その姿を見つけた時、彼女は涙を流していた。
愛別離苦
かごめの匂いがしない。
自分に多少、移ってしまったかごめの匂いは、今の犬夜叉にとって、一種の精神安定剤だった。
かごめが居ないという事実だけが、こんなにも彼を急からしい心持ちにさせている事は、仲間には簡単に見抜かれていた。
だから犬夜叉は何だか格好がつかなくて、悔しく思い、此処まで気を紛らわす為に出てきた。
此処。
所謂、御神木の根元な訳だが・・・実際、彼のこの楓の村での居場所というものが、人の傍が常であるのが何時の間にか当たり前の事になっているのに気付いてない所為か、何処となく落ち着きない感覚だけを味わっていた。
かごめが傍に居ないという違和感があるのも事実だろうが、ともあれ自分が此処まで今の、昔の自分なら嘲笑って棄てていたであろう人との馴れ合いに馴染みきっているのもこれまた事実だ。
ざあぁ・・・
風が、何かの花の香を運んできた。
普段嗅ぎ慣れない花の匂いという事に気付いて、ふと犬夜叉は不審に思った。
決して、全く嗅いだ事のない匂いという訳ではない。
近くで嗅いだからやたら匂いがきつく感じられて、その時傍に居た少女の匂いすら打ち消してしまい、不快に思った経験が、何度かあるからだ。そして、その花はこの戦国という時代では嗅いだ事のない匂い。
何せ、それを嗅いだのは、現代でのかごめの家でのみなのだ。
「!」
止め処のない思考の逡巡に身を任せていた犬夜叉は、そこまで行き着いて、突然目が醒めた様に立ち上がり、その匂いのする方角へ、端から見ていたらまさに『目にも止まらぬ』速さに見えるに違いないほどの速度で走って行った。
かごめが帰ったのは3日前。帰ってくると云ったのは4日後。
まだ一日早いと、頭では分かっていたが、やはり前のようにその花の匂いがキツ過ぎて、かごめの匂いなんて感じ取れないのだが、それでも殆ど期待にも似た気持ちでその場へ急いだ。
もしかしたら、一日早く帰ってきたのかもしれない、と。
これではまるで、母親の帰りを今か今かと待っていた子供のようだと犬夜叉は一瞬思ったが、今更引き返す気にはならなかった。
そしてふと、正面を見据え直した時、鮮やかな紅や黄や紫の景色を認めてゆっくりと足を止めた。
そして、例の匂いの元を見定めようと辺りを見回すと、それは案外簡単に見つかった。
鮮やかに揺れる広大な花畑の隅に、自分の纏う水干の着物のような赤色と、それを両手に抱えてぼんやりと遠くを眺めている異国の少女の姿。
後ろ向きの、その姿は、表情は見えないものの、何となく・・・・・
(泣いて、る・・・・?)
声を掛けるのを躊躇していると、ふとかごめの方が、犬夜叉の存在に気付いたらしく、少しだけ彼の方を見て、でも直ぐにまた元の方角を見つめた。
犬夜叉は少し戸惑い、でもすぐに思い直してかごめに近寄ると、かごめは明らかに故意に顔を体ごと背けた。
むっ。
こちらは何もしていないのに、その態度は何だよ、と怒鳴りかけて、さっきのかごめの雰囲気を思い返して黙ったままかごめの隣まで行って、ようやく正面を見据えた。
その、目の下に涙の跡を残した潤んだ目を。
当然犬夜叉は驚いた。
「な・・・・ど、うしたかごめ?」
「・・・何でも・・・犬夜叉こそ、どうしたの?」
そっと視線を下に向けて、かごめは静かに問い返した。
「何か・・・その花の匂いがして・・・かごめが戻ってきたのかと思って・・・それより」
「訊かないで」
ふわ。
犬夜叉の言葉を遮ると、かごめは犬夜叉の肩にもたれ、疲れたような声でそう伝えた。
「・・・ちょっと、肩貸して?・・・落ち着いたら、話、するから」
途切れ途切れのその声を皆まで聞くと、犬夜叉はそのままその華奢な体を花ごと包んだ。
匂いが気にならないと云えば嘘になるが、それよりももっとかごめの表情の意味の方が気になった。
「夢を見たの・・・・」
御神木の根元に腰を掛けて、犬夜叉に抱かれたその状態で、かごめはゆっくり話し始めた。
「井戸がね、私がこっちに居る時に、急にあっちに戻れなくなって、途方に暮れてたの。
でも、皆の所に戻ったら、皆私の事、見えてなくて、犬夜叉も居なくて・・・私、一生懸命捜したの」
「・・・・・・・」
「色んな所を捜して、最後にこの御神木の前に来た時、犬夜叉を見つけて・・・駆け寄ろうとしたら、犬夜叉の腕の中には桔梗がもう居て・・・『お前はもう用済みだ』って、犬夜叉に、言われて・・・・」
声が揺れて、犬夜叉は一層力をこめてかごめの肩を抱くと、かごめの耳元でもういい、と云った。
しかしかごめは小さく首を横に振って続けた。
「変だね。ここに来るまで、泣かなかったのに・・・我慢、出来たのに・・・・・」
・・・一体。
この少女は、どうしてここまで自分の事は抑えてしまうのだろう。
抑えて、一体今までどれだけ“我慢”して来たのだろう。
きっと桔梗の事は間違いなく心を傷めていただろう。でも、彼女の心配はそれだけではない。
今は自由に行き来出来るが、もしかしたら何時かひょんな事で塞がってしまうかもしれない井戸。
この、彼女の暮らす暖かな、常に命を狙われるような危険や恐怖に怯える必要のない世界から、急に死と隣り合わせにならなくてはならない途方もない旅路の中、一人きりになるかもしれないという不安。
恐怖・・・・・。
全てが自分の責任でない事は理解していても、ただ犬夜叉には引っ掛かる事があった。
かごめの心にできた、一点の闇。
桔梗を妬む心。自分を恨む気持ち。
自分にさえ出会わなければ、きっとかごめはあの家族と、環境の中で安全に暮らせていたに違いない。
自分にさえ、出会わなければ・・・・・
(出会わない・・・・か)
自分がかごめに出逢った事に後悔していることは全くない。
だが、どちらにしても過去を悔やんだ所で現状は変わらない。だからこそ、せめて――――
「我慢なんかすんな。俺は、お前一人くらい、受け止められる・・・」
「でも、私一人じゃない じゃない・・・」
桔梗の事を指しているのは明らかだった。・・・そう。自分には確信のない軽はずみな言葉しか云えない。
そう思われても仕方がない事だ。
でも・・・・・
くしゃ、とかごめの前髪を掻き上げて、犬夜叉は本当に優しい面差しで微笑んだ。
「・・・なあ、かごめ。俺な・・・本当は、今頃になって、死ぬのが怖い」
「・・・?」
意図が掴めず、かごめは少し首を傾げた。
「いや、違うな。死にたくねえ。・・・前は桔梗に、少しでも償う為に、一緒に死のうって思ってた。」
その言葉に、かごめは眉根を寄せる。まるで自分の心の痛みのように。
・・・否、それは少し語弊がある。本当に痛いのだ。彼女は、人の心の痛みが。自分のもののように。
「でも、今は・・・・死にたくねえんだ。少なくとも、かごめが生きて、笑ってくれてる間は、ずっと」
「犬、夜・・・・」
「俺は、独占欲強いから・・・だから、かごめが遠くの世界で、他の男と幸せになって、いっぱい笑うのを応援して見てられるほど心も広くねえし、まして痩せ狼なんぞにもお前を取られたくねえ・・・誰にも・・・」
ゆっくり、吐き出すように云う。
どこか苦笑の入り混じった、自嘲気味の声音で。
「だから・・・桔梗を救ってやらねえといけないけど、今は・・・かごめの傍に、俺がいたい。
我侭かもしんねえけど、そう思うから・・・だから、かごめももうちょっと我慢なんてしねえで俺にぶつけろ」
云い終えて、再びかごめを直視した犬夜叉に、納まりかけていた涙が溢れているかごめの姿が目に入り、犬夜叉は狼狽した。何かまた無神経な事を言ってかごめを傷付けてしまったかと、見当はずれな不安を覚えた。
だが、今度の涙は、悲しいからじゃなくって・・・
ばさりと、抱えていた花束を落としたが、かごめは気にしていなかった。
空いたその両手を犬夜叉の首に回すと、そっと呟くように言った。
「ありがとう」
と。
(どうして、犬夜叉って欲しい言葉を分かってくれるんだろう)
それは事実、自分もそうだというのにかごめに自覚はない。
でも、そんなことはどうだっていいのだ。そんなことよりも、自分を大切に想ってくれていると言うことが・・・
重要な事なのだから。
犬夜叉の腕の中は、微かに温かくて、居心地がよくて。
猫の仔のようにすりすりと頬を胸板に擦り付けて、かごめは微笑んだ。
「ところで・・・」
先に話題を出したのは、意外にも犬夜叉だった。
「それ・・・どうしたんだ?」
云って指差したその先には、先程かごめの腕から滑り落ちて、風に吹かれてその独特の強い香りを振りまく紅い花束。
犬夜叉の指摘により、ようやくその存在を思い出したかごめは、犬夜叉から離れてそれを拾った。
だが、それから彼に向き直る暇すらなくまた彼の腕【かいな】の中にいた。
「犬夜叉・・・・?」
犬夜叉は何も答えない。・・・と、いうより、花の為だけに俺から離れるななどという科白をさらりと云うには、犬夜叉は少しばかり精神的に幼かっただけだ。
それでもかごめは何となく悟り、嬉しそうに犬夜叉にもたれて目を閉じた。
花に嫉妬なんて、何度目だろう。
時代に嫉妬なんて、何度目だろう。
“てすと”だの“もし”だのに嫉妬したのも、何度めだろう。
どうか愛しい娘を俺から奪わないでくれ。
どうか、俺の前からその姿を無くさないでくれ。
考え方は違っていても、彼等の願いはたったひとつの同じ者なのです。
ただ、それを口にするには彼等は少し幼くて、少し勇気がないだけなのです・・・。
「ねえ、犬夜叉・・・・・」
かごめは花束を、自分と犬夜叉との間から遠ざけて、薄く笑って云った。
『 』
【終】
何を言ったかは個人のご想像にお任せしときます。まあそんなこんなで10000hitで榊ちゃんへ。
ああ・・・眠いにゃあ(死)。
最近何かと慌ててて、すっかりとキリ番の事を忘れ・・・書けずにいましたが・・・やっばい。何を書きたかったのかすっかり思い出せないでいる・・・まだリク消化しきっていないというのに(焦)。後半とか書かねば・・・・・・・ば・・・(眠)
っつうより私って花ネタ多いねー。ちなみに花束は薔薇のつもり(花言葉:情熱、情熱的な愛)。
まあこんなものでも(かなりリクエスト無視してますが)よかったら貰ってやってねv榊ちゃん・・・。
私の桔梗はどうしてもかごめちゃんをいじめられないのよ・・・(それって・・・)
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