START IN A DISTANCE
パチンッ
火の爆ぜる音。川のせせらぎ。夜の水気を含む空気。硝子越しではない、近くに見える星々。
総ては『彼女』にとって、新しいものだった。
全く経験のないものという訳でもなかったけれど、それを外気に直接触れて感じることはきっと、そんなになかったことだった。夜中にこっそり、自室を抜け出して庭を散歩したり、バルコニーからそっと星を眺めたり。せいぜいそのくらいしか、経験がなかった。
彼女自身が、彼女が背負っている肩書きにそぐわぬ意外な『おてんば』娘だったせいか、外の世界へ出るのはある種の憧れでもあった。
籠の鳥のように、何処かへ出掛けようとする度に、家臣に体を壊すから、危険だからと何度も止められ、渋々諦めることも決して珍しいことではなかった。
表面上、おとなしく言いつけを守る賢い子供を演じたものの、内心では不服の気持ちでいっぱいだった。
何故、他のたくさんの者たちは皆外の世界で暮らしているのに、自分だけは危険だと言われなければならないのか。体調を崩すというのならば、外の世界の人間など、常に体調を崩していることになるではないか。
いい子を続けて、また、そうあるように努めてきた少女は、しかし決して愚かではなかった。
外の、未知の世界への憧れという、上流の者特有の甘い冒険心があったことは否めないが、だからといって、何も知らないわけではない。
ただ、無知過ぎてはいたけれど。
少女は今、そのずっと憧れを抱いていた『外の世界』にいる。
しかし、それは決して自分の興味や好奇心を埋める為などという生易しい決意のためにではない。
まだ、そんなお気楽な旅の方が、もしかしたら少しは気が晴れていたかもしれないが、そうではない。少女は、少女の母の愚行を察知し、それを阻止するために動いているのだ。
――尤も・・・少女が動くまでもなく、周りは勝手に着々と下準備を整えてくれていたが。それに便乗して、現在、少女は“頼もしいボディガード”と共に旅をしていた。
ガーネットは、・・・周りには、既にダガーと呼ぶことがすっかり定着してしまっているが・・・パチパチと静かに燃える薪の残骸が宙に消えるのをぼんやりと眺めながら、何をするでもなく今からのことを漠然と考えていた。彼女のボディーガードとして付いて来てくれた盗賊の少年のジタンは、少し軽いような印象を受けるが、信頼するに値する人物であると思っていたし、成り行き上、一緒に旅をすることになったビビだって、少し気の弱いところはあるが、それとはまた違う優しさを持っている男の子だ。自分の付き添いにと、城から執念深く追ってきたスタイナー・・・家臣としてはとても心強いが、彼が望むはガーネットの城への帰還。悪いがこの状況では一番信頼してはいけない人間だった。
母の、他国の乗っ取りの情報を聞きつけて、それが真相であるという証拠まで掴んで。
それから自分で下準備をして、家出の決心までして。だけれど、彼女の持ち得る情報量はあまりにも少なすぎた。
(ここまで意気込んで来て・・・だけれど、私に何ができるというの)
叔父にこのことを知らせて、母を止めるように説得させる?母が、それに応じるかどうかも分からないのに?
考えれば考えるほど、思考の底に沈んでしまうのは分かっていたが、それでも自己嫌悪は薄まらない。
(私は、何のために家を出たのかしら)
(お母様に、戦争を止めてほしいから?)
そこに潜む陰は分かっている。もし、母が説得に応じなければ、叔父の国もまた、自国を護る為に武器を取り、アレクサンドリアに戦いを挑まなければならない。そうなれば、叔父か、母。どちらかを無くしてしまうかもしれないのだ。
(怖い・・・・)
きゅっと、膝を抱き締めた。まだまだ16歳で、小娘と言われても仕方のない年齢で、ましてや温室育ちの女王様だ。戦争という、漠然としした、想像もつかないほど大きく底知れない恐怖に耐えられるほど強くはない。
ちらり、と横で軽い鼾をかいて眠るスタイナーに視線をやり、複雑な心境に囚われた。今からでも遅くはない。
叔父にこのことを告げる前に、自分でも一度、城へ戻って母を説得することは出来ないだろうかと。幼いころはとても優しかった母が、戦争を起こそうという事実は、たとえ証拠を掴んだ今でもガーネットにとっては信じ難いことだったのだ。
「眉間に皺、寄ってる」
急にふってきた声に、ガーネットは驚き、身を捻らせたが、反動で倒れそうになる。こけてしまう、という意識は、案外他人事のように感じられた。実際、その声の主が助けてくれたお陰で、そんなことにはならなかったのも、少しは一因であろう。
「ジ、ジタン・・・・?」
「折角の美人が台無しだろ。思い詰めちゃだめだぜ、ダガー」
片手で少女の体を支えたまま、そんな気障なせりふをさらりと吐いてしまうジタンにガーネットは少し眩暈を覚えた。
・・・・決して馬鹿にしているのでも、呆れているのでもない。元々芝居好きなせいか、それとも姫という立場にあるためか、そういう気障なせりふや芝居掛かった言動に微塵も違和感を覚えない少女だからだ。そして、逆を言えば、そういう言葉に弱い人間でもある。
つまり、さらりと口説かれることにひたすら弱いのである。ガーネットは。
すっと、ごく自然な動作で、騎士のようにガーネットの手を取ると、わざわざ跪いて、彼女を立たせた。半分冗談が混じっているのにも気付いたが、それ以上に自分を心配する色が強い表情に気付いてしまった。ガーネットがそっと、茶化すこともなく素直にそれを受け取ると、満足そうにジタンが頷いたので、少し気恥ずかしい気分に駆られた。
「起きていたの?ジタン」
「・・・・ダガーが寝てないのに、暢気に眠れるかっての・・・・そこのおっさんみたいにさ」
「あら。そんなに煩かったかしら?」
「・・・・・・・・・・」
相変わらずどこかワンテンポずれた意見に、ジタンは苦笑するしかない。
この話題だといつまでたっても平行線のままだと判断すると、ジタンは話題の転換を試みた。
「なぁ、ところでさっき何考えてた?」
「え・・・・・・」
まさか、やっぱり城に戻る、などとは言い出せず、仕方なく最初にちらりと思ったことを口にした。
「私、こんなに長いこと外にいたことはありません。ここには、親切な方もいれば、悪い人もいる。・・・少し、自信をなくしてしまったのかもしれませんね」
彼の質問の答えは偽ったが、そう思ったことがあるのは嘘ではない。
彼女は、自分が思った以上の人が世界にはいると知り、その世界ですらまだまだ一部にしか過ぎないということも、空が途方もなく、途切れることもなく続いていくことすらも知らなかった。籠の中の小鳥の自分に知る由はなかったのだ。年を経るにつれて、それがだんだんあからさまに人為的なものへ変化したことは確かだが、それでも彼女は、想像していたよりもずっと大きく広い世界に戸惑いを覚えていた。
何よりも、ジタンを始めとする全ての人々は、この大きな世界になんの躊躇いもなく生きていることに、少しの疎外感と、置いてけぼりをくらった気分を味わっていた。
「ふぅん、そんなものかねぇ」
暫く逡巡していたジタンは、ふと顔を上げると心底不思議そうにそう言った。
とぼけた言い方だったが、不快には感じなかった。ふざけを装っていたが、彼がそれなりに真剣に取り合おうとしてくれているのは痛いほど分かったからだ。あからさまに気を使われていない分、安心できた。
「・・・・・・じゃぁさ」
思いついたように、ジタンは言う。その調子はひどく明るかった。
どうしても世界を否定してしまいたくなったら、空を見上げて
思い出して 俺のこと
世界は思っているほど醜くないから
世界は思っているよりずっと綺麗だから
世界は思っているほど怖くないから
世界は思っているよりずっと、広いから・・・・
「なぁに?何かの歌?」
ガーネットがきょとんと首を傾げて問い掛けると、ジタンは笑って答えた。
「タンタラスは一応、劇も副業としてるからね。今度の新作の主人公が言う台詞」
「まぁ」
「・・・・って、考えたのは珍しく俺なんだけどな」
普段はルビィが考えるんだ、と続けて、注釈のように、ルビィってダガーがぶつかった気の強そうな女の子な、と付け足したのが妙に可笑しくてガーネットはくすりと微笑んだ。
どういう想いでこれを考えたんだろう。
突然、好奇心が疼いたガーネットは、小首を傾げてさりげなく促せてみせた。ジタンは、少しだけはにかんだような笑みを溢すと後ろ頭を掻いて答えた。
「役者って、演じてるときは役になりきれなきゃいつまで経っても二流だし。主人公の気分で台詞考えろって言われた結果がコレ」
「・・・・まぁ、では誰か恋仲の方がいらっしゃったとか、そういう訳ではないのね」
「何!?もしかしてやきもち焼いてくれてる?!」
「調子に乗らないでください!・・・・ジタンは女の方から大層『おモテ』になるって聞いたからそう思っただけですっ」
ふいっとむくれてそっぽを向けばかえって逆効果になることを、ガーネットは知らない。いっそ不気味なくらい機嫌のいいジタンから目線を外していたせいもあって、自分が自覚はないとはいえ、『やきもち』に似た感情を彼に抱いていたというのを暴露してしまったことに彼女自身が気付くことはなかった。
不意に、瞳の奥が熱くなった気もしたが、空を仰ぎ見る振りをして何とか抑えた。
何故、急にこんなに胸か締め付けられたような衝動が襲ってきたかは分からない。――少なくとも、今それを知る必要なはいのだと、ガーネットは漠然と感じた。
「世界は途方もなく大きく・・・・いえ、私たちの存在がちっぽけなだけかしら?ジタンはどう思います?」
「両方・・・・だろ。それに、まだこの世界には誰も足を踏み入ることなく眠ってる大陸が、半分もあるって言われている」
「想像も、付きませんね・・・・・」
ぱちん。
焔が一際大きくなった。爆ぜたあとの燃えカスが宙に舞って、星と同化した。
世界は広くて深い。未知のものへの恐怖は尽きないけれど、反面ではそれにわくわくしている自分がいることは自覚していた。
「な、ダガー」
「はい?」
突然声を掛けられて、ガーネットは弾かれたように顔を上げた。
「俺は、さ。世界中を回るの好きだな。自分が知れないこととか、色々知れるから。・・・・ダガーは?」
「私・・・・・・は」
先程、自問自答していたことをずばり尋ねられて、ガーネットは返答に困る。どう答えればいいのか。
相反した二つの気持ちのどちらが正解か。どちらが本音なのか分からずに黙り込んでしまった。
「ダガーはさ、すぐに答えを出そうとするから、疲れるんだよ」
俯いたガーネットの頭に、ぽんと当たる優しい感覚。子供の頃きりだった。他人に、頭を撫でてもらうだなんて。
「もうちょっと力抜いて、いいか悪いかを分別するのは悪いことじゃないけど、どちらかを必ず選ぶ必要なんかないんだから」
じんわりと、ジタンの言葉が胸に沁み込んでくるようだった。善悪をはっきりと区別することしか教えられなかったガーネットにとっては驚愕なことばかり教えてくれるジタンだけれど、それは決して押し付けがましいものではないと分かっていたから、拒絶することもなかった。
そもそも彼は訳ありの人に対しても、深く事情を聞き入ろうとしない。ひたすら相手が話してくれるまで待ってくれている。
だから・・・彼の傍は安心できるのだろうか。
普段は飄々として掴み所のないお調子者というイメージが強い少年だけど、それは器の深さを隠す仮面のようにすら思えた。
(そこまで言えば買い被りかしら?)
それでも。
「ジタンは、不思議ね。私が考えていること、お見通しみたい」
「えっ!?本当に!?いっやぁ、やっぱこれも愛の力・・・」
「ジ・タ・ン」
「・・・・・・・すいません」
ビビが寝返りをうったのに気付いてガーネットが少し咎める口調でたしなめると、しゅんとなって謝られた。ついでに尻尾まで項垂れるものだから、わざとでないにしても(いや、だからこそか)何となくこちらが悪い気分にさせられる。
「・・・・・・ありがとう」
脈絡がないかもしれないとは思ったけれど、それでも云いたかった。
迷い始めた気持ちを引っ張り上げてくれたことに。道を作ってくれたことに。
言われて数秒は、意味を咀嚼するのに時間が掛かって硬直していたけれど、とりあえず彼女が怒っていないという結論まで行き着くと、ジタンはひたすら嬉しそうの一言に尽きる表情で、自分の膝を叩いた。
「・・・・・・・・・・・・なぁに?」
「俺はともかく、ダガーはいい加減寝なきゃな。明日辛いし、何より美容に悪い!膝枕するからさ」
へらりとそんなことを言ってお誘いをくれるジタンが心なしか、どこか必死だったので思わず笑みが毀れた。
本気か、冗談か。判断は付かなかったけれど、ガーネットはそっと、スタイナーを起こさないようにそろそろとジタンの隣に移動するとにこりと笑って言った。
「じゃぁ、お言葉に甘えます。・・・・でも、変なことしないでくださいね?」
「寝てる子に手ー出すほど腐っちゃいないよ。」
さらりと軽くガーネットの黒髪を梳いた。手入れの行き届いた髪は、指通りがよくて、思わずずっと梳いていたくなる。
言葉に偽りがないことを感じ取ると、ガーネットはおとなしく目を閉じた。
さっきとは違う安堵感は、すぐにガーネットを夢の世界へ誘った。身を任せれば、消えた訳ではない不安に、しかしもう押し潰されそうになることはなかった。
どこかまだ、甘く幼い子供のような少女が背負う物の大きさは、半端ではない。
本当だったら、暖かい鳥篭の中で生き続ける筈だった命を、ジタンは惜しく、また嬉しくも思った。
外へ出た小鳥に待つのは過酷な現実か、それとも夢に描いた未来の話か。判る筈もない。
だけれど、でも。
「おやすみ、お姫様。いい夢を。貴女の幸せな未来の夢が叶いますように」
普段からは考えもつかないほどに真摯な声音は、決して誰にも聞かれることはなかった。
ジタンの膝で眠るガーネットを目撃したスタイナーが、朝っぱらから大声で怒鳴るものだから、嫌気がさしたジタンが、ビビとガーネットを小脇に抱えて脱兎するまで、あと数時間・・・・・・・・・・。
fin
あの。ごめん。自分で書いててこれ時間軸どの辺か本気で分かりません(無能め)。
ジタンにダガー言わせたけど、口調は変わってないから・・・とりあえずすっごい初期だってのだけ分かって貰えれば。
いつのまにか結構長くなってた・・・。最初これの半分だったのに。何故?(計画性ないからだろ)
ジタンのキャラを最後までおちゃらけで終わらせるか真面目にさせるか悩んだんでどっちつかずの中途半端なことに(自己嫌悪)
とりあえず、彼は一応役者もやってるみたいだし、芝居がかった台詞とか言い回し好きそうなイメージが(偏見)。うわぁ、お兄ちゃん(クジャ)と一緒だね、それだとっ(大笑)
ジタンはおふざけするけど、真面目に考えてる人に対しては初めから真摯に対応してくれると思う。
お互いに自覚は皆無の段階なので膝枕も抵抗なし。それ以前に、ブリ虫を素手で捕まえたり、添い寝の意味取り違ったりする姫様がいきなり男性としてジタンを見るのはこの段階ではまずないでしょ。もうちょっと進まなきゃ・・・・。そんなこんなで何気に\では初小説です。
START IN A DISTANCE = 路から始まるもの(いい加減)
(9/1記)
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