ばたん。
と、ノックもなしに扉を開けて。
「・・・・・・・・・・・・・・」
ぱたん。
と、思わずそのまま扉を閉めた。
そのままぐるりと勢いよく振り向くと、件の鋼の錬金術師は怪訝そうな表情で扉を指差しつつ、後ろに控えていた、
「今は行かない方がいい」という忠告をくれた背の高い少尉に目線で訴えかける。
いわゆる、アレ何?と。
すると少尉・・・ハボックは、「あー」と何処か居た堪れなさそうな表情で後ろ頭をかきつつ、言葉を濁していた。
扉の中のもの、即ち執務室であるわけだが、何故かそこにはいつも泰然と笑う上司がいるにはいたが、えらく不機嫌。
元々彼がポーカーフェイスを崩すことは滅多とないのはエドワードも知っていたが、それにしてもあそこまであからさまに不機嫌な様子には出会ったことがない。
「・・・・仕事溜まってんの?」
後で出直したほうがいい?と訊ねるエドワードにハボックはあっさりと否を唱えた。
「仕事の方は珍しいくらい順調だ。あれだって時間があいてるからやってるようなもんだし」
「・・・・・結構鬼気迫ってたぞ今」
「まあ、なんつーか、さ。結構ダメージでかいことがあったんだよ、大佐もさ」
「・・・・?」
訳が分からず、素直に何?と聞いたら、ハボックは期待と苦笑が混ざった表情で、火のついていない煙草をくわえなおした。
「んー・・・と。まあ、正直あれはいくら何でもちょっと可哀想だなーとは思ったけどよ」
「だから何の話だよ」
「男」
「は?」
「・・・・我等が大佐様は超おモテになる訳だ。主に女性からな。でもほら、軍隊って女の人少ねーだろ?だからたまに居るわけだよ、女の人好きのフリした男もイケちゃいます、って野郎がさ」
「・・・・・で?」
エドワードも話の流れから既に想像はついているのだが、思わず先を促す。
ちなみに浮かんでいる表情は呆れ半分面白そう半分だ。
「今日、午前中に視察に来てた准将がそのクチでなー。中尉がもう少し行くの遅かったら襲われてたかもなー、大佐」
「うわぁ・・・・」
「そりゃもうすげー青褪めてたぜ、大佐。鳥肌とかすごかったし」
「で、その准将どうしたんだ?」
「証拠不十分でお咎めなし、ってな。まあ、踏み込んだのが早かったのもあって未遂だったんだが・・・“あの”大佐だからなあ」
「だろうなあ」
自分は女性を相手にする側だというのに自分が相手にされる側では、大抵の男はたまったものではないだろう。
それに、女タラシの異名を拝している彼だが、案外男女関係のそういった場所は身奇麗なのだ。
勿論、彼のプライベートに踏み込んだ人間でなければそんなことを知る筈もないし、他人を自分の領域へ入れることが滅多にない人間なので、事実を知る人間も数少ないのだが。(そしてその数少ない中に二人は入っていた)
ともあれ、一応相手の気持ちを尊重している人間が、無理強いで、しかも同性に襲われたなどといわれれば、いくら今まで彼女を取られ続けていたハボックでも(というか、大体の男性諸君は)同情を禁じえないだろう。
しかし、そういう微妙な男女の生々しいやりとりは未だ想像の範疇を出ないお子様は、あくまで他人事としてにやりと良からぬ笑みを浮かべた。それに気付いたハボックはまた、妙なことを始める気なのであろうエドワードの頭をくしゃくしゃと混ぜてとりあえず忠告してやった。
「まあ幸いっちゅーか、大将も滅多に軍に近付かない身だからいいけど、そういう種類の人間も軍だけに限らずいるから、あんま素直にほいほい付いてって襲われんなよ」
「誰が野郎襲って楽しいよ」
「ほら、だから」
「・・・・あー」
今回ばかりはさすがに前例が出てしまったので何ともいえない。
「だよなぁ!何たって俺、大佐より若くてピチピチしてるもんな!」
などと、冗談を飛ばしていると、がちゃりと扉が開いた。
誰が、とかは考えるまでもなく、さっきまでの話題の中心人物である。
「・・・来たと思ったら早々に出て行ってこんなところで何を立ち往生してるんだね。待っても来ないし。報告書だろう?早く出しなさい」
どうやら痺れを切らして早々に出向いてきたらしい。
しかしそんなロイに構わずエドワードはにやりと嫌な笑いを浮かべた。
「何だね・・・」
「いやあ?大佐も色々大変だったんだなーって、さ?」
含みを持たせた言葉にロイがハボックを睨んだ。
ありありと、「余計なことを言ったな」という怒りを込めた視線に飄々とハボックは目線をそらした。
そうしてひきつった笑いを浮かべつつ、エドワードを向くとロイは「早く入りたまえ」と言う。
それに促されるように入りながらもエドワードは嫌な笑顔を浮かべたまま、のたまう。
「まあ、大佐顔は悪くないから仕方ねえっちゃ仕方ねえんじゃねえ?それにしても男にねえ・・・・」
「・・・何が言いたいんだね」
「べっつにぃ・・・あ、そーだ」
そうして、その嫌な笑顔のままで、彼はのたまった。
そりゃあもう、近年まれに見るとても“いい”笑顔で。
「大佐がそんなに人気とは知らなかったよ。俺も狙っちゃおうかな。ほら、大穴狙いで先に落としとけば俺も今後楽になるかもだしさ?」
ぷつん。
(あーあ・・・・)
そのとき。何かが音を立てて切れるのを、ハボックは確かに聞いた気がした。
そもそも、エドワード的には、男性に好意を寄せられる気持ち悪さをもう一度味わえという、この上司に対する嫌がらせのつもりでしかない発言だろうが、それはこの男には一番言ってはならなかったかもしれない。
「ふ・・・」
(あーやっぱり)
などと思いつつも、すでに今後の展開は予想されたも同然である。
あくまで第三者の視点で彼等の様子を見ながらも、もう助けてやれねーぞ、大将、と内心で呟いた。
「ふふ、ふふふふふふ・・・・・」
突然壊れたように笑い始めたロイに、エドワードは驚いて数歩後ずさった。
ほんのからかい程度のつもりだったが、予想以上に(そして見た目以上に)ロイのダメージが大きすぎたのだろうか。
少しだけ、彼の精神状態を慮り始めた、直後。
がっし。
「は、え?」
思い切り、報告書を持った左手を掴まれてエドワードは狼狽した。
しかし、その疑問に近い声は解決されることはなく、目の前の男は先ほどとはうってかわって、豹変したように据わり切った目のまま、ハボックへと視線を向けていた。
「ハボック。・・・・定時はあと20分だな。今日はもう帰っていいぞ。」
「yes,sir」
「後、・・・・・そうだな、あと一時間は、執務室の回りは誰も来ないよう手配しておけ」
「ちょっ・・・大佐!?」
腕を引かれて、困惑を強めるエドワードは、救いとばかりにハボックに視線を向けたが、彼は首を横に振ると、
「すまん大将、軍は縦社会でしかないんだよ」
「〜〜〜」
ハボックからの救助は不可能だと悟り、エドワードはいよいよ困惑の色を強めた。
「じゃ、じゃあ中尉は」
「彼女は私の仕事が早く終わったからとっくに帰宅している」
「え、えーっと、俺、これから図書室行きたいし」
「君が用事のある本は私が持っている」
「〜〜あ、アルが宿で待って」
「私から連絡しておこう」
完全に退路を絶たれ、唖然としているエドワードに、素敵に冷酷な方はとても素敵な笑顔を浮かべて、「そうそう」と付け足した。
「私も君の才能を買いたかったんだ。丁度いいな。落とされるのは気に食わんから落とす方に回らせてもらうが・・・・覚悟したまえ?」
「ッ」
その後。
少尉〜〜〜!!!という、ドップラー効果を残し、執務室へ引きずり込まれたエドワードの安否を知る者は誰もいない。
が、ご丁寧に鍵のかかる音を聞いたハボックは、誰もいない廊下で、「あんま大将のこと苛めんでくださいよ大佐・・・」と呟く他ないのだった。
そもそもの彼の決定的な敗北は、ホークアイ中尉のいないときに、アルフォンスを宿へ置いてきたことと。
いくら冗談だからとはいえ・・・・否、冗談だからこそ。
ひっそりと彼を想っている人間に、軽く『好きだ』の同意語を口にしてしまったことだろう。
とにもかくにも、本気でキレた上司へのからかいの言葉は絶対厳禁、ということは、今回のことでエドワードも教訓になっただろう。
それが“身にしみて”になっていないことを祈るばかりである。
・・・・・・・後日、びくびくしながらも上司を邪険に出来ないどころか、彼の顔を見た瞬間真っ赤になるエドワードを見ていると、とても“無事で”いられたとは、到底思えないのだが。
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