がさ・・・・
少し村娘というには出立ちの変わった娘は一人、山の中を歩き回り、薬草を摘み取っていた。
年の判別は後姿だけでは判断できぬが、とかく確かなのは年頃の娘であるということか。
巫女装束のようで、そうでもないような風体で、長い黒髪を結わずにただ垂らしているだけの娘は『こちら』に気付いた様子はない。
知らず、久々の美味な獲物だと“それ”は下卑た笑いを浮かべて、這うようにねっとりと娘に近付く。
風で少女の頭を覆っていた布が揺れる。
あともう少し。
気が緩んでいたこともあったのだろう。
確実に少女を捕らえられる距離に入る少し手前で、少女はばっとこちらに顔を向けた。
幼さを含む青紫の瞳と、黒曜石のような髪が印象的な少女ではあったが、生憎と“それ”は美に対する関心も、それを愛でようなどという気も端から持ち合わせていなかった。ただ自分の腹を満たすための生き物。
“それ”にとっては、その感覚だけあれば十分なのだ。
気付かれてしまったのは少し誤算だったが、この距離では、まして非力な人間の小娘一人に何ができるものかと“それ”は大口開けて彼女に飛び掛った。瞬間、少女は“それ”の赤い口内を見て、喉の奥で小さく悲鳴をあげた。
その怯えように、自分は間違いなく、この娘を喰らうことができると確信した。
だがそれが叶うことは未来永劫なくなった。
頭を押さえ、目をつむる少女に届く直前、ばっと紅いものが草むらから出てきて“それ”の体を引き裂いたのだ。
“それ”は、半ば何が何なのかも分からぬまま、絶叫して事切れた。
「下衆【げす】が。俺のものに手を出そうなんざ1000年早ぇよ」
紅いものは吐き出すように冷酷に、塵と化す“それ”だった物体に言葉を投げつけた。
「い・・・いぬやしゃ・・・・」
ようやく怯えから脱したらしい少女がおずおずと、『犬夜叉』と呼んだ存在を見上げた。
すると犬夜叉は、先程とはまるで正反対なほどに心配を含む真摯な表情で、少女を振り返り、膝を折り、少女の目線に合わせて優しい声音で問い掛けてきた。
「かごめ、大丈夫だったか?」
「うん、平気・・・・ありがとう」
かごめ、と呼ばれた少女は、なるべく“それ”・・・妖怪のなれの果てを直視しないように、犬夜叉に礼を述べた。
少女は、どんな存在であろうと生死を直視できないことを思い出し、犬夜叉はそっと、かごめをおぶって河原を目指した。
お互いに人よりは秀でる能力を持っているため、嗅覚もまた優れている。自分ほどではなくとも、かごめもそれなりにいいのは分かっていたからこそ、陰の妖力や血の匂いから離れてしまったほうがいいと判断したのだ。
犬夜叉とかごめが出会ったのは、10回ほど前の梅雨のある日だ。
親を失い、瀕死で今にも死にそうなかごめを、犬夜叉が殆ど気紛れに近い感情で拾ってやって、素性に気付いたとき。
自分と境遇を同じくして、人からも妖【あやかし】からも不老の妙薬としてしか見られなくなった日々の中で出会った。
犬夜叉は、そんなかごめを哀れに思い、表面上は完全なる主従下に置いて、かごめを庇護するようになった。
最初の頃こそ立場上、遠慮がちだったかごめも年を重ねるにつれて、本来の多弁な性格を発揮するようになっていった。
あてもなく奔走するような日々だったが、かごめは決して文句を言うことはなかった上、かなり本人もその生活を楽しんでいるということはすぐに窺えた。ただ、時折殺風景な村に立ち寄ると寂しそうにその様子を見つめることが多々あった。
故郷の村を思い出しているのであろうことは分かっていたが、犬夜叉はそういうとき、何も触れようとしなかった。
その頃からだろうか。かごめを、従者ではなく、ただの一人の少女と見始めたのは。
初めは、生来誰とも交流せずに、時々止むを得なく人間とするやりとり以外に、会話という日常の基本をしなかった程度のためか、少年は人と話すのが苦手だった。しかし、少女と喋ることに苦痛は感じない。むしろ心地いいものだと考えているものの、その感情の起源を認めるには相当の時間がかかった。
自分には似つかわしくない淡い慕情を持て余してもどかしく思ってしまうことも、今ではそう珍しいことではない。
ただ、それを自覚したときと今で決定的に違うのは、犬夜叉の感情を、かごめもやんわりと受け取ってくれること。
言葉には出していなくとも、所謂両思いになっているわけだ。
だからこそ、少女が愛しくてたまらない。
時折かごめの為に降りる村でしょっちゅう見かける、彼女を『女』として見る男からは勿論、自分たちを妙薬としか見ていない人間や妖怪。
殊、色事に関しては、かごめは贔屓目が入っても美しいとはまた違う愛らしさを持っている。
いつまで経っても垢抜けない様子がどうしても誰の目から見ても好感を持たれるので、そういう意味では犬夜叉は気が気でない。
その全てから彼女を護りたいと犬夜叉は強く感じていた。
いかに見苦しく不恰好でも構わない。かごめがただ、無事ならば。
そう思うからこそ、なのだが。
「かごめ・・・お前反撃出来るんだからすればどうだ?」
河原について、かごめを背から下ろしたところで犬夜叉は腰に手を当てて、諌める口調で言った。
途端にかごめはしゅんとなって謝るものだから、焦って狼狽してしまう。
「ごめんねさい・・・・」
「じゃ、なくって!・・・・怪我、されたくねぇんだよ、俺が」
照れで間違いなく赤くなっていると判断して犬夜叉は即座にかごめからそっぽを向いてぼそぼそと伝えると、
かごめはなんとも見当はずれな意見を述べてくれる。
「そう、だよね・・・私、従者なのに犬夜叉に護られてばっかりだもんね」
かごめは、胸の烙印に衣服越しに触れて、うなだれた。おそらく手拭で隠している獣耳もしゅんと項垂れているのだろう。
実際、このやりとりも何回目か数えるのも面倒なほどだが、その度に犬夜叉は少しだけ後悔する。
(どーしてこうも主従関係と俺のかごめに対する安否を繋げようとすんだか)
よほど信用がないのか、それとも何か拘りでもあるのだろうか。恐らく両者だろうと、性質の悪い彼女の性癖に溜息をこぼしたくなった。
仕方なく、犬夜叉はかごめの両頬を包むと自分を向かせた。
「ちーがーうーっつってんだろ。・・・・怪我ないんだったら、それでいい」
最悪、それさえ伝われば別に構わないのだ。
それに少女は、生き物の命を奪うことに対して端的に嫌っている。
まだ妖怪だったら、人間の社会にいた方が長かった所為か、殺すことに人間相手ほどの抵抗を感じていないようだがとにかく、血を見ることに怯えるようにも感じられるため、そんなに強要するつもりは犬夜叉は微塵もなかった。
だから、必要以上に殺すこともしなかったし、かごめに、相手に怪我を負わせる以上のことをさせたことは一度もない。
主人という立場にある自分から、命令でもすればかごめに断ることは出来ないが、犬夜叉はそれを好まない。
第一、自分の妖怪としての血がなくなる日は、その苦手な戦いをしてまで自分を護ろうとするのだ。
これ以上を望むのも悪いだろうと思った。
かごめが持つ力は、妖力ではない。
むしろ妖力に関していえば、ほぼ皆無に近いのだ。
ただ、その代わりに少女は母から受け継いだ先天的な霊力があった。
霊力のある半妖とはまた、前代未聞だが、その実例がかごめだ。
妖として、老い難い身体を持ち、また人の巫女として、神聖な力を使うことのできる少女。
しかしその力は普通の巫女よりも格段に違う。それ故にか、かごめは気丈で、見ている方が元気にさせられる明るさと、儚さという側面を持っていた。人の年でいえば、若夫婦のような年月を共に過ごしてきた二人だが、かごめは見た目は殆ど変わらないというのに、時が経つにつれて弱り始めているのに犬夜叉はとっくに気付いていた。
必死に隠し通そうとする少女を前に、わざわざ掘り返すこともないだろうとは思っていた犬夜叉だが、ここ数年の衰弱振りは当の昔から、見るに見兼ねていた。
だから以前、理由を話さない代わりに、それに対し有効な薬草を飲むことを約束させた。
彼なりの譲歩があってから、かごめも少しは元気を取り戻したようだ。
だが薬草を採りにいっていると、時々ああいう類の妖怪に襲われそうになることがある。
実際には、彼女に触れる前に犬夜叉が全て息の根を止めているから襲われたことはない。
これから先もずっとそうするつもりだ。
だが、こんなことをいつまで続けるのか。考え出したらキリのない堂堂巡りは続く。
「犬夜叉」
「?」
ふと顔を上げれば、かごめが心配そうに自分の顔を覗き込んでいたことに気付く。
なるべく平静を装うと、犬夜叉は何だよ、と問う。
「あのね・・・・もし・・・もし、私が・・・・」
言いかけて、かごめは口を噤んだ。
そして唐突に首を横に振る。訝しげにかごめを見つめていた犬夜叉は、頭の上に疑問符を浮かべたままだ。
「・・・なんでもない。それより、早く今日眠るところ、見つけよ!犬夜叉」
いきなり元気になって、自分を引っ張る手に困ったものの、犬夜叉は大人しくされるがままになった。
暫くして、寝床に最適な洞窟を見つけた。元々住んでいた動物もいる気配がなかったので、今夜はそこを少し失敬しようという話でまとまって、なんとなくのんびり寛いでいたときだ。
唐突に、犬夜叉は自分の首筋をぱしんと叩いた。
何事かと思い、きょとんと首を傾げると、気付いた犬夜叉が面倒臭そうに叩いた方の手が掴んでいたものをかごめの両手の平に乗せた。
「冥加じいちゃん!」
見事に潰れた蚤爺を見て、かごめは呆れともとれる声音でそれの名を呼んだ。
すると、ぽん、と凄まじい生命力で冥加はすぐさま復活した。蓑笠を着けている辺りが、遠路はるばる、といった感じを漂わせる。
「お〜かごめ、久しいな。犬夜叉様、久々の再会なのに酷いですぞ」
「久々の再会で即血ぃ吸う方が悪いんだよ」
少し憤慨したように言う冥加に、犬夜叉はしれっとにべもない言葉を返した。
かごめは端で、そんな久々のやりとりを見ながら苦笑を浮かべる。
「で、冥加爺、今回は何の用だ?」
己の命が危うくなれば主人さえ見捨てて逃げるような奴だが、持ってくる情報は確かで早い。
割と重宝される存在だ。
犬夜叉は、また何か新しい妖怪の動きでも分かったのかと言外に尋ねると情報はありませんが、と前置きしてかごめを振り向いた。
「今回はかごめにだけ用があるのですじゃ」
「ああ?」
かごめは合点がいったようにぴくりと僅かな反応を見せるが、犬夜叉の方は自分が除け者という話に突然一気に不機嫌になった。
放っておけば冥加を責めだしかねない犬夜叉の雰囲気を感じてかごめが先に動く。
「犬夜叉」
「私も、冥加じいちゃんに聞きたいことあるから・・・・」
ごめん、と付け加えて、ちょっとの間だけ離れるように促す。
最初はごねていた犬夜叉だが、かごめの瞳に僅かに真剣なものを感じ取り、面白くなさそうに洞窟の外へ行った。
かごめは、犬夜叉がそんなに離れていない場所まで行ったところでようやく話を切り出す。
「やっぱり、私もうすぐ・・・・?」
「うむ、かごめも分かっておったか。・・・・・隠し通せるのも今だけじゃ」
冥加の言葉に、かごめの表情は少し沈む。
「かごめ、お主自身が一番良くわかっとるじゃろ。今のままではお主の体は・・・」
「分かってる」
「だけど、駄目・・・・・今まで犬夜叉に黙っててくれたことには感謝するけど、私には出来ないよ」
「犬夜叉様はきっとお怒りになるぞ」
「それでも・・・・・そうしてしまえば、私はきっと死ぬまで後悔するから」
「・・・・そうか」
呆れというよりは、最早諦めに近い息を吐き出して、ついでとばかりに告げる。
「犬夜叉様にとっても、お主にとっても酷なことを言うようじゃが、最近楓なる老巫女の村に妖怪退治を専門に請け負う者達が滞在しておるそうじゃ」
「え?楓お婆ちゃんの村に・・・?」
楓という名は久しい。そんなに古くない以前に、世話になった村の長老も務める老巫女の名だ。
「左様。何でも一人は若い法師、もう一人は妖怪退治屋の娘ときた」
「妖怪退治屋って、滅んだんじゃなかったの?」
「生き残りだそうじゃ。ここへ来る途中で知り合っての」
「へ〜・・・・ありがとう、冥加じいちゃん」
笑顔で礼を述べると冥加が鎮痛な面持ちで、再度問い掛ける。
「それでかごめは、構わんのじゃな?」
今度は、答えが返ってこなかった。
ただ、返ってきたのは、意地悪めいた微笑みに、人差し指を添えて。
「勿論今まで通り、犬夜叉には内緒ね?冥加爺ちゃん。こうなったら最期まで共犯者よ?」
「・・・・お主はやはり犬夜叉様と似ておるよ」
微笑むかごめの表情は、痛そうだった。
世界観が色々今くっつけてる最中なんで混乱気味。
とりあえず犬夜叉に言わせたい台詞ベスト3の一個(かごめちゃんに対して俺のもの発言)言わせれたので個人的には満足v
いや、主人+従者=おれのものみたいな?(殴)
(04.5.3)
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