僕達の道は、引き返せないんだ


それはある日の静かなお話。






「ねぇ、ボクも一緒につれてってよ?」


その子供は、兄さんの赤いコートの裾を引っ張るとそう言った。



兄さんは少し困った笑い顔で、僕を見上げると視線でどうしよっかと伝えてきた。
犬や猫じゃあるまいし。

元々兄さんは飼う資格も条件もない奴に生き物を飼う資格はないっていうのが信条だったし、
何よりそれ以前にこの子は人間なのだから、この場合の兄さんの視線の意味も
『連れて行くかどうか』じゃなくて『どうやって納得させて帰そうか』ってものだっていうのは解っていた。

相手が大人だったり悪ガキってヤツだったら、兄さんも冷たくあしらって終わりだろうけどこの子はそうじゃなかった。
それに、せがまれて仕方なくだったけれど、旅の話をせがまれて話してあげたのは他ならない兄さんだったから。
この町に辿り着いてすぐに僕らに興味深そうに近寄ってきて、そして僕らが色んな所を旅してるんだって言ったら
じゃぁその話を聞かせてとせがんで。兄さんも勢い付いて色んな武勇伝を聞かせたりしていて。
そしてその子の事も色々と聞いた。

将来は色んな所を見て回って、病弱な母親の為に稼ぐんだ、とか。

お兄ちゃん達・・・僕たちみたいに、錬金術は使えないけれど、剣はいつも練習してるんだ、とか。

何だか、昔の僕らを思い出せて、それは聞いていて楽しかった。


だけど・・・・・・
「・・・それは駄目だろ」

兄さんはそっと、しゃがみ込むとその子の両肩にそっと手を添えて続けた。
「お前、母さんいるんだろ?一人にさせたら駄目だ」

「っでも旅に出て、お金稼いで・・・・」

その子は、そこで気付いたみたいだった。どんなに言い積っても、兄さんの意見は絶対変らないって事に。
はっとして顔を上げたと思ったら、ゆるゆると視線を地面に落としてしまって。

絶対連れて行けないって分かっていても、少し可哀想になって、兄さんもどうやらそうだったらしくて、
少しだけ眉根が動くのが見えた。

「・・・ちょっと前、言ったよな、錬金術の基本の『等価交換』の意味」

突然の兄さんの言葉に、子供は不思議そうに顔を上げて、とりあえず頷いて見せた。
「非日常が欲しいのなら、同等の代価・・・この場合『日常』だな。が、必要になる。つまり今お前が持ってる
確かになにもないけど怪我することはない安全な世界を代価として失う事になるぜ?」

「それでもいい!ボクは・・・・!」

「分かってるか?日常を崩すことは、少し自分から踏み出すだけで簡単に得られるけど」

兄さんの瞳が、何を意味した言葉なのかをはっきりと映していた。
もっとも、それを解れるのはこの場に僕しかいないのだけど。

「失った日常を取り戻すことは逆にとてつもなく大変な事なんだ」

「                」

――――――。
それまで、口を挟むつもりはなかったから黙ったままだったけど、僕はぱっと兄さんの顔を見た。
それはすごく小さな掠れた声だったから、聞こえない筈だった。

「え?何?お兄ちゃん」

だって、僕よりもずっと兄さんの近くにいたこの子にだって聞こえていないくらいなのに。
でも、僕には何故か、とてもはっきりと聞こえた。

きょとんと首を傾げるその子に、兄さんはやんわり首を横に振って、立ち上がった。
「・・・じゃ、行くか、アル」
「あ、うん」

此処には一週間近く居たけど、結局いつも通り『ハズレ』だと分かったから、去る。
あの子はこんな生活を憧れっていうけれど。

「あ・・・・・」

呆然としていたその子はその声に慌ててこっちに向き直った。
往生際悪くまだ連れて行ってと言う訳でもないあたり、賢い子なんだと思った。

「――!」

兄さんが、振り向かずに、駅に向かって歩き続けながらその子の名前を呼んだ。

「帰る家があるってのは、贅沢な事なんだ。なくならなきゃ気付けないけど、そうならねぇようにしろよ!」

だいぶ遠ざかってから、有難うっていう声が聞こえて、僕と兄さんは同時に大きく肩を落とした。

「いやぁ、アイツが頭よくて良かった〜ゴネられたらどうしよっかと思った」
「本当。珍しく兄さんが人を冷静に説得させてたんだからね」
「あぁ?!それどーいう意味だよアル?!」
「ご想像にお任せしますー」

そんな軽口を叩きながら歩くスピードは変わらない。

「あの子・・・大丈夫だよね」

「・・・だろ」


兄さんがトランクケースを持ち替えようとするのに気がついて、僕が荷物を預かった。
次第に言葉少なになって来て、僕はふと、何気なく聞いてみた。

“失った日常を取り戻すことは逆にとてつもなく大変な事なんだ。”

“それは人体練成にも似たようなもんだ。だから少なくとも、業に縛られた俺たちみたいな道は通るな”


「業の道を選んで、失う物は大きすぎたけど、少なくとも得られたものもあったんじゃない?」



兄さんは、大きな目をもっと大きくさせて、暫くぽかんと僕を見つめていたけれど、ふとうつむいて
肩を震わせていた。泣いた時のものではなく、笑っている時のものなのはすぐ分かった。

冗談か何かだと思われたのかな?それにしても笑わなくっても・・・・

そんな事を考えていると、兄さんがいきなり顔を上げて、僕に満面の笑みを向けてきた。


それが、本音なのかは分からない。

人差し指を口元に持っていって。


「内緒だな」



1/20記









背中を預けられる唯一の存在。






「大将って、何気に兄バカってやつだよな」
言ってやると、紫煙の向こうに覘く金の瞳は驚いたように見開かれた。


「・・・あったりまえじゃん!」
にやりと、当然だろとでも言いたそうに胸を張って断言するエドワードに、ハボックは笑った。
そして煙草の先端を揉み消すと休憩室にこもった紫煙を追い出すために窓をがらりと全開にしてやった。
前はこんな気遣いするほど几帳面な性格もしていなかったけれど、彼が相手では話は別だ。
彼曰く、「子供が近くに居るのに長い事部屋ん中煙たくしてたら駄目だろ?」とのことだ。
だが真面目なホークアイ中尉やフュリー曹長に言わせてみれば、その気遣いだけでも大した進歩だが、本当に
エドの事を考えるのならばせめて彼の前だけでは煙草を吸うのをやめたらどうだというのが結論だ。

だがそれを本人に言ってみたたところ、「それは駄目っす。これ俺の一部だから」
などと軽口だか本気なんだか判断つきかねる科白で拒否されてしまったのは最近の話だ。
呆れか納得か、それ以来二人とも何も言って来ない辺り、エドワードに判断を一存してしまっているらしい。
ふとそんなことが脳裏を過ぎり、ハボック少尉は口元を露骨に歪めた。そして、少年に背を向けていて良かったとも思った。
多分無遠慮な上、直情型の彼にこんな笑いを見られたら「何笑ってんの、気持ち悪ぃ」とすっぱり斬り捨てられそうだ。
とりあえず、外を見渡す振りをして口元の笑いが消えるまでそれで過ごすと決め込んだハボックはふと、先程出て行ったこの金目の少年の弟である鎧の鈍い青銅色を見つけた。どうやらまだリザと一緒にいるらしい。
何事か話をしているらしいが、リザはこちらに背を向けているから表情は分からないし、アルフォンスはその鎧の体で表情なんて読めない。
それが何故か物悲しいと感じてハボックは暫く、その隣の館の1つ下の部屋で繰り広げられる光景を見つめていた。
「あれ、アル笑ってんじゃん」
「うぉ?!」

気配もなく突然真横から聞こえたエドワードの声に、ハボックは思い切りビビった。
だけど彼はハボックには目線を向けずに右手に持った少し冷めているらしいコーヒーを一口啜って弟の姿を追っていた。
「・・・て、大将アルの表情わかんのか?」
距離も相当で、勿論話し声なんて聞こえない。その上光を反射する窓越しでそんなによく見えない場所だというのに。
普通に表情が変えられる相手の表情を読むのすら難しそうな距離なのに?
「何となく。そうじゃなくてもあいつとは生まれた時から一緒なんだから」
そこで一旦切るとエドワードはまたコーヒーを一啜りして嬉しそうに微笑んだ。
「あいつ、どんなになっても変わんないから」

確信を持って彼が言うと、喩え違っていたとしてもそれを信じたくなるのはやはり彼らの並々ならぬ絆を知っているからか。
「そっか。」

嬉しそうに笑みを零して弟を見つめるその眼が、確実に兄のそれになっているのに気付いてハボックは内心だけでやっぱ兄貴はこっちの方か、なんて呟いた。うっかり声になんて出してしまったら後が怖い。
窓に背を凭れ掛けさせるとハボックはエドワードの金糸をわしゃわしゃと撫ぜた。
「ぅわ!何すんの少尉!」
髪が乱れる!と慌てて身を捻ろうとした少年をハボックは腕で首を締めて捕まえた。
「何女みたいなこと言ってんだよ」
「俺は女じゃねぇよ!!」
今度は首が苦しくなってじたばたもがくが悲しいかな、その伸長差と腕力の差で彼の抵抗は無駄に終わった。
まぁ、別に命に関わるほど思いっきり締められているわけでもないしと、大して力を入れていないのも原因だろうけれど。

「大将って、本当にアルの事大切なんだな」

「・・当然。だって、俺の自慢の弟だもん」

そうやって屈託なく笑う彼は、普段彼の上司にあたるロイと話をしている時に時折見せる『国家錬金術師』という顔ではなく、ただ弟のことが本当に大事な兄というだけの、少年のものになっていて、知らずハボックも頬を緩めた。
「あ」
エドワードの視線につられてハボックは窓の外を覗いた。
彼の視線は、さっきの部屋、つまり弟に向かっていた訳だが。そちらに視線を這わせると、アルフォンスとリザの二つの視線にぶつかる。
どうやらこちらを見られていたようだ。ようやくハボックの腕から解放されたエドはまた、屈託ない笑顔でアルフォンスを見て、軽く手を振った。
それに応えて手を振り返すアルフォンス。
そんな光景が微笑ましくて、それぞれ彼らの傍にいたリザとハボックは微笑を零した。

それは花咲く季節ももう間も無くという、ある日和の一コマ。
2/15記









背中を任せられる無二の存在。






「アルフォンス君って、エドワード君のこと、本当に好きなのね」
唐突な彼女の言葉にその変わらぬ青銅色の鎧の奥に確かに驚きのそれを表した気がした。


「そんなに、露骨ですか?」
柔らかな陽の光を窓越しに浴びながら、照れ臭そうに尋ねる声音に、知らずリザは静かに微笑んだ。
アルフォンスが彼女の手伝いにと、兄と少尉と別れてここに来たのはつい数分前。
彼に感覚はないが、黴臭さと湿りの強い場所なのだろうと明らかに分かるそこで目当ての資料を探すリザが唐突に言い出したのがこれだ。
・・・余談だが、リザの手伝いとはいえ、彼女が今探しているものは軍の重要書類の一端なので、一応一般人に部類されるアルフォンスは直接彼女と共に捜すのではなく、単に荷物もちで来ているだけだ。微量でも、誰かの役に立てたらいいと常に思うアルフォンスらしい行為だ。

「僕は、そんなに意識したことないんですけど」
「そう。でも私達はあなた達の仲の良さは折り紙付きだと賞しているのだけど?」
暗に自分だけでなく、他の者もそう思っているのだと言われてアルフォンスはくすぐったい気持ちになる。
兄と違い、国家資格を持たないアルフォンスは、弟だということである程度は所謂顔パスで出入りできるようになっているが、それでも軍内部を好奇心でうろつくのも躊躇われ、結局暇だからとロイ直属の部下の5人とはいくらか話をする機会があったりした。
その時は大して兄について追求されたことはなかったので(エドワードには秘密にしているが、例外として伸長についてはしつこく追求されたが)特に意識をすることも、態度が一般の兄弟と異なると考えることも滅多になかった。
だがまさかそんなことを密かに思われていたとは・・・と、アルフォンスは苦笑とも嬉笑いともつかぬ笑いを溢した。
表情がない彼だが、元々愛嬌が感じられる性格故か、彼の表情の読み方は付き合いも大分長いリザには分かっていたので察しも早い。

「でも大変ね。エドワード君の相手は。・・・・結構、派手な事もしているみたいだし」
最年少国家錬金術師の称号を持つエドワード・エルリックは行動や注目度共に極めて高い人物だからか、その姿を知る者こそそんなにいないが知名度は極めて高い。

それも災いしてか、時折風の噂で流れるそれは随分多い上に無茶な話が多い。
恐らく人の口で伝わるものほど曖昧なものもないのでどこかで尾ひれでもついたものとは分かるものの、それを差し引いても余りにも無茶が多い少年に、毎度噂を聞きつける度に「毎回毎回冷や冷やする噂は来ても肝心の本人は一向に訪れんな」と彼女の上司が呟いているのをリザは何度も聞いていた。
無理もない、と思うのと同時にその兄に付き合っているアルフォンスもさぞ大変だろう。脱走癖のある上司を持つ自分と同じくらい、と。
漠然とそんなことを考えて口をついただけに過ぎなかったが、アルフォンスは少し考えると「そうですね」と言って、付け加えた。
「出来れば無茶して欲しくはないですけどあの性格だし。・・・僕には今は痛みなんて分かりませんから」

代わりたくても代われない。痛みを痛感することすら出来ない身体は、彼には何より苦痛だ。
それを兄に伝えないのは、彼が酷く自分を大切に思ってくれていると知っているからだ。
「昔から、兄さんは優しすぎるから」

それも、昔より今の方がずっと過ぎるほどに優しい。特に自分に対しては無条件の優しさを注いでくれる。それは罪に苛まれて衝動的に行われる行為ではなく、ごく自然のものだと分かる。
時には厳しく、時にはさりげなく注がれる感情は、鎧になった今でも心の中が暖かくなるのを感じさせる。
それは素直に弟として嬉しい。だけれど兄の優しさは時々愚かしさを生み出す。エドワードは、アルフォンスの為ならば命すら投げ出す覚悟があるのだ。
それがアルフォンスには酷く怖く、また憤りを感じるさせられる。もしそれが罪の償いというのならば間違いなく兄を遠慮なく罵っている筈だ。
そんなことをされて嬉しい筈がない。一度はそれを無遠慮にぶつけたこともあるけれど。
(同じことがあったら、間違いなく兄さんは同じことをするんあろうなぁ)

そんな気弱な気性をしている兄ではないと知っている。そしてそれが限りなく本心だということも。
「・・・・・・本当、天才なのに馬鹿なんだから」
得てして変な喩えにも聞こえるがそれが現実である。リザはぽつりと呟かれた言葉に苦笑を溢した。

「アルフォンス君は、本当にエドワード君の事が大切なのね」

「・・・・えぇ。だって、僕の自慢の兄ですから」

笑いを含むような声音とは逆に、それはまるで決意のように聞こえてリザはこの兄弟の絆は半端ではないと実感した。
そしてようやく見つかった資料の束の一部をアルフォンスに持ってもらい、ついでに窓を開けようかと視線をそちらに持っていった瞬間、隣の館の上の方で金に光を放つものを捕らえて一瞬目を細めた。
「あ、兄さんと少尉」

アルフォンスの声で、リザは慣れてきた目に映るそれが休憩室にいるエドワードとハボックだという事に気付いた。
どうやら何かじゃれ合っているようだったが、ふとエドワードがこちらの視線に気付いてハボックの腕の中から逃げ出して軽くアルフォンスに手を振って来た。
それに応えて手を振り返すアルフォンス。
そんな光景が微笑ましくて、それぞれ彼らの傍でそれを見ていたリザとハボックは微笑を零した。

固く閉じられた蕾もそろそろ芽吹きだすだろうかという暖かなある日和のそんな一コマ。




・・・・・これもまた余談であるが、実はエドワードとアルフォンスは、全く同じ時に同じ質問をされて、そして同じような回答をしたらしいということが後日、彼らがまた旅立った後に判明して、彼ら兄弟の仲の良さは例のメンバーの中だけと云わず、東方司令部の約半数以上を占めるほぼ全員のお墨付きに格上げされたらしい。


その事実を、当の本人たちは知る由もないのだけれど――――。




2/17記。

注:季結は白アル派。カップリングとかじゃなくバカップルのように異常に仲のいい兄弟に萌。










ある意味では一番いとおしい存在。

世界で一番俺に近い、世界で一番慈しむべき、俺の。



安眠は、身体を休めるどころか、苦痛を貪らせる

怖くなって、眠りをやめようとしても、睡魔が襲ってくる

それはつまり

やって来る恐怖から目をそらすなと、誰かが言ってるのだろうか

だったら上等だ

俺は、逃げないし、むしろ向かっていって、それで―――

俺に出来る限りの優しさで、『それ』を抱きしめてやろうと思う

俺が苦痛から逃れられないのと同じように

愛しいモノは今でもずっと苦しんでいるから

たとえ棘のように鋭くて

氷のように冷たいモノだとしても

それが本当は、硝子細工のように繊細で壊れ易いものだと理解しているから

なぁ

俺はもう逃げないよ?怯えたりもしない

だから、この手を取ってくれ

今度こそ、その手を離したりしないって約束するから

・・・・・いや、違うな

今度こそ、何処へも行って欲しくないから



ゴメンな、こんな頼りない兄でさ

今まで歩んできた道全てを否定するつもりはないんだ

あのまま、禁忌を犯さなければ会えずにいた人たとの思い出とか

お前との旅とか

俺は全部覚えてるよ 忘れない

一度はお前を失ってしまって死ぬほど後悔したけど

世界は満更、捨てたものじゃないだろ?

月は満ちて、また欠ける

繰り返される移ろいの中で、お前の姿だけは変わらずあるけれど

こころはずっと成長を続けてる

だからお前は生きてるし、人たる存在だ

俺が欠けた身体を鋼で補うのは、ある意味でお前と近くなりたかったからなのかもな






安眠は、身体を休めるどころか、苦痛を貪らせる

怖くなって、眠りをやめようとしても、睡魔が襲ってくる

それはつまり

やって来る恐怖から目をそらすなと、誰かが言ってるのだろうか

だったら上等だ

俺は、逃げないし、むしろ向かっていって、それで―――

それを受け入れられるほどに強くなりたい

なぁ、世界で一番俺に近い愛しいモノ

たとえ硝子細工みたいに、繊細で壊れやすいお前だけれど

護ってやりたいから

俺の、我侭だと思って受け止めてくれないか

自己満足だって嘲られても

欺瞞だと罵られてもいいから

もう、お前の手を掴み損ねるヘマだけはやりたくないんだ





なぁ、世界で一番慈しむべき俺の弟。



7/31記
NOTエドアル。エド独白。











ヒューさん追悼(今更)


幾億の閉じられた言葉たち








「いよぅ!エド、アル!」



唐突に掛かる言葉。

そして、振り向く隙すら与えられずに羽交い絞めにされて、エドは「ぐえ」と小さく呻く。慣れたように、隣に佇んでいたアルは、兄の様子をちっとも気にした風にせず、「あ、中佐」と言葉を洩らす。
じたばたともがいても、案外デスクワーク派に似つかない力強い腕に抵抗も出来ずにエドは半目で腕の人物を睨み付けた。
「どーしてこう、東方司令部の人らといい、中佐といい、俺のこと見つける度にこーゆー過度なスキンシップとろうとすんだろうねえ、全く」
「そりゃお前、お前の後姿見てると無性に攻撃したくなるからに決まってるだろ」
「わあ、兄さんだからいつもトラブルに巻き込まれるんだね」
「んな訳あるかッ!中佐もいい加減なこと言ってねえで離せ!」
「お、悪い悪い」
悪びれた様子もなく離される腕。
それでも不満げにヒューズを睨み付けると、彼は豪快に笑い飛ばして、侘びにと、兄弟を昼食に誘った。

エドは苦い顔で、「これから文献読み漁るつもりだったのに」とくすぶっていたが、アルが「ありがとうございます!」と、嬉しそうに言うものだから、すっかり断るタイミングを逃してしまった。
それに、「なっ?」と、眼鏡越しに優しい目で笑われると、この男の親友である何処かの大佐とはまた違った意味で弱い。断れない気分にさせるのだ。
「・・・・わぁったよ。付き合う、付き合やいいんだろ?」
わざとそう、大仰そうに言ってやると、「そうそう、いい子だなー、豆」と、わしゃわしゃと髪を撫でる手。
誰が豆だと反論を忘れないながらも、いつものように暴れることも出来なくなる。


“父親”の雰囲気を持ったこの大人のことを、エドもアルも、嫌いではない。

自分たちの父親を、特にエドは嫌っていた。錬金術にのめりこんで、最愛の母を放ってしまった最低の大人。そんな父親と同じ立場でも、この人は正反対と言っていいほどに、溢れんばかりの優しさを与えてくれる。
勿論、それが最大に発揮されるのは、彼の愛妻と愛娘に対して、というのが大前提だが
――それでも、彼が自分たちにくれる無償の愛情はとてもくすぐったくて、恥ずかしくて、嬉しい。
そんな彼だから、部下にも、あの“いけ好かない大人”にも好かれているのだろうとエドは思っている。
「でも、割り勘だからあんま高いとこ連れて行くなよ?」
と、笑ってやれば、馬鹿にしたように、でも決して嫌味な意味は含まれない笑いを向けながら、
「馬鹿言え。誘った俺がスポンサーなんだ。ガキから金取ろうなんざ思ってねえよ」
そう言って、やはりわしゃわしゃと乱暴に頭を撫ぜてくる。
少し強引なのに、少しも嫌な感じがしないその手。実は、その手に撫でられることが、割と好きだなんて言えない。
わざと手を払い除けると、いかにも機嫌の悪そうな表情を作って、反抗してやると、また眼鏡の奥で優しい光が笑う。
「もお、兄さんってば」とアルが苦笑交じりの声でエドの行動を諌めると、ヒューズはまた楽しそうに笑う。そして、強引に二人の手を取ると引き摺るような案内で店に行く。

反抗の言葉は忘れないけれど、ぐいぐい力強く引っ張られる腕にエドも、恐らくアルも。優しさを感じて嬉しくなる。
曲がりなりにも国軍中佐で、諜報部の彼が、暇な筈がない。
それでも、自分たちをわざわざ探し出して、息抜きさせてくれる。押し付けられたと感じさせない自然な誘い方(まあ、誘い方自体は少々強引かもしれないが、それも彼らしいといえばそうだ)をしてくれる。
とにかく、気兼ねするなと無言で言われて、楽だった。












『いよう、エド、アル!元気してたかぁ?』



――――――・・・・・・・・!



勢いよく振り返る。しかし、雑踏の中で見えるのは、仲の良い家族連れや、恋人たちの幸せそうな午後の休暇。
蒼い軍服なんて、視界の端にすら映らない。
「どうしたの?兄さん」
かしゃ、と器用に首を傾げる鎧の弟に、「いや」と曖昧に返事を返すとエドワードは自嘲するようにコートを翻して、アルの隣に戻る。
無理やり笑うと、「今日は図書館で缶詰だな」と言う。
「駄目だよ兄さん。まだお昼ご飯食べてないんだから。食べ終わってからじゃないと許さないからね」
め!と小さい子供にするかのように、人差し指を立てて言うアルになにおう!?と返して笑い飛ばす。

『お前ら、今から暇ならちょっくら昼飯付き合えや。どうせまだ食ってねえんだろ?』

優しい光が、今でも胸を去来する。
思わず心臓が苦しくなり、目の奥が熱を持つ。
(駄目だ駄目だ駄目だ)
ふるふると無理やり頭を振る。こんなところで泣いては弟に心配をかけるし、何より情けないではないか。
「・・・わあったよ。何か食ってからやるよ。子供扱いすんじゃねえよ、弟のくせに」
「こんな兄を持ってるから仕方ないよ」
「なんだとぅ!?」
「はは、ごめんごめん。半分冗談だよ」
「〜半分本気かよ!」
じゃれるようにこつんと鎧の胸部を拳骨で叩いて、エドは少しだけ早歩きになる。


まだ泣けない。泣いてはいけない。泣いている場合ではない。


でも。


(俺たちの目的果たしたら、そんときは)


泣いても、いいかな。アンタの為に。
馬鹿みたいに、ぼろぼろにさ。小さい子供みたいに、ずっとずっと。
アンタ、優しいから多分、泣くなって言って笑ってくれるかもしれないけど、俺は、俺らは馬鹿なガキだから、言うこと聞いてやれねえな。アンタの愛娘でもないし。





ごめんなさい。


ありがとう。


こんな面倒なガキの“父親”をしてくれて。





大切な人ほど、すぐ傍を離れていく。グレイシアさんだけでもなく、エリシアちゃんだけでもなく、大佐だけじゃなく、もっとたくさんの人の、悲しみ。
泣けばいいのに泣けない子供の傍にいたとき、彼は何を思っただろう。そう思っても、知っている本人は、もう二度と手が届かない。