告げられた言葉はたったの一言。
『大佐と一緒に行きます。・・・軍にはもう、戻りません』
「え・・・・」
自分のものながら、随分間抜けな声だとジャン・ハボックは思った。
Good Bye Dear・・・・
暴動を起こすと、それだけを告げられて、それでも大佐・・・・准将になったが、己等の上官のロイに、付いていくと言ったのは紛れもない自分たちだ。
そして、現在も付き従っていたつもりだった。
現大総統、キング・ブラッドレイが陥没して、軍に握られていた権利の殆どが失われたと報告を受けたあとも、ずっと。
その後、事後処理に追われている合間を縫って、腹心の部下たちは行方不明とされたロイとリザの行方を捜していた。
そして先日、ようやくその場所が分かった。確実な情報ではないが、ロイは重症。片目を失ったものの、リザは軽症で済み、とあるアパートを借り受けてそこで養生していた、とのこと。部屋に備え付けの電話番号は聞いた。あとは、ダイヤルを回すだけ。それなのに、ハボックは何となく感じる嫌な予感を無視できずに、時間ができた時も電話を掛けようとはしなかった。
ロイたちに連絡を入れるのは自分が最初がいいと申し出ておいて、結局先延ばししようとする。
そろそろ、早く連絡を入れないと自分が先に、と言い出す者が続出しそうだ。ロイもリザも、何だかんだと上層部のやっかみは買っていたが、慕う者も多かったのだ(もっとも、連絡先が分かっていると知っているのはほんの数名に過ぎないが)。
休憩時間になり、ハボックはようやく、重い腰を上げた。盗聴を恐れて、近くの公衆電話に駆け込むと、簡易灰皿に煙草を押し付けて消した。貨幣をいくつか取り出す。
コインを投下して、メモに書かれた番号を震える手で押し始める。
胸が潰されそうな思いで、電話が繋がるのを待つ。今すぐにこれを切ってしまいたいという衝動に駆られながら。
がちゃっ
「!」
受話器が取られた音にジャンは酷く狼狽した。
『・・・・誰です?』
警戒の色を含んだ、久々に聞くリザの声に、ジャンは泣き出しそうになる。何を言っていいか分からずに、言葉を詰まらせるが、電話越しの雰囲気で察したのか、リザが問い掛けてきた。
『・・・ハボック少尉?』
階級で呼ばれている、ということは、近くにロイもいるということだろうか。
傍らに居るであろう上司に聞こえるとも思えなかったが、ジャンは事務用の口調で返すことにした。
「ホークアイ中尉・・・無事でしたか。・・・・大佐・・・あ、いや准将は・・・」
未だ慣れない階級での呼び方に慌てて訂正するジャンに、リザは通話口でくすりと笑いを溢したように思った。
『“大佐”はご無事よ。私もね』
わざと、苦もなく慣れている階級で呼ぶ声が酷く明るくて、ジャンは少し違和感を覚えた。しかし、それを疑問として口にするより早く、少しトーンの落ちた声でリザが言う。
『・・・・これは、軍からの要請で掛けて来た電話?』
ああ。
不安が的中したような声音に、ジャンは知れず動揺する。とりあえず、質問には答えなくてはと、否定の言葉を返すと、あからさまに安堵したようなリザの声が届いて少しだけ嬉しくなる。
『貴方は・・・他の人たちも、大丈夫なの?』
本気で気になっているという雰囲気を隠さず、リザは問う。そんな、なんでもないことにジャンは自分の気分が高揚するのに気付いた。
「平気っす。みんな丈夫なのが取り柄っすからね。大した怪我もなく終われました」
『そう・・・』
ほう、とリザが息を吐いた。労いの言葉でも掛けようか、とジャンは口を開くが、受話器の後ろから聞こえているらしい、朧気なのにはっきりとした声に、無意識に背筋を伸ばした。
『ハボック少尉か?』
声に答えるように、リザがはい、と短く答える。そしてこちらに、『大佐とお変わりになる?』と尋ねてくる。少しの間逡巡して、やがて「はい」と返した。正直に言うと、ジャンの安否の対象は、第一にリザということは変わらないが、上官として尊敬していたロイのことを少しも気にしていない程薄情ではない。
少しの間を空けて、がたっと何かが動く音のあと、聞き慣れた、相変わらずな第一声に、ハボックは不覚にも嬉しくなる。
『私だ』
「・・・元気そう、という訳にはいかないみたいっすね」
入ってきていた情報の確認のため、少しそんなカマを掛けた言葉を吐くと、苦笑したような吐息を感じた。
『そこまで調べたか。・・・・まったく、うちの部下は優秀なのが多すぎて困ったものだ』
隠すつもりはないらしい。それならばこっちもやりやすい、とハボックはいくつか質問をした。今、容態はどうなのか。そこにはこれからもいるのか。自分たちと別れたあと、どうなったのか。
今はそこそこいいが、片目はもう戻らないだろう。怪我さえ治ればここもすぐ出て行く。大体、軍で発表されたものと結果は一緒だろう。
逐一真面目に答えてくれたお陰で、ハボックは、今まで疑問だったところも、彼等が案外に最初はどうだったか知れないが、今は死ぬほどの重症ではないということが知れて、「そうっすか」と笑い混じりで返した。
「それで、いつ帰ってくるんです?」
何気ない質問のつもりだった。
しかし、それを発した瞬間。ロイの気配が少し鈍る。珍しく返事に窮しているようだった。
『・・・そのことなんだが』
そこまで言った瞬間。
『そこから先は、私から言います』
凛とした女性の声に変わる。
「リザ・・・・?」
思わず、プライベートでだけの呼び名で彼女の名を呼んだ。苦い表情をしているらしいことが、電話越しに伝わる。
『・・・・・もう、軍へは戻らないわ。大佐も、私も』
「え・・・・」
言われた言葉の意味が理解できずに、ジャンは暫し沈黙する。その間にも、リザは続けた。
『不可抗力とはいえ、大佐は大総統殺人ということになっている。私も、その片棒を担いだ。・・・・初めから、もうそこへは戻れないと覚悟していたの。・・・・ごめんなさい、ハボック少尉』
はっとして、ジャンは受話器を握りなおす。事務的な呼び方が寂しい。大の大人が情けないと思いつつも、声が震えた。
「でもっ・・・・軍はもう権利を失ってるし、最初は信じられないかもしれないけど本当のこと話したらきっと・・・!」
『・・・・もう、決めたのよ。私も、大佐も』
ぎり、と歯噛みする。彼女の一度決意したら二度と違えない意思の強さを好きだったが、こんなことになるならば、そんなもの・・・・
『私は、大佐と一緒に行きます。上司だからとか、そんなものは関係ないわ。大佐に忠誠を誓った日から、・・・・・貴方とは別の次元で、大佐を護るべき人と決めていたから。文字通り、片腕にでもなんにでもなる覚悟よ』
「っ・・・・・・!」
決定的な言葉にジャンは眉を顰めた。引き止めてしまいたかった。このまま、行方が分からなくなるくらいだったら、無茶だと分かっていても、無理を言って引き止めてしまいたい。
そう、思うのだけれど。
「そう・・・・・・っすか」
出てきたのは、そんな言葉。
納得できる筈はないのに。今更何を、物分りのいい大人のふりして苦い感情を飲み込もうとする必要があるのか。
『・・・・ごめんなさい』
掠れる声に呼応するかのように、恐らく膝元にいるんであろうブラックハヤテ号の悲しそうな泣き声が聞こえた。
微かな衣擦れの音とともに、ロイが出た。
『・・・・お前たちには、随分支えてもらっていて、都合がいいことは自覚しているが、こうするより他、方法がないんだ』
「分かります・・・・・けどっ・・・・・」
『・・・・・・すまない』
珍しく殊勝なロイの声も、血を絞るような自分の声も。何もかも他の世界での出来事という気がしてしまう。現実逃避としている自覚は、ある。それがこの上ない悲しみを感じる自分の心を鎮めるための自己防衛なのだと、分かっていた。
走馬灯というのは、こんなときにも感じるものかとジャンは思う。
この、無茶苦茶で力強い上司に振り回されて、笑ったことや苦しかったことも。リザと過ごした、数少ないし、世間一般で言う恋人らしいことも、あまり出来なかったけれど、それでも満ち足りていた日々も。すべて、もう二度と訪れないのだと、実感すると目頭が熱くなった。たとえ電話越しでも、泣いてやるものかと、ジャンは彼なりの強がりなことを思った。
受話器の外から音が漏れる。また、リザに変わったのだろう。
『・・・・・ハボック、少尉』
「・・・名前で・・・・」
『え・・・?』
「最後だって、言いたいんだったら、せめて最後の情けで、名前で呼んで下さいよ、リザ」
『っ!』
この想いは、決して自分だけのよがりではなかったと、実感したいから。
『・・・・・・・・ジャン・・・・・さようなら』
涙のこぼれた声。傍に行って、今すぐ抱きしめたいと願ってしまう。
現実には不可能で、傍には自分ではなく、あの子憎たらしいけれど、頼りになる上司しかいないというのに。
ぷつりと切れた電子音を暫く聞きながら、ハボックは放心していた。
リザのことは勿論だが、自分はあの上司の破天荒っぷりを気に入っていた。もう日々は二度と戻らない、なんてどこかの歌の歌詞のワンフレーズなことを思いながら感傷に浸るほど、自分は繊細ではないけれど。これからこの事実を、同僚たちに伝えなければならないという重苦しい作業も、元々どこか予感していた事実が現実してしまったことも、もう。
がちゃ、と公衆電話の扉を開いて、空を仰ぐ。
無くしてしまった日々を振り返り、自分の身の置き所を変えてしまおうかと、そんなことを思いながら、ハボックはポケットから煙草を取り出して咥えた。ゆっくりとした動作で、ライターで煙草に火を点けて。
「ありゃりゃ・・・・案外女々しいのな、俺って・・・・」
ふわ、と紫煙を雲一つない青空へ。
その頬には、もう数年前から忘れていたと思っていた雫が、一つ。
Fin
初めてエドが名前すら出てこない鋼小説書いた(笑)アニメ51話の最後がどうしてもロイアイだったもので。
ロイアイも好きなんだけど、ここは一応ハボアイ推奨という主張も兼ねて。いや、まぁ大総統失踪で、あの人ら(ハボさんたち)も割とあっさり軍に戻ってるんで、この二人も戻ってそうといえばそうですが、そのまま戻らなさそうな雰囲気だったんで。色々曖昧な点は多いんですが、エルリック兄弟好きーの私には怖すぎて確認するためにビデオ見返す勇気もないし、もう捏造ってことで許して下さい(いい加減だなおい)
エドたちはあえていじりません。というかもう放置しておきたいくらい呆れてますから正直・・・
“ハボック”のときは軍人として。“ジャン”のときは、個人としての扱い。(10/3記)
・・・ちなみに、私設定でこの後ハボさんが取った行動
→軍休んでリザさんと大佐追っかけてきた(笑)呆れて怒る二人に「動機の一部は不純ですけど、リザが大佐の片腕するっていうなら俺はもう片方を支えるようになりたい。・・・・これでも俺、結構大佐のこと気に入ってんすよ?」と、ある意味すごい口説き文句で二人を黙らせる。ハボさんも天然。