惚れ薬
大体は、名前のとおり、どんなに自分を嫌っている相手でも、ひとたびこれを飲ませれば、たちどころに自分を好きなる・・・・・だけ、と考えている者が多いが、恋愛が帰依するのは最終的に肉体のつながりな訳で、元も子もない言い方をすれば、惚れ薬とは、とどのつまり“媚薬”なのである。
実際には、そんな信憑性の薄いもの、この戦乱の世で入手出来る筈もなく、また効果があるのかさえ疑わしいのだが、何故かそれが手の中に。
「と、いうわけでお前はどうする?」
「要・ら・ね・ぇ・よ・!」
胡散臭いとばかりの表情で、しかも明らかに怒気を放ちながら、犬夜叉は目の前に差し出された瓢箪、厳密に言えばその中のもの、を嫌なものでも見るかのように露骨に眉を顰めて弥勒に押し返した。
当の弥勒は、にやにやと面白いものを見つけたという台詞をそのまま顔に貼り付けたような笑顔で「そうですか?」と白々しく押し返された瓢箪を顔の横で軽く振って見せた。
「つまり、こんなものに頼らずとも、かごめ様は自力で落とせると」
「ばっ!俺はまだかごめに手ぇ出してなんかいねーよ!!」
薬に頼らなければ、自分の愛しい少女を落とせない、と言外に言われた気がして思わず反撃した犬夜叉だが、その発言自体が問題発言なのに気付かない。
「まだ、ねぇ?」
意味深に顎を撫でながら弥勒は言った。
にやにや顔はいまだ貼り付いたままである。
勿論、理由は墓穴を掘ったことに気付いて真っ赤な顔のまま硬直してしまった少年である。
普段は必要以上に元気に妖怪を蹴散らし、どんな強敵にも物怖じしない少年の、たったひとつの弱点。
昔から、人との関わりが極端に薄い所為かどうかは知らないが、少年はひどく色恋沙汰に疎いのだ。
そりゃあもう、周りの方がもどかしすぎて、思わず手を貸してやりたくなる程に。
しかし、相手が『しっかり者なのにどこか抜けている上、天然ボケが入っている一応、巫女の少女』だから、実際それくらい初【うぶ】な方がが丁度いいのかもしれない。
それに、少年だって肝が据わり切ると容赦なく口付けするということだって間々あるし、少女だってそれを恥ずかしがりはしても拒まない。少年の煮え切らない態度のせいで断言はしきれないが、相思相愛だのだ。
(まぁ、少なくとも情けない訳ではないのだがな)
周りからすれば、確かに桔梗のことはあるのだろうけれど、かごめの寂しそうな姿は出来れば一生見ることがないように思っているので、とっととくっついて欲しいという気分でいっぱいなのだ。
生真面目な性格をしている少年なので、多分どんな理由があろうと、少女を一度でも食べれば(笑)責任持って結納くらいまでは半分嬉々として自発的に行うのではないだろうか。
下世話と知りつつ偶然手に入ったものを勧めただけだが、やはり生真面目な少年はそれを迷うことなくつき返した。少年の中の、貫き通すものを知らないでもない。
確かに、少しからかう気だったのだけれど、別に少年を困らせたいと思ってしまったのは五割だけである(じゃぁ残りの五割は何だという野暮なつっこみはしないように)。
「嬉しく、ねぇよ。そんなの」
「え?」
ぽつりと呟かれた少年の言葉に、弥勒は思わず聞き返す。
「嬉しくねえって言ったんだよ。薬なんぞに頼ったら、そりゃあ楽かもしれねぇけど。
気持ちの伴ってねぇものなんて・・・・ひ、一人でやってるのと一緒だろーが!」
何がいいたいのかは分かる。
しかし、赤くなりながら言う少年を見ていると、悪いが真剣に受け取るのが難しい。
初っぷりがなんとも微笑ましかった。
「そんな怪しげなもん、かごめに飲ませたくねぇし、それに・・・・あいつはまだ、そんな汚いこと知らなくてもいい」
すっと、頬の赤みを消した少年は、ひどく大人びて言う。
どこか願うような言葉に、自然と弥勒意地の悪い笑みを消して、その横顔を見つめた。
(あぁ、こいつは中途半端なんだ)
そう思った。
子供のように、好きなものを大切にしまっておきたいと思うのと同じく、大人のようにいとしい者を全力を持って愛しんでやりたいと思う心。子供のようにすべてを手に入れたいと願っても、大人のような自戒の念が行動を踏みとどませる。
如何せん、現在の志向の方が板についているので、思い返すのが難しいが、自分にも似たような時期があった気がする。ここまで極端でなくとも、呪いの右手の不幸を断ち切りたくて、大切な人間は作らない、と思っていた頃が。
――最終的に、最もいとしい女子を見つけてしまったのだけれど、今は後悔なんて感じていない。
むしろ、満ち足りているのだ。
とにかく、その中途半端な純粋さが懐かしく、羨ましくもあった。
自分は、この少年のような純粋な気持ちを失った代わりに、余裕を得た。
大切な者たちと、どこまでものんびり生きていきたいという呑気にも聞こえる気持ち。
どちらが優れている、とは言わない。言わないが、たとえ、この先どんな関係になろうとも、犬夜叉とかごめが、ずっとこの初ままの気持ちを持ち続ければいい、なんて少しの親心を感じながら。
「そう、ですか」
ふ、と笑って瓢箪を地面に置き、上に札を貼ると、少しの気合とともに錫杖を振り下ろした。
ぱきりと乾いた音がして、瓢箪が真っ二つに割れる。蜂蜜色の液体が、地面に静かに吸われていった。
「元々、妖怪の持っていたものなんで、使用しても身体に悪影響はないものの、効力に少しの妖力が含まれる。――もう浄化したので、ただの水と同じです」
「・・・・そうか」
てっきり、「そんなものを俺に勧めるな!」と返されると踏んでいたのに、思いのほかあっさりと返された返事に弥勒は「おや」と思う。しかし、それを疑問としてぶつけるより早く、犬夜叉が口を開いた。
「分かってたんだろ。俺が、そんなもの受け取らねぇって」
「そりゃぁ。小細工嫌いなお前が受け取るとは思いませんでしたけど」
正直に白状すると、犬夜叉は勝ち誇ったように笑う。
ああ、つまり、最初からこちらの思惑はバレていた、ということか。
多分初めて頭で負けたということに、弥勒は茫然としていたが、やがて軽く笑って立ち上がった。
「なぁ、弥勒」
「はい?」
「そういうお前は、使おうとか思わなかったのか?」
質問には、答えないまま。人差し指を口元にあてて、茶目っ気たっぷりに笑うと言った。
「えぇ。そんなものを使わなくても珊瑚は、私を捨てたりしませんから。お前もそうだろう?」
「・・・・・言ってろ」
「言ってます。じゃぁ、先に戻るから。かごめ様が心配し始める前には戻って来い」
そして、歩き出す。薬に頼ってでも、縛り付けないのか?と言外に少年を試したことは黙ったまま。
少年は目を閉じる。そんなものがなくたって、少女の笑顔さえ護られるのならば、と。
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