「ねぇ、ボクも一緒につれてってよ?」
その子供は、兄さんの赤いコートの裾を引っ張るとそう言った。
兄さんは少し困った笑い顔で、僕を見上げると視線でどうしよっかと伝えてきた。
犬や猫じゃあるまいし。
元々兄さんは飼う資格も条件もない奴に生き物を飼う資格はないっていうのが信条だったし、
何よりそれ以前にこの子は人間なのだから、この場合の兄さんの視線の意味も
『連れて行くかどうか』じゃなくて『どうやって納得させて帰そうか』ってものだっていうのは解っていた。
相手が大人だったり悪ガキってヤツだったら、兄さんも冷たくあしらって終わりだろうけどこの子はそうじゃなかった。
それに、せがまれて仕方なくだったけれど、旅の話をせがまれて話してあげたのは他ならない兄さんだったから。
この町に辿り着いてすぐに僕らに興味深そうに近寄ってきて、そして僕らが色んな所を旅してるんだって言ったら
じゃぁその話を聞かせてとせがんで。兄さんも勢い付いて色んな武勇伝を聞かせたりしていて。
そしてその子の事も色々と聞いた。
将来は色んな所を見て回って、病弱な母親の為に稼ぐんだ、とか。
お兄ちゃん達・・・僕たちみたいに、錬金術は使えないけれど、剣はいつも練習してるんだ、とか。
何だか、昔の僕らを思い出せて、それは聞いていて楽しかった。
だけど・・・・・・
「・・・それは駄目だろ」
兄さんはそっと、しゃがみ込むとその子の両肩にそっと手を添えて続けた。
「お前、母さんいるんだろ?一人にさせたら駄目だ」
「っでも旅に出て、お金稼いで・・・・」
その子は、そこで気付いたみたいだった。どんなに言い積っても、兄さんの意見は絶対変らないって事に。
はっとして顔を上げたと思ったら、ゆるゆると視線を地面に落としてしまって。
絶対連れて行けないって分かっていても、少し可哀想になって、兄さんもどうやらそうだったらしくて、
少しだけ眉根が動くのが見えた。
「・・・ちょっと前、言ったよな、錬金術の基本の『等価交換』の意味」
突然の兄さんの言葉に、子供は不思議そうに顔を上げて、とりあえず頷いて見せた。
「非日常が欲しいのなら、同等の代価・・・この場合『日常』だな。が、必要になる。つまり今お前が持ってる
確かになにもないけど怪我することはない安全な世界を代価として失う事になるぜ?」
「それでもいい!ボクは・・・・!」
「分かってるか?日常を崩すことは、少し自分から踏み出すだけで簡単に得られるけど」
兄さんの瞳が、何を意味した言葉なのかをはっきりと映していた。
もっとも、それを解れるのはこの場に僕しかいないのだけど。
「失った日常を取り戻すことは逆にとてつもなく大変な事なんだ」
「 」
――――――。
それまで、口を挟むつもりはなかったから黙ったままだったけど、僕はぱっと兄さんの顔を見た。
それはすごく小さな掠れた声だったから、聞こえない筈だった。
「え?何?お兄ちゃん」
だって、僕よりもずっと兄さんの近くにいたこの子にだって聞こえていないくらいなのに。
でも、僕には何故か、とてもはっきりと聞こえた。
きょとんと首を傾げるその子に、兄さんはやんわり首を横に振って、立ち上がった。
「・・・じゃ、行くか、アル」
「あ、うん」
此処には一週間近く居たけど、結局いつも通り『ハズレ』だと分かったから、去る。
あの子はこんな生活を憧れっていうけれど。
「あ・・・・・」
呆然としていたその子はその声に慌ててこっちに向き直った。
往生際悪くまだ連れて行ってと言う訳でもないあたり、賢い子なんだと思った。
「――!」
兄さんが、振り向かずに、駅に向かって歩き続けながらその子の名前を呼んだ。
「帰る家があるってのは、贅沢な事なんだ。なくならなきゃ気付けないけど、そうならねぇようにしろよ!」
だいぶ遠ざかってから、有難うっていう声が聞こえて、僕と兄さんは同時に大きく肩を落とした。
「いやぁ、アイツが頭よくて良かった〜ゴネられたらどうしよっかと思った」
「本当。珍しく兄さんが人を冷静に説得させてたんだからね」
「あぁ?!それどーいう意味だよアル?!」
「ご想像にお任せしますー」
そんな軽口を叩きながら歩くスピードは変わらない。
「あの子・・・大丈夫だよね」
「・・・だろ」
兄さんがトランクケースを持ち替えようとするのに気がついて、僕が荷物を預かった。
次第に言葉少なになって来て、僕はふと、何気なく聞いてみた。
“失った日常を取り戻すことは逆にとてつもなく大変な事なんだ。”
“それは人体練成にも似たようなもんだ。だから少なくとも、業に縛られた俺たちみたいな道は通るな”
「業の道を選んで、失う物は大きすぎたけど、少なくとも得られたものもあったんじゃない?」
兄さんは、大きな目をもっと大きくさせて、暫くぽかんと僕を見つめていたけれど、ふとうつむいて
肩を震わせていた。泣いた時のものではなく、笑っている時のものなのはすぐ分かった。
冗談か何かだと思われたのかな?それにしても笑わなくっても・・・・
そんな事を考えていると、兄さんがいきなり顔を上げて、僕に満面の笑みを向けてきた。
それが、本音なのかは分からない。
人差し指を口元に持っていって。
「内緒だな」
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