第二十二話 弥勒と珊瑚の場合。








平穏な雰囲気とは、たった一言で、ここまで壊されるものなのかと、犬夜叉は珍しく黄昏た。










「最近、外にいると誰かにずっと見られてる気がするんだよね」



瞬間。

その場に存在するそれを発した1名を除く全員が、極寒の地に飛ばされたような感覚に陥る。
青年はちらり、と彼女の想い人の様子を覗き見て、そして見なかったことにしようと決め込んだ。
本能的に悟ったのだ。温和な表情の裏に隠された、どす黒い見た事も無い相手に対する殺気を。

爆弾発言とも取れるそれを発した少女は、そんな短いやりとりに気付く風もなく、ただ疲れた溜息を吐いた。
そして、目の前の少女と、その膝の上に抱えられて硬直する園児――とりわけ、今にも泣き出しそうなくらい何かに
対して恐怖している少女に、訝しげな視線を送り、彼女の“保護者”に視線を送って・・・理由を把握した。
とりあえず俯いて冷や汗をだらだら流しながらビビっている少女・・・かごめを、膝の上の七宝ごとあやす様に
軟らかく抱きしめて、「大丈夫、大丈夫」と言った後、かごめをそういう風にした原因・・・の、弥勒を軽く睨んだ。
「らしくなく殺気立てないで。かごめちゃんが怯えてる」

己の発言ゆえ、引き起こった事態ではあるが、それでこの愛らしい少女が怯えるのはいただけない。
その言い分に気付いたのだろう。弥勒は驚きに目を見開いた直後、すぐにへらりといつもの人懐こいと取れる笑みに相好を崩した。

それでようやく、その場の一同は無意識に止めていた呼吸を再開することに成功した。

かごめもかごめで、怯えは消えぬものの、消え失せた殺気に顔をのろのろと上げた。
「すいません、取り乱しまして」

誰にとも・・・この場合、主にはかごめに対してだろうが・・・謝罪の言葉を述べ、弥勒は湯気立つハーブティーに口を付けた。
態度が一瞬にして豹変するのは最早、この男の専売特許と言えようが、些か今回のこれはギャップがあり過ぎる。
無理もない、と理解しつつも、真隣で彼の殺気を感じ取ってしまった犬夜叉は、ここ暫く感じることのなかった戦慄で粟立った肌を服越しに撫でて、何事もなかったかのように振舞うように心掛けた。
・・・周りと同様、心臓がばくばく煩いのだけはどうしようもないが。

「・・・・で」
切り出したのは、この場の人間の精神状態を尋常じゃなくなるまで混乱に貶めた張本人だ。
「詳しく聞かせてくれますね、珊瑚」






彼女の、大方の話はこうだ。

先日、同業者の誘いで、珊瑚は彼女のデザインした服の個展を開く事になった。
それは割と盛況のうちに幕を下ろし、珊瑚も十分に満足できる結果を出せたように思う。

だが、その日を境に、誰かから見られている。視線を感じているらしいのだ。
最初は気のせいか、と思い気にも止めていなかった。実際、視線を感じるのは外を出歩いている時だけだったし、
元々珊瑚は、昔から人の注目を良かれ悪かれ集めやすいというのを自覚していたのだ。
しかも、社会人として働き出すと、その視線は専ら男性からの好意を含まれたものに変わっていた。

感じる視線は殺気こそ無いが、明らかに常に、自分だけに向けられているのだ。
ストーカーのように四六時中見られている訳ではないらしいが、気味が悪くなり相談を持ち掛けてみたという事だ。

「これって、やっぱ作為的なのかなぁ」

ぽつりと呟いて考え込む珊瑚を、かごめはじっと見つめて、やがておずおずと口を開いた。
「あの、珊瑚ちゃん・・・・」
「ん?」
「ストーカー、って何?」

「「・・・・・・・・・・・へ?」」

弥勒と珊瑚の声がハモる。
ちなみに彼女の保護者は声を出すどころか、ずっこけてソファから落ちていた。
場の雰囲気も読めないほど愚かな少女ではない。本気で不思議に思っているから尋ねるのだ。性質の悪い事に。

「・・・て、お前なぁ!」
最初に少女に掛かったのは、立ち直ってソファに腰を掛け直した犬夜叉だった。
どこまでお嬢暮らしなんだ、と問い掛けたくもそれは無理な注文である。

この少女の以前の生活を問い質すような質問はしてはいけないというのは、暗黙の了解事なのだ。
昔を思い出させようとすると彼女は決まって悲しそうに表情を歪める。
だから余計な詮索をして、かごめに負担は掛けさせない。だから代わりに。
「・・・・・変な趣向の人間も世の中にゃぁいるってことだよ」

どう説明すればいいのか分からず、犬夜叉はさばさばとした口調で言った。
きょとんと首を傾げるかごめに、珊瑚が注釈のように説明を付け加えると、聡明な少女は合点がいったらしい。
疑問が解けたことへの歓喜を一瞬見せたが、やがてそれは珊瑚への心配の表情に変化した。
「平気なの?珊瑚ちゃん」
「うん。別に何かされたわけでもないし。」
「しかし・・・何かあったあとでは遅いんですよ、珊瑚」

珍しく本気で心配を表して言う弥勒に、珊瑚は微笑んで答えて見せた。
「大丈夫だって!法師様だって知ってるでしょ?あたしの腕っぷし」
「・・・合気道2段、剣道初段、ついでに薙刀、ボクシング何でもござれ、って?」
「そういうこと」

それは、女だからってナメられたくない!というのが信条の珊瑚が、幼い頃から怠らなかった鍛錬の賜物だ。
弥勒はそれを小さい頃から知っている。知っているからこそ、弥勒も彼女に倣い、心身の鍛練に付き合った事もあったのだ。

そして、彼女の強さが半端ではないことも十分理解している。
だが、悲しいかな、それはあくまで一般の体力の人間10人程には通用しても、同じく鍛えた男の力には敵わない。
弥勒の心配はそこだ。

自分が傍にいて護れるものならば護ってやりたい。そう感じるのに、立場がそれを赦さない。
無力に感じる自分に、弥勒は酷く憤りを感じて、傍目それとは分からぬように拳に力を込めた。

・・・・が、それをあっさり破ってくれたのは、能天気な少女の声。
「珊瑚ちゃん凄い〜・・・・私も何か倣おうかなぁ」
「えぇ?!」

羨望にも似た眼差しを珊瑚に向けて言うかごめの瞳に本気を感じ取って変な声を上げたのは犬夜叉だ。
一瞬、逞しくなられたらこっちが護れねぇ!などと考えてしまったのは幸い彼女に気付かれていないようだ。
「ばっ・・・お前なぁ!何のために外出控えてるか分かってんのか?!」
「珊瑚ちゃんに倣うなら問題ないじゃない。ね、駄目?」
「え゛・・・・・と。」

懇願する可愛らしい瞳と、面白がってる瞳、拒否したがってる瞳、意味が分からず見上げてくる瞳に一斉に見つめられて、
珊瑚はどう返すべきかと考えあぐねいた。だが結果は。
「・・・・かごめちゃんは強くならなくっても、私が護ってあげる!」

本当は犬夜叉が、と言った方がいいのだろうが、珊瑚のせめてもの反抗心からあえて自分が、と言う。
(そうきやがったか・・・・)

ひくりと口元を痙攣させて、犬夜叉は珊瑚に複雑な視線を送る。
言外に、「犬夜叉は情けないから」と言われた気がして、犬夜叉は少しへこんだ。あと、本気で何か格闘技を倣おうか、などとも思ってみたり。
そういうものが全くできない訳ではない。今でこそ、デスクワークを主体にした活動をしているが、犬夜叉は自他共に認める所謂『体力馬鹿』の人間である。幼い頃から自己流で身に付けた護身術や剣技は持ち合わせていても、珊瑚のように正規の場所で習って、正しく型を覚えた者と同じ土俵に立つと、些か分が悪くなる。・・・・・彼のために弁解しておくと、少なくとも犬夜叉は決して弱くはない。ただ、最強、という訳でもないだけで(そもそも女に手を上げない主義なので、珊瑚とは戦う前からホールドアップしている犬夜叉である)。

犬夜叉の複雑な思惑に気付いたらしいかごめは、苦笑をこぼす表情のまま、犬夜叉と目線をあわせ、また、苦笑のまま目をそらした。
思わず声を出し掛けたが、青年はとりあえず我慢することにした。
(ていうか今の間は一体なんだよ 俺が珊瑚に敵わないって本気で思ってんのかコラ)

口に出さなきゃ流石のかごめも伝わらないだろうに(大体その意見だって半分正解である)。微笑ましい無言のやりとりが展開される中、まるで目の前のことが全く見えていない弥勒は腕組みして、何かを考えるそぶりを崩さなかった。



「さて、じゃぁそろそろ私はお暇させてもらうわ」

ソーサーに紅茶を飲み干したカップを戻すと、珊瑚は腰を上げながら言った。ついでに、台所まで食器を持って行こうとしたところでかごめに「それは私があとでするから気にしないで」と言われたので、厚意を素直に受け取っておくことにした。
そして、手持ちぶ沙汰になったところで、珊瑚はちらっと、弥勒と七宝の方へ視線を向けた。七宝・・・・は、まだかごめの膝の上でご満悦そうにしているので暫く帰らないだろう。弥勒の方は、珊瑚の視線を感じ取るとすばやく立ち上がったので、一緒に帰るつもりなのだろうと判断した。その弥勒の横に座っている犬夜叉が、かごめの膝を独占している七宝を恨みがましい目で見ていたが、あえてなかったこととして記憶から抹消すると、彼に声をかけた。
「お邪魔様。どうせたまにしかゆっくりできないんだから少しくらい七宝にかごめちゃん貸したげなよ」


そそくさと部屋を出た珊瑚を追い掛けた余計なお世話だ!という犬夜叉の叫びが聞こえたが、珊瑚はあえて聞こえないふりをした。どうせまた顔を真っ赤にして恥ずかしがっているというのは見ずとも分かったから。あと、扉を閉める直後に七宝の揶揄する声も聞こえてきたし、それに後ろに続いていた弥勒が失笑を漏らしていたので、確実に大人げも何もない喧嘩に発展したあと、きっかりかごめに怒られるのだろうという予測すらついた。
これは別に彼等がエスパーな訳ではない。単に犬夜叉には、かごめ絡みでの学習能力というものが存在しないのである。

暫く可笑しそうに、弥勒と二人で肩を並べて笑っていたが、やっと平常の状態にまで心境が落ち着くと、「じゃぁまたメールとかするから」と、珊瑚は手を軽くふって、踵を返した。けれど、その前に弥勒が珊瑚の腕を掴んで、引き戻していた。

ぽふっ、と可愛い効果音付きで、珊瑚が包み込まれたのは、弥勒の腕の中。
「えっ!?・・・・・ちょ、法師様・・・・?」

今更、というか、これくらいでうろたえるようなことはもうなくなったが、それにしてもの突然の抱擁に、珊瑚は戸惑う。
どうすればいいのか、半ば真剣に悩んでいると、そっと珊瑚の耳朶に、弥勒の吐息が掛かり、珊瑚はぞくりと身を震わせた。
「普段からお前が目立ってるのは知ってますけどね」

溜息が同時に毀れていそうな声音だった。
「普段の程度だったらまだ、我慢できるし表にも気配出さないように出来ますけど。・・・・珊瑚、無理なのも仕方ないのも分かってるよ。そしてお前がどれだけ魅力的かもちゃんと分かっているつもりさ。だけどね、余り私を心配させてくれるな。私とて、かごめ様を脅かしたくはないのだから」
「・・・・・何、それ・・・・・」

むちゃくちゃだとか思う前に、何だか珍しく情けなくなっている青年に、珊瑚は悪いと思いつつもくすりと笑ってしまう。
きゅぅ、と抱きしめる腕をきつくして、「これでも本気なんですけど」と付け足して言ったあと、暫く彼女の匂いをたっぷり堪能してからゆっくりと、弥勒は珊瑚を放した。
「どうせ婚約までしたんだから、いっそ同居したいって思ってるんですけどね」
「・・・・何言ってんのさ。現に今だってある意味一つ屋根の下にいるじゃないか」
「近くにいるのにすぐ触れられない距離ってのは案外寂しいものなんですよ、珊瑚」
弥勒の手が、珊瑚の頬をゆっくりと撫でた。
それにしても、はっきりと恋仲を認めると同時に、この男は随分と寂しがり屋になったものだ。それともこっちが地なんだろうか、と珊瑚は少しとりとめもないことを思った。
「けど、私のところは一応入院中でも琥珀が同居してることになってるから、まだ無理だよ」

既に決まり文句のような言葉を返してやると、弥勒があからさまに肩を落とすもので、珊瑚は居た堪れなくなってしまった。
それと同時に、自分にここまで翻弄されてくれる弥勒が、堪らなく愛しく感じてしまったり。・・・・・・とりあえず。

落ち込んだ顔に。屈み込んで軽く頬にキスを一つ贈ると、酷く間の抜けた顔で、キスした頬に触れて、途方もなく幸せそうな顔なんてしてくれるものだから。
今までの落ち着かない気持ちも全部吹き飛ばされてしまい、逆にこっちが恥ずかしくなった。




そんな他愛の無いバカップル仕様の行動を、いくらマンションの廊下とはいえ臆面もなくやってのける真性バカップルにも気付かずに、今日も犬夜叉宅からは、とうとう我慢の限界がきたかごめが犬夜叉を諌めに入った声が聞こえたのは、管理人の老人しか知らない。

・・・・・・まぁ、ある程度防音効果のある壁なので、室内のことがご近所さんに漏れることは、ないのだけれど。







【続】

更新サボって停止して丸一年間放置記念(そんな記念捨ててしまえ)
いや、ホンマすいません。しかも久々に書いた思ったらいきなりバカップルか。

・・・・・学園ラブコメの方は、犬かご主体で、ちゃんと弥勒様と珊瑚ちゃんの恋愛の過程とか入れてたんですけど、この猫話はそういうの全部すっ飛ばしてます(苦笑)いきなりラブラブしてるみたいですけど、一応それに至るまでの過程はあったのです。省きましたが(駄目やん)
ま、まぁホラここ一応犬かご中心サイトだからその辺は見逃して、みたいな(死)でも、バカップルな弥珊は書いててとても楽しかった。
今からダッシュで頑張って一気にラストまで書き上げたい(願望)。でも無理だろうな。犬かごは未だに兄妹の感が強いので。(8/12)