「ねぇ、ちょっと気になったんだけどさ」
かごめが休日返上して作ったうずまきクッキーをぱきりと口の中で噛み砕いて、思い出したように言葉を紡いだのは珊瑚だった。何だ何だと、それぞれ適当に過ごしていた面々がそちらへ顔を向ける。
「犬夜叉、普段家事全部やってるんだよね?」
「・・・・・まあ」
答える犬夜叉は何処となく苦々しい表情だ。
いくら家事をしているとはいえ、かごめに働かせている現状が男として大変情けないと思っている彼にしてみれば、あまり話題にしてほしくないことなのだ(しかしそれできっちりバランスが取れているのだから難儀なものである)。
「そうですねぇ、最初は料理どころか皿も満足に洗えない奴がどの口で言ってるのかと思いましたけど」
「放り出すぞ弥勒」
「・・・・まあ、最近は煮込みハンバーグとか、手の込んだもの作れるようになったわよ?」
フォローのつもりらしいがかごめの発言に二人は同時に「おぉ」と感嘆の声を上げた。
益々居た堪れない気持ちになる犬夜叉。
・・・・そう。
確かに二人の結婚が決まった時期はひどく慌しかったのだ。
“色々”あって犬夜叉の方は働く、ということが出来ず、かごめの方も一人立ちする気満々だったりそれを引き止めるのに画策したり(主に実行したのは弥勒だが)すれ違いや勘違いが面白いくらい重なり、結婚直前にあわや破局かとさえ危ぶまれた、そんな波乱万丈な二人だったのだ。
その為、“色々あった”犬夜叉の代わりにかごめが働くかということで落ち着き―――落ち着きすぎた結果が現状だ。つまり『案外このポジションってお互いにぴったりなんじゃないか』と。
勿論、そのままいくつもりはないので犬夜叉の方はこっそり色んな努力はしているが、今のところかごめには内緒だ(多分その内、いい加減犬夜叉の挙動不審に嫌になったかごめが強制的に聞き出すのだろう。時間の問題だ)。
しかし、落ち着く、とはいえ犬夜叉の方は一部に対して大変器用なのにも関わらず、一部に対して大変不器用なのだ。いっそかごめが彼との結婚に踏み切った理由だって「この人放って置いたら野垂れ死にそう」と答えられたくらいだ(質問者:珊瑚)。それが真実か否かは定かではないが。
生憎と、器用に働いてくれる部分は家事方面へは働いてくれなかった。
皿を洗えば20枚に1枚は絶対割るし(力が入りすぎて)、洗濯をさせれば全自動の洗濯機で何故かずぶ濡れの服がそのまま出されるし(単なる操作ミスかもしれない)、掃除させると文字通り『四角い部屋を丸く掃く』状態だ(杜撰なのか天然なのか分からない)。
更に食事を作らせようとするとさすがに洗剤で米を洗う暴挙には出なかったが、出すもの出すもの全て焦げ付かせていた(恐らく火加減の問題)。それでも文句も言わずに完食する辺り、かごめはよく出来た旦・・・・いやいや、嫁なのではないかと思う。
ただし料理レベルが判明した瞬間、時間があるときは必ずかごめの生徒一人限定、プチ料理教室が毎度開催されていたが。(そしてもうそれは『料理教室』というよりも『特訓』と表現した方が良いような凄まじさだったと一度それを見た珊瑚は後に語った。余談だが、包丁を突きつけられても嬉しそうだった犬夜叉には生理的に鳥肌が立った、とも(かごめと一緒にいられて嬉しいというだけなのだろうがあの場面で嬉しそうにされると変な性癖でもあるのではないかと疑わずにはいられない)。)
割と付き合いの長い弥勒はその惨状を最初から予測できたので、家事を彼がしていると聞いたときなど思わず「ありえねぇ!」と地で叫び犬夜叉に悔し紛れの制裁を頂いてしまったくらいだ。
「・・・結婚する頃にはちゃんとまともにはなってたっつの」
すっかり不貞腐れてしまったらしい犬夜叉がふいとそっぽを向く。
今でこそそんなお約束をかまさないだけに、過去の失敗を掘り返されると大変屈辱だ。
「で、それがどうしたの?」
「あ、いや、うん・・・・」
何故か途端に喋りづらそうにした珊瑚にかごめもきょとんと首を傾げる。
暫く彼女は言うべきか否かを悩んでいたようだが、やがて意を決したように犬夜叉と目線を合わせた。
「あのさ、ヤなこと聞くようだけど」
「・・・・・なんだよ」
「家事全部やってんだよね。・・・・ってことはかごめちゃんの下着とか、洗ってんの?」
ぴしり。
言うなれば瞬間的に氷点下の世界へとご招待頂いた気分。
夏場には宜しいかもしれないが、今は生憎季節の変わり目、今から段々涼しくなっていく季節、秋。
全 く 嬉 し く な い 。
勿論珊瑚もこれを想像しなかったわけではない。むしろ、想像したからこそ言いよどんだのだ。
そしてあえて『犬夜叉だけ』を視線に入れた理由も、それ。
このときばかりは隣に視線を向けたくは無い。
かごめは常に周りに対して優しいが、人前では犬夜叉に対してだけ異常に厳しい。
というか、絶対零度の微笑みなんかを浮かべてくるので怖い。
他人の目でこれだけ恐怖を煽れる目というのも凄いが(それだけに普段とのギャップも激しい)何よりもそれが向けられる本人は一番辛いのだろう。実際、かごめがその微笑みを浮かべている間、犬夜叉が言い訳をしたのを見たことが一度もない。
この空気が訪れるのがわかっていながら何故訊ねるのか。
愚かしくもあるこの行為に原因があるとすれば、そう。
―――単なる好奇心。
犬夜叉にとってはいい迷惑だが問い掛けずにはいられない。
この二人の前にいると、そんな不思議な心境になるのだ、何故か。
案の定、だらだらと冷や汗が流れ始めた(いつのまにか正座になっている)犬夜叉と、場の雰囲気と明らかに一致しない不気味なくらい笑顔のかごめ。周りも緊張に襲われるが、一応第三者視点にいられる二人、弥勒と珊瑚はアイコンタクトで喋っていた。
(ごめん、犬夜叉、法師様・・・・)
(いや、でも気持ちは分かる。)
しつこいがひたすら犬夜叉には傍迷惑な気持ちである。
「ねえ、犬夜叉」
びくぅ。
犬夜叉の肩が、可哀想なくらいに揺れる。
しかしそんなに怖いなら逃げ出せばいいものを、逃げ出せないのが悲しいかなパブロフの犬。
というより、これにいちいち逃げ出すくらいの覚悟でかごめを手に入れられるなどとは考えていない、ヘタレなくせに妙に男前な犬夜叉は何を言われてもされてもきっと逃げ出しはしないのだろう。
(ある意味愛の試練である)(こういうことが度々あるから犬夜叉は変な疑惑をかけられるのだ)
「そういえば、たまーに、私が忙しくて洗濯出来ないとき、どうしてるのって訊いたら前、ものっすごく不自然な話のそらせ方したわよねぇ?」
ああ、どうやらすでに疑惑を掛けられていたらしい。
せっかく鎮火していたものを不用意に再発させたらしいことに気付いて珊瑚は真剣に心の中で彼に謝った(しかし疑惑が容疑に変わるのならば問答無用でかごめの味方をするつもりでもある)。
「何で?」
「・・・・・・・・・・」
普段ならあっさり白状していそうなものだがなかなか喋りださない犬夜叉に、あわや疑惑が容疑に変わる可能性が高いのでは、とその場の雰囲気が重苦しくなってき始めた頃。
かごめは小さく息を吐いて苦笑してみせた。
それだけで空気が僅かに軽くなる。
「・・・・・言いたくないならもういいわ」
それは許容の言葉だった。
よかった、ようやくこの妙に重い空気から逃れられると周りの二人は思ったが、犬夜叉は顔を強張らせたままだった。そんな彼にかごめは綺麗な笑顔を浮かべて言う。
「一応、一通り一人で暮らす為の作法は身に付いたんだから犬夜叉一人でも生きていけるよね?」
「スイマセン触ったけど変なことは誓ってもしてません」
あっさり折れた。
* * *
何とか離婚の危機を回避したが、それに浪費した精神にぐったりとしている犬夜叉とそれをフォローしている弥勒を余所に、かごめと珊瑚は使い終わったティーカップを洗っていた。
「ねえ、かごめちゃん・・・・?」
「なぁに?」
その様子は、先ほどまで犬夜叉を態度だけで追い詰めていた人間とは思えないのだが。
「ええっと、あの、あそこでもし、犬夜叉が変なことしてたら・・・・」
「そんなわけないない」
どうするつもりだったの、と続けようとした言葉は、あっさりとかごめに遮られた。
へ、と珊瑚は首を傾げる。あれだけ疑っていたようだし、犬夜叉も挙動不審極まりなかったのだから、てっきり本気で疑っていたのかと珊瑚は思っていたのだが。
珊瑚の言いたいことに気付いたらしいかごめは、笑ってひらひらと水気のない方の手を振った。
「だって、犬夜叉よくも悪くも誠実すぎるから、そんなことする筈ないって分かってたもの」
「・・・・・・そ、そう、なんだ?」
「ん。・・・・・私ね、犬夜叉に別の人のとこにはもう、行ってほしくないんだ」
行かないと思うけど、と思ったけれど珊瑚は黙っていた。
とてもそんな軽い言葉が吐ける雰囲気ではなかったのだ。
「あんなこと言っちゃうけど。私、犬夜叉のこと信頼してるし、好き。じゃなきゃ結婚なんてしてない。ずっと一緒にいたいって思ってる。・・・・でも。臆病な私は犬夜叉がどっか行っちゃうの嫌で、あんな意地悪ばっかり言っちゃうの。本当なら、愛想尽かされてもいいんじゃないって思うのに、それでもずっと犬夜叉、私のこと好きって言ってくれてるの。だから」
そこで照れたように笑って、かごめは秘密だよ?と人差し指を唇に当てた。
「本当言うとね。犬夜叉にだったら、何されてもいいの」
ああ、何だ。
表面的に見たら、犬夜叉が一方的にかごめに惚れてるように見えてたけれど、本当は。
「・・・・そりゃ、言えないね」
「うん、だから、秘密、ね?」
「分かった。犬夜叉も自分で気付ける日が来たらいいけど、ねえ」
「来たらちょっと私が困るよ」
二人して笑いあったことを、まだ当の犬夜叉は、知らない。
「まあ、いじったら楽しいっていうのもあるんだけどね?」
「・・・・・かごめちゃん・・・・・・」
世の中には知らない方がいいこともあるのだから。
FIN
逆亭主関白に見えますが実は犬がヘタレじゃなかったら普通の夫婦なんです的な。
へたれ犬はね、いじるとものすごい楽しいの。特別お姫様がSって訳でもない。
ああ、そうかつまり犬がドエm(げっふんごっふん)
過去に色々あったので極端に愛情に飢えてるくせに信じられないかご。
だからこそ誠実であってくれたわんこには感謝してるし愛情感じてる。
それだけにわんこ失うのは怖すぎるの。だからつい言動がドSチックに。笑
この二人くっつくまでに色々あったんですよ。桔梗さん出てきます。犬桔で。
それで勘違いすれ違い大量発生して破局寸前になるんですがまあ詳しいことは私の頭の中でだけ自己完結させておこうと思います(最悪ですがな)
(06.9.25)
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