*続き物二話目
Give rise to complications U
初めから期待なんてしていなかった。だから気持ちを伝えようなんて思わなかったし、伝えたいとも思わなかった。
逃げていると思われても構わない。少し悔しいけれど、今の距離が一番お互いにとって居心地のいい場所だと信じていたからだ。
それなのに。
(馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿大佐の大馬鹿野郎―――――ッッ!!!!)
アルフォンスが怪訝な顔でこちらを見ているのも構わず、エドワードはひらすらベッドの中でシーツを頭まで被って枕を殴っていた。
帰ってくるなり、挨拶もせずいきなりベッドに倒れこんだ兄に、なんとなく声を掛けられないのは、いつもと怒り方が明らかに違うからである。街のチンピラに絡まれたあとならば、ぶつぶつと即座にアルフォンスに愚痴りながら気晴らしに散歩行くぞ!と強引に弟を引っ張っていくだろうし、ロイと喧嘩したあとも、やはり悔しそうにアルフォンスに愚痴る。とにかく、何かあれば、それが嬉しいことでも腹の立つことでも、悲しいことでも、エドワードは必ず一番にアルフォンスに伝えていた。だからこそ、兄の怒りの原因をアルフォンスが分からないということは今まで一度もなかったし、今エドワードが自分に何も言ってこないことがアルフォンスには不思議で仕方がなかった。
それに、なんとなく、今の兄にはそのことで声を掛けてはいけない気がした。
触れるな、と空気が物語っていたのだ。仕方なく、アルフォンスは広げていた紙片を全て片付けると「外は暑くなかった?何か冷たいもの貰ってくるね」と部屋を出た。弟のさりげない気遣いに感謝しながらも、エドワードはそれを言葉にして言うことが出来なかった。情けないことだが、今声を出したら間違いなく今以上にアルフォンスに心配を掛けることは分かっていたのだ。
声が震える。
怒りと悲しみが綯い交ぜになって、今声を出すと間違いなく泣きそうな声になる。
(それもこれも全部あのクソ大佐のせいだっ・・・・!)
思い出すと余計に腹が立ってばふっと壁に枕を投げつけた。
怒り方が女々しいとは思ったが、外にぶつける以外では本当にこの手段しかないのがまた別の意味で悔しい。
「・・・そりゃ、俺はそんだけわかりやすかったかもしれないけどさ」
『何事も、はっきりとしていなければ気分が悪いのは、錬金術師という職業のサガなんでね』
思い出せば出すほど腹が立つ。
気持ちは分からないでもない。エドワードだって、自分が理解できないことがあれば気になって夜も眠れないようなこと、間々ある。しかし、何も感情をどうこう言っているときにそんなことを言われれば、腹が立っても仕方がないではないか。
「俺の気持ちなんて、大佐にとっちゃ『はい、そーですか』で終わっちまうくらい簡単なもんなんだよな・・・」
一人空回りしている自分が滑稽だった。
気持ちを受け取る、受け取らないは相手の自由だが、あれではロイはこちらに気持ちを寄越すことを要求しても、返事はしないでそれで自分が自己満足できたらいいとしか思っていないように聞こえた。そんなことのために、自分が今まで大切に思っていた感情を暴かれるかもしれないと思うと、すっと思考が冷えて、つい『愛憎』と答えてしまった。
いや、あの場面では一番それが正しい解答だ。本気で殺意が芽生えた。
軽い気持ちで男で、しかも一回り近くも年上の上官に片思いなんてするものか。
自分でもいまだ信じられない部分があるというのに、それをよりによって本人に引っ掻き回された。
(大佐くらい、女の噂が絶えない奴だったら、俺の気持ちなんて生ぬるく見えるかもしれねーけど)
本心なのだ。たとえ片思いの本人であろうとも、この気持ちをめちゃくちゃにする権利はないし、赦したくない。
そこまで考えると、再び頭の中にロイの言葉が反芻して、心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが伴う。あんな形で伝えるつもりはなかった。ずっと胸の中にしまっておくつもりだった。
「・・・・女々しいな、俺」
はは、と弱々しく笑う。ロイのあの言葉で、受け入れたくなくて拒んでいた気持ちもいつの間にか受け止めてしまっていた。しかし、それを発展させるつもりは、暴露された今になっても毛頭なかった。
逃げと言われても構わない。アルフォンスを、自分たちの体を元に戻す目的を果たすまで、色恋に現【うつつ】を抜かすつもありはない。たとえそれがなくても、モラルや常識という名の壁がエドワードの前にはある。したいしたくない、という感情を動かす前に、「してはいけない」という抑制が掛かるのだ。
(一生隠していたかったんだ、こんな気持ち)
馬鹿大佐、ともう一度拗ねた様に呟いたが、それはシーツに阻まれて外に漏れることはなかった。
* * * *
一方の、こちらは東方司令部のとある一室。
二時間前にこの部屋へ戻ってきてから黙々と凄まじいスピードで、山というよりは洪水に近い書類の山を、少し前に連続14時間労働をしたあとだということを忘れさせるような勢いで切り崩しに掛かっているロイの姿があった。
そのロイと一緒に仕事をしていたハボックは眠気覚ましの味の薄いコーヒーのカップを持ったまま、あんぐりと口を開けてその様子を見ていた。
普段ならば、「どうしたんすか大佐、天変地異の前触れ!?」などと軽口を叩いたりできただろう。しかし、今のロイは背中に黒い物が見えそうになるほど鬼気迫った表情でペンを走らせているばかりだった。その気配は如実に「私に話しかけるな」と語っていた。わざわざ仕事道具の発火布までつけて邪魔をするなとアピールしているくらいだ。
つい先日、有難くないことに市街爆破テロリストが東部の辺境で発生した。
支部で言うとニューオプティンの方が近いので、そちらで処理をされるだろうと放置していたものが、よりにもよって今、中央に提出期間ギリギリになって東方司令部の方に回ってきた。そのせいで、予定では一時間も前に終わっている筈の書類整理が、当初の倍近くに増えてなかなか部屋を抜け出せないという状態にまで発展している。それが、ロイを快く思わない人間の嫌がらせに間違いないのは誰の目からも明らかで、ロイが腹を立てるのもまた無理はないと分かっていたが。
(そんなん、いつものことだろうに今日はやけに気合入ってるっつーか)
仕事を押し付けたのが自分だったら間違いなく俺は燃やされて炭になってる、と、そんなシーンを想像してハボックは思わず身震いした。
こんこんこん、
ノックして、どうせ今、ロイが返事しないであろうことを分かっているらしいリザは返事も待たずに扉を開けた。
手には茶菓子とレモンティーの乗ったトレーがあった。
「ご苦労様です、大佐。急ぎたい気持ちは分かりますが少しは休憩なさって下さい」
「・・・・・いや、もう三十分もすれば終わりそうだから、そんな暇はないよ」
いつもとは逆のやりとりだが、それだけでもハボックは関心する。
あんな雰囲気のロイに平然と話しかけられるも凄いが、何よりもそれで少し、ロイの持っていた角が取れたのだ。
「・・・これ、いつもお世話になってるからって、エドワード君が持ってきてくれたものなんです」
その一言で、それまで機械のような正確さとスピードで動いていた手が急に止まる。
じっと、湯気立って芳香を放つ紅茶と茶菓子を凝視していたが、やがてペンを置くとゆっくりと紅茶に口をつけた。
「・・・・すまないな」
「いいえ」
会話から察するに、この二人しか知り得ないことがエドワード絡みで何かあるのだろう。少し面白くなかったが、ハボックはやがてくいっとコーヒーを飲み干すと露骨に苦そうな顔をした。
「ああ・・・・あの子はまだ、イーストシティにいるのか・・・」
「それでしたら、まだのようです。駅でそれらしき人物は見つかっておりません」
独白のつもりでもらした言葉に、リザはいとも簡単にそう答える。一瞬呆けたロイはやがて、ふっと苦笑いを浮かべた。
「優秀な部下がいて、幸せ者だな、私は」
「恐れ入ります」
個人的なことの為に軍を動かすことを端的に嫌っている筈のリザが自ら動かしてくれたのだ。ここは彼女の好意に報いる為にも。
「絶対に鋼のを見つけ出す」
何よりも、軽率なことをしてしまった自分の非礼を早く彼に詫びたい。
茶菓子をひとつ口に放り込むと、ロイは再びペンを動かし始めた。
求めてやまないのは、鋼の意志を持つ少年の姿。
FIN
そんなこんなで二話目。ちょっとインターバル的なお話。
エドが女々しい・・・・(笑)とりあえず、大佐は自分がどうしてそう思うのかもうちょっとよく考えてください。(05.6.14記)