなに腕っぷしが強くても、少年はまだ10代をやっと半分超えたばかりの、本来まだ親の保護下にある筈の存在だ。殴ってでも道を指し示してやらなければという一種の使命感もあった。
先程、最初に此処を訪れて少年に大人が言ったのは、大人の本音だ。しかし、同時にそれを少年が望んでいないことを知っていた。だからわざとはぐらかしたけれど。
(あの心無い輩が、この子の何を知っている。何が分かる。何も知らないくせに、腐ったことを)
「・・・あの、さ」
険しい表情をしていることに気付いたのか。本を全て元の場所に戻した少年が、また元の椅子に座り込むとさりげなく立ちっぱなしだった大人に近くの椅子を引っ張って勧めた。
少しの間、逡巡してから大人が椅子に座るのを確かめてから、少年はゆっくり言葉を吐き出した。
「最初から、こうなることは分かってて、それでもこの道選んだのは、俺もあんたも同じだろ?」
「しかし、此処は私の管轄内だ。・・・ある意味での私に対する侮辱でもあるそれを放っておける訳がないだろう?」
「はは・・・ま、あんたならそうだろうね。」
力なく笑うと少年は、息を吐き出して続ける。
「俺、さ。別にあんたのことをアルの代わりにしようってなんか思ってねぇから・・・ていうか、あんたとアルじゃ比べるまでもないけど」
「うん」
「わざとはぐらかしてくれなくてもいいよ。あんたが、俺のことしょっちゅう庇ってくれてるのは、知ってる」
「・・・・・・・・」
「俺がこんな身体になったのも、アルをあんな身体にしちまったのも、全部俺のせいで、自業自得。だから、俺がこうやって軍にいることだって自業自得」
「・・・・だからといって、わざわざ暴言を聞いて受け入れていては精神が疲れる」
「・・・・あんた、俺以上のこと言われてもずっと耐えてるじゃん」
ぐ、と言葉に詰まった大人に、子供は酷く似合わない微笑を浮かべた。
「俺はいいんだ。アルさえその言葉を聞かなければ。アルさえ傷つけなければ、それでさ」
(だから、何も分かってないというんだ)
溜息を、盛大に吐き出したい衝動を抑えて、大人は首を横に振る。
「それは、君の意見だろう?私・・・・いや、皆としてはね。弟君は勿論、君自身にも傷付いて欲しくないのだよ」
子供の目が、驚きで見開かれた。他人の悪意には敏くても、好意には鈍い少年である。リアクションは予想内の範疇だった。
仕方ない。と少し困ったような笑いを浮かべて大人は子供の頭を撫でた。
最初の頃こそ、警戒しているのと、子供扱いされたくないのとで突っぱねられしかしなかったが、ようやく大人しく撫でられるようになった。
東部の、特に直属にしている面々なんかは、特に子供好きという訳でもないのに、兄弟のことは猫可愛がりするものだから、少年もすっかり抵抗を諦めているとも言えるが。
「なぁ、鋼の」
「何も知らない無知は人の心を傷つける凶器になり得る罪だが」
「知りたいと思う者に教えてやらないことも、人を傷付け得る罪だと思わんかね?」
「何それ?何かの台詞?」
「・・・・最近、ふと思うんだよ。・・・・これは関係ないが、君はどう思う?知らないままと、知っておくことは」
「そんなもの、知っていた方がいいに決まってる。正体も分からないものに手を出せるわけない」
「そう・・・だな」
彼でなくとも、錬金術師であれば特に思うであろう。実際に、大人もそうだ。けれど。
「一概に、どちらがいいとは云えんな。・・・しかし、鋼の。そう言うならもし、アルフォンス君が、君の預かり知らない所で誹謗中傷を浴びせられたら君はどう思う?」
「・・・・・・言った相手ボコりに行く」
「うん。実に君らしいな。ついでに言うと、君達本当に兄弟だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
うんうん、と納得したように頷いてから、大人は人差し指を少年に向けた。
「今、司令部にアルフォンス君がいる。中尉に説得させられてる最中だ。意味は分かるね?」
少年の表情が強張った。
「まさか、アル・・・・・」
「そのまさか。君には買い物に行くって出てたらしいね。そのあと、彼は君より少し早く司令部に来ていたんだよ。君が来たという連絡が着いたから、弟君と一緒に迎えに行こうとしたら、その場面に奇しくも立ち会ってしまってね。・・・・彼は隠していたつもりらしいらしいが、私が止めなければ、あの軍人に殴りかかっていただろうな」
だから、説得中、と続けて、思い出したように「それと、国家錬金術師に対する侮辱罪ということで、鋼の錬金術師殿に暴言を吐いた輩はそれなりに罰を受けてもらったから」と笑顔で大人が言うので、少年は顔にひきつった笑いしか浮かべられない。
ぽん、と肩に置かれる手。発火布ではない手袋越しに伝わる熱。
「君は、君が思っている以上に周りから好かれていることをもう少し自覚しなさい。もし、あの場にいなければずっと知ることができなかったアルフォンス君の気持ちも、少しは考えなさい。居た堪れないだろうが」
何も知らないのは罪
何も知れないのは怠惰
何も知らされないのは穢れなき証拠
しかし、知ることによって人はまた、罪を重ねていく
ねぇ だとしたら だとしても
「・・・・・・善処はするよ」
うん、とは言えない臆病な自分に、少しの嫌悪を感じながら。少年は答えた。
答えの見えない問い掛けに、本当は解答がないことを、知っているけれど、それでも、少年は。
(ありがとう。ごめんなさい)
曖昧な答えにも、ちゃんと頷いてくれた大人に、少しだけ素直に謝りたいと子供は思った。
知って絶望したとしても、立ち止まることはしない、護るべき者を持つ、兄という生き物だから。
fin
本当は小話集に入る予定だったもの。ちょっと長いからもう、一本の小説扱いしちゃえーとか思って(安易)
大佐がお父さんだ・・・・・・。エルリック兄弟は過保護なくらいに可愛がられていたらいい。でもある程度は大丈夫だって信頼されてたら尚いい。
今回のタイトルは、もう考えるの面倒だったんで(おい)エドワード君が歌ってる歌のタイトル貰いました。だから脈絡ないです。全く。
多分『戻ってくる思い出』とかそういう意味なんじゃないですかね(いや、いい加減にも程がありますよあんた)。
私の目指す作品ってどんなものか分からなくなってしまった今日この頃。(8/29記)
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