救いのない日々を嘆くことはない


むしろ、赦しを請うことすらも恐怖の日々に、自分に罰を与える傲慢な男が現れて


それでひどく安心してしまった、浅ましい自分を


この手で切り刻んでころしてやりたいけれど、それはまだ駄目だ


この体の在る限り、最愛の弟の肉体を取り返すことを達成しない限り






“俺”は死さえも棄ててしまわなければならない。

どんなことがあっても、何をされても。








NO
SWEET  NO SUGAR













かちゃ、

こちらを気遣ったような静かに回されるノブの音に、エドワードは気だるい躯を起き上がらせようとして、じくじくと内部を蝕む痛みにそっと眉をしかめると金の目を開くことしかできなかった。呼吸さえも億劫で、掠れる声を出すことも面倒だ。
――いま、なんじ?」
誰にともつかない問い掛けに、ドアノブを回していた人物は呆れたように溜息をついて、そして少しの間をあけて、「6時5分」と短く彼に答えた。呂律が怪しい。こちらの気配に起き上がる様子もない。相当、辛いのは分かっていたが、どうすることもできない。
いわば、こちらが加害者である今の状況は、一体何がどうなってこうなったのか。

人物
――ロイは、半乾きの黒髪をがしがしと掻き毟って、苛立たしげな視線をエドワードに向けた。
視線はまともに一度も合わないのに、エドワードは天井を見つめたまま、喉の奥で楽しそうに笑う。
「何が不満なんだよ。あんたから襲っておいて」
「合意だろう」
「普通、それでも男でこんな五体不満足のガキを抱くかっての。バァカ」
「じゃあ、どうして
――

君は、私に抱かれたの。
言いかけてロイは口を閉ざした。どうせ、彼は答えない。答えたところで、自嘲の笑いしか返ってこない。
ロイの予想の通り、返答はなかった。どうせ、彼の弱みに付け込んでこの関係に持ち込んだのは、紛れもないずるい大人なのだ。

相変わらず、ロイとは視線も合わせないまま、ずっと天井を見上げながらエドワードは口を開く。
「何ていうのかなあ・・・・あんた、俺に甘いもの望んでるなら、そんな希望は捨てた方がいいよ。別に、あんたのことどうこう思ってるとか、そんな理由で大人しく抱かれたなんて思っている訳じゃないだろうけど」
「・・・そう、思ってくれていたら」
ようやく、エドワードはロイを向いた。細まる視線に、何か痛みに耐えるような眉間の皺は、凡そ十代半ばの少年のものではない。
「そんな顔はしないだろう」
「変に夢見てるから傷つくんだ。そうでなければ、俺なんかに手を出さなければいい」
会話の内容に不釣合いな、綺麗な表情。そこには何もない。

怒りも

悲しみも

喜びも

何も、かも。


慈しむような表情だけがそこに浮かんでいて、それはなんと美しくて、なんと無感動なものだろう。

「俺だって、一応男なんだぜ?プライドあるんだから、間違ってもそんな理由じゃ俺は男になんか抱かれない」
「・・・・・自虐だ、これは」
「じゃあ、それに付き合っているあんたは、なに?」
問われても返す言葉なんてありはしない。押し黙ったロイに、エドはひとしきり腹の底で笑った。
痛みに顔を顰めながらも笑いを止めることはしなかった。
「憐れな子供に、自分が罰を与えるって?傲慢だな。神にでもなったつもりか?」
「・・・・・・・違うよ」
「じゃあ、他に何があるっていうんだよ」
怒るような口調でもなく、ただただ静かな口調でエドワードはそう訊ねた。
しかし、ロイはそれには答えずに、静かに歩を進めると、エドワードの寝そべるベッドの反対側に回って、サイドに腰掛けた。大きさは十分あるが、本来一人用のベッドのスプリングがきしりと鳴く。
くいとエドワードの顎を引き、無理やり唇を重ねると、エドワードは表情も変えずにロイの唇に噛み付いた。
「ッ・・・・・・・・」
反射的に唇を離しかけたが、それでも何とか離さずに、舌をエドワードの口内に入れる。じんわりと鉄の味がして気持ちが悪かったが、それでも離すことはなかった。それによって、困惑が生じたエドワードはようやく、苦しそうにロイの胸を押し返したがその手すらも片手一つで押さえ込まれてベッドに縫い付けられる。足は、持ち上げようとしたが下腹部の鋭い痛みと違和感に断念せざるを得なかった。
その唇と同じように、口内を犯す舌も噛み切ってやろうかと考えて、やめた。
こんなところでゲームオーバーを迎える人生なんて、真っ平御免だ。まだ、アルフォンスの全てを取り返してやれていない。

「・・・・・・ル」

キスの合間に吐息に混じって、エドワードはいとしい弟の名を呼ぶ。
気付いたロイは、不快そうに眉を顰めると、少年に体重を掛けないように肘と膝で体を支えながらその体の上にのしかかる。
「足りないの?欲求不満なんじゃねえの?大佐」
「黙れ」
押し当てられた唇からは、拭われもしない血液が、エドワードの口内に流れ込んでいた。

鉄の味。

散々覚えたその味に、匂いに、エドワードは露骨に嫌悪の表情を表した。
キスの合間も、目を閉じて黒曜石の眼を隠したロイの顔を、エドワードは淡々と見つめているだけだった。
そろそろ、30代に入るという筈なのに、硝子越しの陽に焼けて浅く色づいた肌や、皺もない顔。いつも、見慣れていて、見慣れすぎていて、見るのも嫌だと思っていた顔を、今までにないくらいの近距離でじっと観察しながらエドワードは内心で溜息を吐いた。
(どうして、俺なの。女の人、好きなくせに。どうして、バレたら間違いなく犯罪者になるような俺を、望むの)



痛みと嫌悪しかなくて、吐きそうになる、非生産的な行為の最中、自分へ向けてただ、何かに取り憑かれたように「あいしている」と囁かれ続けても、それをエドワードに理解することはできない。選ぼうと思えば、もっと有意義な付加価値のついた女性なんていくらでも手に入るのに。
ようやく解放された唇に、ロイの血液がついていた。ロイの方は、その傷を何でもないとばかりに、羽織っただけのシャツの裾で拭う。白いシャツに、真っ赤な染みが出来た。

「何故、泣かない」

ロイは唐突に問う。何のことか分からずに眉を顰めるエドワードに、ロイはもう一度静かに問いかける。
「何故、泣こうとしない」
「あんたのためになんて、自分のためになんて、誰が泣いてやるもんか」
苛立った声で詰問する男にエドワードは反発するように返した。
「では、弟のためならば泣くというのか。こんな男に、半ば強制的に抱かれるよりも、弟の方が大切か」
「当然だ。俺にはアルさえいたらそれでいい」




ぱし、と乾いた音がする。



じんじんと熱くなる頬に、この男に軽く殴られたのだと、一瞬遅れて理解する。
反発の言葉は出なかった。
「君はッ・・・・・!」
「自愛しろって?それこそ、あんたの口から一番出ちゃいけない言葉だな」
先読みした科白に、ロイは悔しそうに口を閉じた。そうして暫く、眼を閉じたあとで、絞り出すかのように声を出す。
「何を、言われても。責められても、仕方ないとは思う。しかし、君の行動は、目に余る。心配しているんだ。・・・・・・中尉、も、少尉も。皆」
私も、と言いかけて飲み込んだ。

今の(いや、いつのであっても、そうだ)エドワードにロイの言葉をそのまま信じさせることは、不可能だと思った。

「・・・そうしていて、俺が俺を大切に思っていれば、賢者の石は転がってくるか?」
ロイの悲痛な願いに気付かない振りをして、エドワードは嘲笑した。
「悪いけど、俺には逃げるとか、休むとかいう選択肢はない。あるのは進むだけ」
「黙っていろ」
喋らせる度に不快になるのなら、いっそ黙らせてしまえともう一度キスすると、エドは露骨に眉を顰めて目を瞑った。
妥協は不可能。和解も不可能。だとすれば、どんな関係に持ち込んでしまえば、気が済むというのだろう。
対等が不可というのなら、徹底的に、狗として服従させればいいのか。しかし、彼は狗といえどもたった一人の肉親のためならば飼い主にさえ噛み付く覚悟もあるのだ。

「キスは、するなって言っておいた筈だ」
何回も破りやがって、と吐き捨てるようにエドワードは言った。
この行為に愛情を求めるな。そんなものは捨てろ。これはいわば、罪人に科せられた罰のような行為。快楽なんて求めていないし、ひそやかな甘いものを求めているわけでもないのだ。

「黙れ、黙れ       黙って、くれ」

そうして世界は暗転する。
嬌声とは呼び難い、何かを食いしばるかのような嗚咽と、規則的な軋み。
瞳の底に焼きついた漆黒を殺すかのように黄金の眼を伏せて、一方的に与えられる感触にエドワードは吐き気を覚える。

こんなこと、望んではいなかった。でも、心のどこかで望んでいた。
嫌いだと、何度も呟きながらもロイに対する感情に気付かずいられるようにするには、深入りしすぎていて、抜け出せず。
与えるだけも、与えられるだけも、どちらも嫌で、こうすることでしか、返すことが出来ないのだろうかと閉じた瞼の熱を抑える。
(おれは、あんたのことなんてどうともおもっていない。・・・・おもっちゃ、いけない)


躯の飢えは止んでも、心の飢えは、いつになれば消えてくれるだろう。







































瞼を閉じて、呼吸が戻ってきたエドワードの頭を、ベッドサイドに腰掛けていたロイは黙ったまま撫でていた。
今度こそ、新しいシャツを羽織り、上から軍服を着込んでいた。片手には、黒い外套を掛けて、今すぐにでも出ていけた。時間にはまだ余裕があったけれど、用意した朝食(しかし、並べられたメニューは昼餉に近い)には一切手をつけていない。メモ書きで、食べておきなさい、と少年に残して、すぐにでも出て行こうかと思っていたが、やめてこうしてエドに触れている。
「愛情が必要ないというのなら、どうしてあんな顔で私を見る、鋼の」
答えのない質問は、意味のない単語に過ぎない。
切に何かを求める感情。それを殺すような激しい感情が、ない交ぜになった表情。
あれは、何もかもを捨てた者の顔ではない。必要としない者の顔ではない。
「君の大切な人間になりたいなんて、思わないが」
血が乾いて、瘡蓋が出来かけていた唇でそっと触れるだけのキスを、エドワードの唇に落として。
「あんまり、過ぎた嘘を繰り返すのならば、こちらだって考えがあるのだから、いい加減でやめておきなさい」

そう言ってゆっくりとロイは腰を上げる。廊下で電話の呼び鈴が鳴っていることに気付いた。
この時間ならば、間違いなくホークアイだろうと確信しながら部屋を出る。
それまで身動き一つ取らなかったエドワードが、彼の去った部屋で、唇を拭う気配があったけれど、気付かない振りをした。
五回鳴ったあとの電話を取ると、予想通りの聞き慣れた凛とした声。何かあったかと訊ねると、『アルフォンス君が』と告げる。予想の範疇内だ。「代わってくれ」と告げて何秒かして、空洞から聞こえてくるようなはっきりとしない声が不安げに兄の動向を訊ねてきた。
昨夜のうちに、兄は本に夢中になって帰りそうもないから、今夜はこちらで面倒を見るよと言っておいたものの、少年の弟は何か迷惑なことを兄がしていないかと心配になったらしい。

この、兄思いの弟に、迷惑どころか、こちらがかけてしまったよ、と言えばどんな反応を示すだろうかと、少し意地悪な考えが浮かぶがすぐに消える。
「珍しいくらい大人しいよ。ただ、まだ眠っているから放っている。起きたら勝手に君の元へ帰るだろうし、そんなに心配しなくてもいい」

最低な大人だ、と内心で吐き捨てて、アルフォンスの申し訳なさそうな、少し嬉しそうな声を聞きながらロイは自嘲した。
今からそちらに向かうから、一旦切らせてもらうと告げて、受話器を戻す。
そして、肩越しに顔だけ振り向いて「鍵はリビングのテーブルの上だ」と、少し大きな“独り言”を言って、玄関へ向かった。



後戻りは出来ない。これ以上進むことも出来ない。でも、立ち止まるわけにはいかない。


どうすれば、この矛盾から逃れられるの。立ち向かえるの。







「いっそ、俺の命と引き換えに、アルを取り戻せたらいいのに」


やけに大きな寝室で洩らされた言葉は、ばたんと遠くで聞こえる扉の閉まる音に重なって、消えた。










FIN

心よりも先に一線を越えてしまい、こんなスタンスしか取れなくなった大人と子供。
初めて鋼でエロくさい話書きました。甘えも甘さも捨ててきた。もう必要ないんだ。だから、そんなものを俺に与えようとしないで。
そんな感じ。なりメやってるときにあまりにもお相手のエドが可愛らしく、うちの大佐にめろめろだったもんで。うちのエド相手なら間違いなく↑こうなってるなーと思い。分からなくてもインスピレーションで感じてください(無茶)
この話、雰囲気は気に入ったんですが正直ロイエドでエロは少なくともうちでは本意ではない。つかず離れずが好き。

・・・・・すれ違いまくってるなー(今更)そしてエドリィ書きたい(反動)
(05.7.9)


本音(ドラッグ)→
何があった自分。