どうせなら、あなたの命を孕みたかった。

どうにもならない我侭でも構わないから、あなただけを受け入れて、そして永遠に綺麗なままでいたかった。


それはもう、叶わないけれど

私はもう、穢れてしまったけれど。










むことに惑い背負う背中は。



















(愛していないわけではないの)

つい先日、自分の胎内から出てきた新しい命に指を握られながら、綺麗な、表情のない表情でじっと乳白色の肌を見つめた。
瞳には何も映らない。無感動さがそこにはあった。
学生の頃の自分は、この小さな命を憧れ、待ち望んでいた気がする。
しかし、実際にそれを抱く重みを感じる今、少女
――そう呼ぶには、とうに成熟しきっていたが――に、何か感動や衝動を与えることはなかった。
自分の腹を痛めて生んだ我が子に愛着がないと言えば嘘になる。夫たる人間に何も感じていないというのも嘘だ。
誰かの替わりは必要ない。替わりだなんて思っていない。ただ、たった一人の、もう二度と逢瀬も叶わぬ相手への愛情は薄れることはなく、自分は結局、“二番目”に愛情を持ったであろう相手を生涯の伴侶と決め、子を産み落とした。
それだけだった。

無感動といえば、そう。
相手の熱烈な愛情表現に応える事はせず、ただ受け取るだけだった。
罪悪感はあれども、その愛情を受け取ることは少女にとっては裏切りを意味していた。愛情を受け取るな。大切な人など作るな。己に課した足枷を常に纏い、どんな好意も跳ね除けていた。
己が最も愛した少年は、逢瀬も叶わなくなった少女の心の奥底に、いまだ貼り付いていた。だというのに、祝言も挙げ、こうして子を産むまでの行為を、その愛した男ではない別の男とした、というのは、単に「この人でもいい」という気分からではない。
それなりに“彼”を愛していたし、“少年への愛”という枷さえなければきっと、少女も素直に“彼”を愛せただろう。

“彼”は、かのひとの生まれ変わり。

人目見てすぐに気付けた。現世で再び巡り会い、そして一目も置かずに求愛された。
己が愛した少年の面影はあったが、少女は決して“彼”を少年に重ねて接したことはなかった。そう捉えることが出来なかったというのもあるが、何よりそれはひいては自分の存在を否定する考え方になったからだ。

“彼”にある、“彼”なりの魅力に惹かれ、罪悪を感じながらも“彼”の求婚を受け入れたのは、少女の時分とは違い、精神的にも余裕ができたからだ。このまま、引きずっていても仕方がない。彼にすら汚されることのなかった清らかな躯を、他人に、たとえその生まれ変わりの“彼”にだろうと触れさせたくないという潔癖を感じていたからだ。
そういう意味では、自棄に近かったかもしれない。
愛情がある筈だけれどない愛の行為。無感動に体だけが反応して悦ぶけれど、こころだけは、ずっと留守にしたままの、生産だけを目的とした行為。
どちらの彼にも酷いことをしている自覚はあったけれど、少女はそれでもいっぱいいっぱいだった。それでもいいから、と許容してくれた“彼”に、少しだけ涙が出た。


かちゃ、と病室のノブが回る。
“彼”がひょこっと顔を覗かせた。仕事帰りで直行してくれたらしく、ぱりっときめていたスーツをだらしなく開放させながら少女の寝ているベッドへ近づいてきた。
「かごめ」

と、“彼”は少女の名を呼んだ。
ぴくり、と反応して、かごめは顔をあげる。今、とても酷い顔をしている自覚はあったけれど、夫に笑顔を向けることはできなかった。
“彼”は苦笑をこぼして、かごめの黒髪に指を通した。さらりと柔らかく流れる久々の感触に、“彼”はそっと目を細めた。
それがひどく、少年を彷彿と思い出させる動作で、かごめは迂闊にも“彼”と少年を重ねてしまいそうになった。それが“彼”にとても失礼で、自分へは存在を拒否する認識なのを無理に頭で思い出させて唇をかみ締める。
「かごめ」
今度は労わるような、それでいて嗜めるような“彼”の声が響く。
「・・・・朔」
“彼”を呼ぶ声は震えていた。
すやすやと、腕の中で眠る命が一層強い力で母たる自分の指をきゅっと握り締めた。

そっと、朔の指がかごめの唇の強張りを解き解すように滑る。
白くなった唇が圧迫から開放されて、元の健康的な唇へ戻る。
「朔・・・・朔、さく・・・・・ッ!」
赤ん坊を、腕に抱いたまま、近付く夫の胸元に顔を寄せた。ぎゅっと抱きすくめてくれるその感触まで、何年も前のことなのに未だ鮮明に思い出せる少年のものに酷似していて、目頭が熱くなる。
「ごめ、んなさい・・・・・ごめんなさいっ・・・・ごめんなさいッ・・・・・」
血を吐き出すような謝罪の言葉に、朔はかごめの顔を自分の胸板に押し付けて、自分の眉根の皺を見られないようにした。

何度も聞いた、謝罪の言葉。

新しい命が在る、と分かったそのときから、この妻から幾度となく繰り返され続けた言葉。

自分と、生まれてくる命と、彼女の愛した少年への謝罪。


自分の求婚を受け取ってくれたときは、とても嬉しかった。その頃には、既に少女の中に絶対的な愛すべき人物がいたことも、それが自分の前世だということも、かごめの口から聞いていた。それでも、彼女を愛していた朔は、玉砕覚悟で求婚を申し込んだ。
前世から、自分が彼女を愛していたというのはとても運命的なものだと思ったし、たとえ断られても絶対に後悔しないと分かっていたからだ。
しかし、返って来たのは断りではなく許容の言葉。申し込んだ自分の耳を疑った。
あれほどまでに、二度と逢えない男に愛していると繰り返した少女が、自分を受け入れてくれたということが俄かには信じられなかったのだ。
しかし、少女が続けた言葉で理解する。自分はとても酷い女だ、と。あなたを、彼を忘れるための手段に使おうとする、最低の女だ。忘れなくてはならないから、あなたの言葉を許容するという、最低な。こんな女でも構わないのならば、貰って下さい。でもできれば私なんかは諦めて、新しい恋に生きてほしい。

そう告げられても、躊躇いはしなかった。





初めて夜を明かした朝、目覚めて一言目には何を言おう。
そう考えながら眠りについたのに、そこで見たものはぼろぼろと涙をこぼす愛しい女の涙。
ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も何度も口の中で繰り返すかごめは、自分で処女を奪っておきながらいまだ、とても神聖な存在に見えた。
そんな女性を手に入れられた自分の幸福と、悲しいまでに純粋な心と気持ちを持ち続ける少女を憐れに思った。

それから暫くして、身篭ったという報告を受けたとき、ただ純粋に嬉しかったが、かごめはそれから毎日朔の前で泣き続けるので、彼はそう単純に喜べなくなった。
ごめんなさい、ごめんなさい、と。泣き疲れて眠るまでかごめは繰り返した。昼間は、“聖女”の噂を聞いた参拝客の相手をしていて、笑顔を絶やさぬ彼女が涙する姿は、いつ見ても綺麗で、哀しかった。

かごめの想い人への、裏切りの謝罪。

できた子への、喜び、愛情を注ぎきることができないことへの謝罪。

朔への、そんな自分をそれでも愛してると言ってくれることへの謝罪。


気持ちに押しつぶされるくらいなら、婚約を取りやめようかとも、朔は何度も考えた。けれど、ようやく手に入れたかごめを手放すというのは、考えるだけでも胸が張り裂けそうな思いになり、どうしても言い出すことは不可能だった。



































「かごめが思うように、好きに生きていいよ。ただ忘れないで。俺は、お前のこと、あいしてるから」
卑怯な言葉だと、朔は自嘲した。心優しい少女の心を戒める言葉になることを分かっていて、吐いているのだ。あさましい自分は。
予想通りに、少女の表情が歪む。できれば、こんな表情はさせたくないと願うけれど、こうすることでしか、少女のこころを縛り付けられないことは分かっていた。
傍にいることさえ出来ない相手に、今も、そしてこの先永遠に敵わないことを、朔は知っている。悔しくて、嫉妬してしまう。
だからせめてもの仕返しのようなものだ。この言葉は。

好意を流すことのできない少女への最大の愛の言葉は、戒め。

そうすることで、少しでもかの少年へ、自分が近付ける存在になりたい。

浅ましい。醜いどろどろとした感情が朔を苛んだ。

「ごめんなさい・・・・」


どうか、この言葉が。

ごめんなさいが、いつか自分ひとりだけに向けて言われる愛の言葉へ変わる日を、夢見て。

今は許容された場所に、己が入り込んでいるだけに過ぎない。それだけでは足りない。もっと、と渇望する。

喉の渇きを訴える砂漠の人間のように、潤いを求める。



他のものなんて、要らない。

ただ求めるただひとつの存在。

(渡さねぇよ。たとえ、それが俺の前世であろうとな)

獰猛な獣は、捕らえた獲物を喰らわない。

執着と、愛情の鎖を施すだけだ。

(渡さねぇ。絶対に、渡してやるもんか)

ざまぁみろ、と、会ったこともない恋敵へ、宣戦布告の言葉を吐き出し、いとしい者を胸に抱きしめた。











・・・・・・・・・自分で話読み返してたらこんな話が浮かびました。言ってた例の、朔かごのくっつくまでの過程全部すっ飛ばしたバージョン。というか、この話書いてると絶対にお腹痛くなるんですけど(ストレスで)。朔、略奪愛(違)を堂々宣戦布告。
なんていうか・・・・・私が恋愛とか達観しちゃってるんで、結婚万が一するとしてもこうなんだろうなーというか(お前がか)
かごめちゃんには幸せになってほしいんですけど、原作で最後お別れになったら寂しすぎるんで今のうちに悲しみに慣れさせてます。ぶっちゃけ生粋の犬かごラバーには拷問以外の何者でもないなこのシリーズ。
(04.11.24記)




back