*続き物一話目









Give rise to complications T








無意識に手を伸ばして、自己嫌悪に陥ったことがある。

どうして、手を伸ばした相手が、自分がもっとも嫌悪する相手だったのか、自分でもよく理解できないまま、自分の無意識の行動に不思議に思う。冗談ではない。弟の存在を求める方がまだ自然だ。
こんなこと、間違っても相手に知られたくはないと思った。格好がつかないし、信じられないことに、拒絶されることが怖かった。
「どうしちまったんだよ、俺・・・・」
嘆くように顔を伏せる。どうしようもなく沸き立つものを殺したかった。
「どうした?」

後ろから声が掛かり、本当は飛び上がりそうになるくらい、驚いた。
気配に気付かなかった自分にも、それが今まで自分の心の中を占めていた存在であることにも。
「大佐」
極力冷静を保って振り返る。なんとなく悔しくて、この大人の前では弱みを見せないようにしていた。
「どうした、こんなところで。・・・定期報告に来たんだろう?中に入りたまえよ」
東方司令部の軍内部にはいたけれど、廊下でロイの背中を見た瞬間、唐突に浮かんだ感情に自己嫌悪と羞恥を感じて、中庭まで逃げていたことをさりげなく揶揄しているのだろう。こうして自分を追い掛けて来たのがいい証拠だ。
舌打ちしたい気分を抑えながら、何事もなかったかのように少年は立ち上がる。
「分かってる。今行こうとしてたとこだよ。大佐こそ早く中入れよ。仕事してたんだろ?」
「息抜き中だよ。何せ昨日から14時間ぶっ通しで働いていたからね。明らかに基本労働時間オーバーだ」
「へえ、珍しい」
「溜まりに溜まった書類に埋められていたらさすがにやらねばと思うさ」
「・・・・・・なんでそうなるまで放っとけるんだよあんた」
これにはさすがのエドワードも呆れ顔を露骨に向けた。やれば早いのだけれどと彼の副官のリザがぽつりともらしたことがあるのを丁度聞いていたエドワードの同情の対象はロイではなく、彼についていかなければならないリザたちである。
ロイの仕事をしている場面に遭遇することは、常に各地を飛んでいるエドワードにとって稀の中の稀だ。そもそも、少年が来ると決まって必ずこの男は仕事を止めるしリザもよほどがなければそれを諌めない。それどころか、上司の部屋にわらわらとハボックやフュリーたちまで集まってきて、やれ菓子だ茶だと仕事を中断してまで兄弟を構いに来る。あとで皺寄せが来るのは自分たちの筈なのに。
一度、仕事は大丈夫なのかと訊ねると、「ガキに心配されるほど大きな仕事は抱えてねえよ」と笑ってくれた。
周りは大人ばかりなのに、気遣いをしなくてもいいということが安心できた。だからこそいつまでもずるずると滞在していると思わず甘えてしまいそうになる自分を諌めるという意味でも、定期報告を済ませると早々と何処かあてがあろうとなかろうと旅立っていくのが常だ。いつかは礼がしたいとは思うけれど、それは今ではないので、礼は心の中でだけ、していた。

いつも、初対面と再会したときの印象が腹黒い軍人というイメージだったので、それが根底に根付いているのか素直にロイを見ることも礼を言うことも出来ない。会えば軽口の応酬やどちらが優位に立てるかという意地の張り合いが日常茶飯事で、その空気が楽しかったのは認める。両方子供だと称されても、そう言われることよりも、どれだけロイより優位に立てるか、ロイも、どれだけエドに差をつけられるか、半ば本気で張り合っていた。

その勝敗がエドに向いたことは、数え切ることの出来る回数しかないのだけれど。


「まあ、じゃあ明日また来るわ」
くるりと背を向けるとエドワードはひらひらと手を振って出口へ向かうが、何故かそれにロイまでついてくる。
「・・・・・・」
暫く知らん振りで、足早に弟の待つ宿へ帰ろうとしたが、軍も出て、市街へ突入し、中央の噴水広場までやってきたとき、ついに無視しきれなくなり、「だぁーッ!」と頭を掻き毟って勢いよくロイを向いた。
「なんだねいきなり癇癪を起こして。ストレスが溜まっているんじゃないか?」
「あんたのせいで溜まってるんだけど!今まさに!!」
「それは考えすぎだろう。私はずっと何も喋ってないぞ」
「じゃあ何普通に人の後くっついてきてんだよ寝ろよ!」
「おや、私を心配してくれているのかい?」
「あんたが動かないせいで被害被ってる中尉たちをな!!」
「こんな往来で内部事情を暴露しないでくれるか」
通行人が物珍しげにエドワードとロイを見つめながら通り過ぎていく。中には立ち止まって傍観している者まで出てくる有様だ。
しかしそれを気にせず(というか、眼中にない)ヒートアップしていく二人。
目立つ容貌の少年と、イーストシティの焔の大佐が街の往来で口喧嘩をしているところなんてそう見られる光景ではない。この場にアルフォンスがいれば、迷わず他人の振りをしているだろうほど目立っている。
「っんで、俺に構うんだよッ!」
期待してしまいそうになる自分を殺している意味がないではないか。


遠目で見ていた人間は気付かなかったが、明らかに苦しそうな表情にロイは小さく眉を動かした。
「・・・・危なっかしいからね、君は」
エドワードにしか聞こえない声音で呟いて、「え」と聞き返す腕を取ると強引に引っ張っていく。
「な、何すんだよ!」
「ここだと目だって仕方ないから場所を変える」
「つーか、俺はあんたと話すことなんてない!」
「いいじゃないか、私はあるんだからもう少しくらい付き合いたまえ」
「はぁーなぁーせぇーッ!!」
ずるずると何処かの中佐よろしくエドワードを引きずりながらも、通りで立ち止まっていたご婦人に手を振って挨拶をしているロイに、余計に腹が立つ。どうして腹が立つのかを考えると余計に腹が立つ。認めたくない感情を殺すように、ロイの手を解くと自らロイの斜め隣を歩き始めた。どうせこのまま逃がしてくれないと分かっていたので、とことん付き合ってやる、と少し自棄になっていたりした。












「で、話って何だよ?」
つんとそっぽを向いて腕組したまま、エドワードはそう訊ねた。あんたと話ている時間が惜しいから早く言えという態度を作っていたが、嫌でも神経はロイの方へ傾く。それが更なる自己嫌悪を生み出して眉間にも知らず皺が寄る。
ロイは苦笑した。
「いや、何。特にそう改めて言うことではないが、いい加減決着をつけたいことがあってね。君の言葉を聞きたい」
「決着?」

聞いて最初に浮かんだのは、焔VS鋼の対決のことだ。
しかし、あれはすでに決着がついているし、今この瞬間にこの話題を持ってくることはないだろう。だとすれば――。


一体、何のことか要領を得ず、エドワードは怪訝な顔をした。ロイはやはり、どこか浮ついた笑いを浮かべているだけだ。
「言っても構わないかな?」
「・・・何だよ。改まって」
きもちわりぃ、と悪態を続けることは出来なかった。
「君は、私に対して嫌悪と親愛と・・・・あとひとつ、隠してる感情があったりしないか?」

心臓が、止まりそうになった。

「バッ・・・・嫌悪は分かるとして、親愛なんてありえねぇよ。それに、あとひとつ、って」
「逃げるな」
ぎくりとする。今まで、温和な光をたたえていた眼が唐突に冷たくなった。
その深い黒に射竦められると身動きが取れなくなる。・・・・拒絶を赦されない気分にさせられる。
「それとも、私の方から土足で君の心に踏み入ろうか?君は、私のことを」
「言うな!!」
情けないことに、目の前の男が心底怖かった。小刻みに震えかける体をぎゅっと押さえる。怯えているなんて、目の前の男には決して知られたくなかった。それは相手にどういう感情を持っているかではなく、彼と同等の場に立ちたいと思う自分のプライドだ。

ロイに対する感情が何なのか、実はとっくに決着はついていた。
しかし、それを認めたくはない。気付きたくない。

よりにもよって、何故この男なのか、ということも。誰にであろうと、今はそんな感情に振り回されるような暇はない、ということも。
結局は、“言い訳”だったのだと、この瞬間に思い知らされた。

(そうだよ・・・・こぇーよ!大佐に、拒絶されんのが!)

相手に自分の気持ちを打ち明けるということは、今まで作り上げた、自分たちなりに居心地の良い場所を良かれ悪かれ去らなくてはならないということだ。エドワードは、勿論悪くは転がってほしくなかったが、良くも転がってほしくなかった。
迂闊にも抱いてしまった感情を、受け入れたくはなかったし、壊したくもなかった。どうしてそれを分かってくれない、とロイを恨みたくなる。
「言うな よ、バカヤロウッ・・・・・なんで・・・」
「言っただろう、いい加減、決着をつけたいと」
「俺はッ・・・つけたくない!」
「逃げるか、らしくないな」
「何とでも言えよ。らしくないのなんて、自分が一番分かってるッ」

目頭が熱くなり、ぎゅっと目を瞑る。
こんなこと如きで涙なんて流したくなかった。
「大佐はッ、気持ちわりぃとか思わねぇのかよ!こんなガキに・・・・・ッ好意、持たれてるなんて・・・!」
「・・・何事も、はっきりとしていなければ気分が悪いのは、錬金術師という職業のサガなんでね」


――――――――――。


その言葉に、すうっとエドワードの意識が醒めた。
今までまともに纏まらなかった思考が一気に収束する。そして、それはひとつの結論を少年の中に形作り、やがて表に出た。
ふっ、と笑みをこぼす。今まで挙動不審だった自分が馬鹿のようだった。
「大佐」

今度の言葉は、はっきりとしていた。
「いい目覚ましになったや。サンキュ」
「・・・・鋼」
「俺があんたに持ってるのは、多分愛憎。時々、あんたのこと見てると、殺したいくらいにムカつく」
静かな笑いだった。感情のない、人形のような笑い。到底、普段のエドワードからは想像もつかないほどに静かなものだった。
(言わなきゃ良かったかも)
今更、そんな未練がましいことを思ったが、それよりも大きな感情が、それで良かったと告げる。
何か言いたげに口を開きかけたロイに背を向けた。
「それで、もう用件は済んだだろ?俺、もう帰るから大佐はちゃんと司令部帰れよ」
あとはもう、ロイの様子も見ずに走り出した。ロイは暫くその様子をぽかんと見つめていたが、ふと背後に現れた気配に声を掛ける。
「・・・・もしかして、私は失言をしたか?」
気配は、疲れたように重い溜息を吐き出して、そっとロイに外套を手渡した。
「自覚なされていないのは重症ですね。言われたのが私でしたら間違いなく抜いてます」
と、腰のショルダーを指してリザは答えた。
「参ったな・・・どう言っていいか分からなかったんだ、これでも」
「そうですか?私から見ても余裕がおありのように見えましたが?あれじゃあ、エドワード君に余計なプレッシャーを与えるだけです」
「・・・・・・・」
「自覚していらっしゃらないようなので、注釈させていただきますと、照れてあんな言い方をしたんでしょうが、混乱したエドワード君にそんな判断は出来ないでしょうから」
「どの言葉かね?」
「最後の、エドワード君の態度が急変したところです。あんな言い方をされれば、エドワード君なら『大佐にとって自分の気持ちは、ちょっと分からないから気持ち悪いというだけしか感じさせられないんだ。錬金術と一緒くらいの価値しかないんだ』・・・・くらい考えてもおかしくないですよ」
途端に困惑顔になったロイに、リザはもう一度溜息をつく。
「今から謝りにいくのは勘弁して下さい。本当に余裕のない書類がまだいくつもあるんですから。せめてそれだけ終わらせて下さい。大佐が本気になればあれくらい、一時間もあれば出来ます」
やるときとやらないときの落差が激しいロイでも一時間かかるということは、相当面倒なのか、それとも量が膨大なのか。
辟易としながらも、ここで自分が往生際悪く逃げ出すことは不可能だということは分かっている。面倒くさいとあからさまに書かれた表情のまま、渡された外套を肩に掛けると足早にそこを去る。
(錬金術と同価値ねえ?ある意味ではすごい執着だと思うが・・・真剣な相手には怒鳴られるだけか)
そんなことを考えていると、横についてきていたリザが唐突に「大佐」と口を開く。
「何だ?」
「今更ですが、すみません。立ち聞きするつもりはありませんでしたが、出て行くのは野暮かと思いまして」
「いや・・・・」

どの道、少年に返事は聞きそびれてしまった。気にすることはない、と返しながらロイは空を仰ぐ。
(私が仕事を終えるまでに、イーストシティと離れていなければいいんだが・・・)
思い立つと、信じられないくらいのスピードでそれを実行するのがエドワードだ。報告は明日する、と言っていたからさすがにそれはないかと思うものの、先ほどの感情のない笑いが頭を離れない。
(参ったな・・・・)
思わず、エドワードの走り去る背中に手を伸ばしてしまった。
もしもあの場にリザがいなければ、無意識のうちに追いかけていたかもしれない。


(結局・・・彼の答えが聞きたいのは、私の感情に決着をつけたいからなのかもしれないな)


少年が、自分に好意を持ってくれているのは分かっているから。自分が、少年に好意を持っているのは分かっているから。
それが、何か。


(逃げているのは、私の方じゃないか)



ロイはそっと、傷つけてしまった少年のことを思いながら自嘲をこぼした。











FIN



一話完結が主流だったけど、これだけはちょっと続き物にします。エドが大佐に片思いのシリアスバージョン。
大佐って、こういうときには知らないうちにすっごい酷いこと言って相手傷つけて、あとで誰かに教えられて後悔しそうという私の偏見のもと、こんな話に(笑)でもうちのロイエドは基本、最終的に別れるの前提の焔鋼ですから。とりあえず大佐の鈍感・・・・。
Give rise to complications→葛藤が生じる(05.6.5記)