“例えば。”




何かを仮定して、問い掛ける時などによく使われる言葉だ。

それはもしかしたら起こるかもしれないし、起こらないかもしれない事柄だ。

その言葉だけで、人は人をどん底に落とす事も、至上の至福を予感させられる事だって出来得るのだ。

そして二度と物に戻らないものを惜しみ口にする事もある。


それは果たして、緩やかに確実に流れ行くその時間を、少しでも延ばしたいからなのだろうか。

それとも――?







 If Or Will?











「云って置くけど、俺『もしも話』って大嫌いなんだ」
分厚い本を捲りながら、少年はきっぱりと答えた。その確固たる態度は尊敬に値する、と彼の上司にあたる
その青年は、口元を覆う右手の下で声も無く笑い、肩を揺らした。

少年とはいえ、彼はすでに15で、青年に入っても不思議ではない年齢だし、また青年の方も既に下手をすれば、個人差こそあれ29という所謂一部は『中年』の域に達しそうな年齢だった。
あえてその表現というのは、・・・まぁ、早い話が彼らは見た目よりずっと若く見られがちなのだ。
青年の方はともかく、少年はそれが気に食わぬようだが。先日も、小学生並と野次の衆から評され、弟の制止がなければまず間違いなく突っ込んでいって何人かをのしてしまっていただろう。
逆に青年の方は初対面には20代前半であろうと言われる程だし、なんにせよ顔も権力も金も・・・おまけに野望も十分で、
勿論の事、女性にモテない筈がない。それに、彼の『大佐』という地位は、彼くらいの年齢ならばまだ全然『若い大佐』と評される程である。その所為で上に煙たがられる節はあるものの、何だかんだ言われつつも彼の人望は少なくない。

そんな二人な訳だが、青年はやたらこの少年が気に入っているようで、神経を逆撫でさせる発言をよくしては、
実力行使派の少年がいきなり彼に殴りかかってそのまま言い争う展開なぞ、間々あった。まさに水と油な訳だが・・・。
少年、ことエドワード・エルリックは、前途の通り、大佐を嫌ってはいなかったが、好きでもなかった。
それなのに、最近エドワードは青年ことロイ・マスタングのいる当方司令部の執務室に入り浸っていたりする。
理由は勿論、持ち出し禁止の重要文献を読む為だけなのだが、それで毎日何事もないかというのは甚だ疑問である。

今回の会話も、ロイの何気ない一言から始まったものであった。
「鋼のは、もし私が上にアルフォンス君や、人体練成の事を喋ろうとしたらどうするだろうね?」

まるで人事のような口調だ。
だが、聞き捨てならないその内容はエドワードの内心を揺らすには十分過ぎる一言だ。
雲が翳ったわけでもないのに、エドワードの瞳が曇るのを、ロイは確かに見た。
そして、鋭い眼光が自分を睨みつける様も、いつもよりずっと冷静に受け止めた。
だがムードや感情が火を見るより明らかな光を持つ少年を目の前にしても、少年が最も大事にする弟を握っても、ロイは自分がそれでエドワードに嫌われるという事はないと確信していた。何故か、とは答えられない。
ただ、最も適切な答えとしては、質問しているのがエドワード・エルリックその人だからという曖昧なものに過ぎない。

案の定、というのか。
彼は嘆息すると答えた。前途の通り、俺『もしも話』って大嫌いなんだと。
「だろうな」
苦笑の混じるロイの言葉に、エドワードは少しだけ、文献を傾けた。そして言う。
「『もしも』次の瞬間こうなれば。『もしも』これが上手くいけば。もしくは『もしも』あの時ああしていれば、こうしていれば。
そんなもの思って何になる。なるときゃなるし、ならない時はならない。」

単純且つ最も正しいその答えに、彼が何を思ってその言葉を口にしたか、ロイは理解した。

触れてはいけない最大の禁忌を犯してまで、得たいものがあった幼い兄弟。
それで得たいものが得られたのならまだしも、それが得られなかった上に、大切なものまで喪った兄弟。
その彼等が追い求めるのは幻とさえ言われる『赤い石』なのだ。

『もしも』なんて言葉、誰よりも彼等が一番言いたいに決まっている。

だけど、このエドワードは勿論、弟のアルフォンスさえも『もしも』という言葉を口にしない。
それはいかにその言葉が愚かしく、ナンセンスなのか理解しているからなのだろう。

手厳しい言葉ではあるけれど、何かを望むだけで得られるものなど無いのだと、彼等は身を持って知っているのだ。
「・・・なるほど、そうだな。」

ロイは言って、納得がいったという風に頷いて見せたが、エドワードの疑念が篭った視線がまだ己を見つめているのに気付いて付け足して言った。
「確かにそうだ。じゃぁ、するつもりが全くない事を君に尋ねても意味がないな」
憮然とした表情は変わらないが、それでもエドワードを取り巻いていた刺々しい空気は消え失せる。
「もし、そんなことをしてしまえば君は恐らく命を掛けてでも私を殺しに来るだろうしね」
「当たり前だ。地の果てまで追っ掛けてでも絶対あんたのすかした面、原形なくなるまで殴ってやる」
「恐ろしいことだ。精々そうならないように気を付けておくよ」
「是非そうして欲しいもんだな」

冗談のような、しかし何処か本音の混じるやりとりだ。
エドワードはロイの机に一度目をやり、さっきからずっと手が止まってると注意を促す。
実際、エドワードが此処に留まって、わざわざ軍の保管庫にアルフォンスを置いて二手に分かれたのも、
午後から用事で出掛けている彼の優秀な部下の「大佐の監視」というお願いを聞いたからなのである。

ロイはロイで、おや失礼と軽口を叩くとようやくその手を動かし始める。
・・・こういう時、エドワードは東方司令部の、普段は上司と部下の関係があまりないやり取りが好きだと改めて思う。
きっと、誰に対しても差別的な扱いをしない大佐がいるからなのだと、少年は思った。

そこまで考えて、ついでにロイのペン先が順調に動いていることを再確認すると、エドワードは再び文献に目を通し始めた。















陽がようやく西に傾き始めた時だろうか。
「鋼の」

ふと、呼び掛けられて、エドワードは顔を上げた。
にこりと微笑むロイの視線とぶつかり、少し不思議に思ったが、ふと彼の手が書類の束を指している事で、
彼の仕事が終わった事を知る。
「お!お疲れさん。・・・・ていうか俺結構何日も此処にいるけどさ、大佐別に真面目に仕事やってるよな」
言葉の裏を読むとすれば即ち『噂ではデートの為なら仕事もサボる人間だって聞いてたけど』辺りと思われた。
本気で驚いているらしいエドワードの表情に、ロイは露骨に肩を落とした。
「あのなぁ・・・君が・・・ハボック辺りから何を聞いてるかは知らんがそれはあんまりだろう?」
吐き出すような科白に、エドワードははは、と笑いながら「それもそうだな」と付け加える。
「デートの予定ないんだ?」
「・・・まぁ、君がいるからな。そんな必要はないよ」

・・・・・時には、頭の回転が速いのも、理解力が高いのも問題だな、と少年は自分の事ながら思った。
「何云ってんだよ。俺は大佐の暇潰しの為に此処にいる訳じゃねぇの!」
「おや?」

わざと本当の回答を避けて云ったのに気付かれたのだろうか。
ロイはいつもの意地悪そうな笑みを口の端に湛えると、椅子から立ち上がり、つかつかと少年に歩み寄ってきた。
エドワードもエドワードで、ロイのいきなりの行動は流石に予想が付かなくて思わず後ずさる―が、ソファの
背もたれに邪魔されて、それ以上の後退は望めない。
横に山積みにされていた資料が崩れるがそれすらも今は気にしていられない。
「私がどういうつもりで言ったのか、分からない君でもないだろう?」
「っ解んねぇよ!」

噛み付いてもロイは見事にするりと抜け道を見つけ出して避けるまでだ。
こんな時、返す言葉がいきなり無くなってしまうのを少年は恨めしく思う。
そっと。
ロイの手がいつものように、エドワードの頭に置かれる。
「・・・綺麗な髪だ」
「・・そりゃ、どうも」
「瞳も綺麗だ。・・・どうしてそこまで綺麗でいられるか不思議なくらいだ」

どうでもいいけど口説きの口調で云うのは勘弁して欲しいと、生返事を返しながらエドワードは切に思う。
それに、エドワードは、どちらかといえば、ロイの漆黒の色の髪の毛の方が綺麗に見えていた。
よく、童話に出てくる魔物は真っ黒な体をしていて、それでいて何か人を惹き付けるものを持っていると。
・・・・ただ、それを本人に云ってやった事は一度たりとも無いけれど。


優しく、髪の流れに沿って、ロイの手がエドワードの金糸を撫でる。
エドワードは、その動きが気持ちよくて、暫く放っておいた。ふと、ぱさりという音が自分の後ろで聞こえた。
「・・・・何やってんの大佐」

にこやかな笑顔でエドワードの髪をまとめていたゴムを腕に付けるとロイは人差し指を自分の口元に持っていく。
「いや、あまりに綺麗なものだから、解いたらもっと綺麗だろうと思ってね。大丈夫。後で責任を持って結い直してあげよう」
その男は酷く楽しそうに笑っていた。そんな表情をされていては、こちらも怒る気が失せるというものだ。
エドワードは左手でこめかみを押さえて、息を吐き出すと答えた。
「わざと変にしたらぜってぇ右で殴るからな」
「おや、手厳しい」

そしてロイはエドワードの隣に陣取ると、また頭を撫でた。
(最初は子供扱いすんなって嫌がれたんだけどなぁ)

今はあんまり嫌じゃない、むしろ好きなのだ。ロイに頭を撫でられる事は。
そんなことをただ漠然と考えていると、降ってくるいつもより堅いロイの声。
「鋼の・・・・仮定話なのだが」
「だから『もしも話』は大嫌いて言ったばかだろ」
きっぱり一言で一蹴するとエドワードは散らばった本を拾って目を通し始めた。
ロイは、顔こそ見てはいないが微笑でも溢しているであろう声音で「最後まで聴きなさい」と軽く少年を咎める。
「もし、君が腕と弟を無くしていなかったら・・・国家錬金術師になろうとは思わなかったのかい?」

その言葉に、エドワードは一瞬、何事かを言おうとして止めて、顎を引いた。
代わりに首を縦に振る。拍子にロイの手の中に収まっていたエドワードの金糸がそれを潜り抜けて、彼の肩に掛かる。
習うようにロイも何も返さなかった。そっと、手をすり抜けていった髪をまた集めると、その手がゆるゆると三つ編みを形作ってゆく。

そして、
「ほら、出来たよ鋼の」
「ふーん・・・・・意外に器用なのな、大佐って」
「意外は余計だろう」

元通りになったその髪をいじりながら、エドワードは悪戯っ子のような笑みを浮かべて立ち上がり、ロイを見た。
彼は何を言われるのか大抵予想でも付いていたのだろう。軽く首を竦めて見せた。
「それより・・・もうこんな時間だがアルフォンス君は放って置いていいのかね?」
『こんな時間』と、顎で指す窓の外は既に紫がかった、僅かにオレンジが残る色になっていた。
それに気が付き、エドワードも「やべぇ!」と戸口へと急ぐ。

扉を開ける直前、くるりとロイを向き直って形だけに過ぎない軽い敬礼をしてエドワードは
「明日も来るからその資料そこに置かしといて!」
そう云って出て行こうとした。だが寸ででロイに引き止められる。
「何?何かまだあんの?」

「鋼の・・・『もし』私が君に“LIKE”以上の好意を持っているとしたら、君はどう思う?」

唐突の質問に、エドワードは周りが無音になった錯覚を覚えた。
だけど、答えは、たった一つしか思い浮かばない。
「どう思うかなんてその時による。だけど、だからって俺はそれに流されはしない」
それに、と付け加える。
「“LIKE”の上は“LOVE”だとかいう誤解させて吃驚させたいとか思ってんだろうけど、もうちょっと捻れよな、大佐」
「―・・あぁ、全くその通りだね。じゃぁ今度は絶対騙されるようなものを考えておこう」
「げっ!勘弁してよ。あんたが本気でやりだすと洒落にならないんだからさ!」
本気でやりかねない口調のロイに少し身構えする少年である。

そしてエドワードは勢いよく扉を開けた。
「んじゃまた明日な、大佐!」
「あぁ。君も調べ物は程々にな」

そして扉をくぐった。

「でも一応好意持たれてるってのは嬉しいよ」



そんな、無邪気な一言を、すごく照れ臭そうに言い残して。





Fin

うわぁ。何これ。危うく甘々モード入りかけたわ・・・(汗)
んっと・・・・好きの次は私的には大好きかな。ていうより好きと愛してるって混同視しちゃいそうだけど意味合い的には全く別物なんじゃないかなって思いまする。これは大佐(もしくはエド)が巧くかわしたのか、それとも父子愛でも入ってるのか?
愛はあるようでない(ある意味)。ないようである(ある意味)。

エド的にお兄さんポジションゲットしてるのはハボさんだと思うので。じゃぁ残りお父さん?みたいな。
タイトル説明するまでもないね。それは仮定?それともきっと先に待つ未来?とかそんな意味合い。
お粗末。




戻る。