A dear moment











ガタン ガタン






汽車の、決して居心地がいいとは云えない揺れを感じながら、ウィンリィは小窓の外を、特に何の意味もなく眺めていた。他の乗客には、閑散とした風景の続く荒野を見て、何が楽しいかと思われるかもしれない。
何の感動も表さない表情を見て、普通ならば何も窺うことことも出来ずに自然とそう感じて終わりだろう。
しかし、エドワード――ウィンリィの幼馴染の少年――は、とっくに気付いていた。少女の、罪悪に苛まれた顔に。
何が悪いというわけでもない。理由というほどの理由もない。ただ、少女の心の内に、罪悪感という名の陰が、静かに降り積もり、沈殿していくかのような沈黙だった。そして少年はそれを悟っていた。少年の弟もまた然りだ。

結局見つかってしまい、逃げ切ることも、それ以前に逃げることすら本能で拒絶していたため、彼らの師匠の家へ、半ば強制的に行くことになってしまったものの、列車に乗り込んでからずっと、彼女は黙っていた。常を知っている兄弟には驚きとしか言い様のない程の静けさだった(尤も、それを本人に云えばお約束と言わんばかりにスパナが飛んでくることは想像できたので黙っていたが)。

弟――アルフォンスは、何の気を遣ってか、機内食堂へ行った師匠、カーティス夫妻の元へ行ってしまった。
どうせ最初から、あの二人に見つかれば、逃げることなど不可能に等しいのは、彼らは嫌というほど体に叩き込まれている。そこへ、まだろくに事情も話せていないというのに、意味もなく近付いていくのは自殺行為な気もするが、流石に列車内で乱闘を起こすほど、師匠も愚かではなかろう。何よりも、危険(?)を承知で、あえてウィンリィと二人きりの空間をアルフォンスが提供してくれたとなると、それはつまり、自分が彼女を何とか元に戻すように暗に期待されているということなのだろう。本当に根回しのいい弟だと、とエドワードは苦笑雑じりの笑顔で頬を掻いた。
「ねぇ、エド・・・・」
唐突に、それまで無言だったウィンリィが口を開いた。少し躊躇った風だったが、エドワードが目線で促すと二の句を続けた。
「その・・・・気にしないでねっていうか、忘れてっていうか」
不自然に明るい調子で言うのに、エドワードは少しだけ眉を顰めた。それが何を指しての科白なのか判らなかったし、どうしてあの元気娘な彼女がここまで気落ちしているのか、原因が分からない所為でもあった。
彼の心情を悟ってか、ウィンリィは苦しい笑顔で人差し指を顔の近くまで持っていき、軽く首を傾げて見せた。
「ほら、ラッシュバレーの宿で。・・なんか、私も気が動転しちゃっててさ」
(ああ、あれか)
彼女の言葉に、エドワードはようやく理解した。本当は平気じゃないくせに、強がって見せるときにする少女の仕草も気になったが、気にするのは内心だけにとどめ、エドワードはせめて見かけだけでも平静を装った。
“一生、不自由させないからっ・・・!”

今更――ではあった。いつも一緒にいた幼馴染の少女は、何だかんだ言いつつも、いつも兄弟を気にかけてくれていた。軍の狗になると決めてからもずっとそうだ。彼女はいつだって兄弟の心配をしてくれていた。態度は少し乱暴だったけれど、多大な心配の代償だと思えば、スパナで殴られることだって、痛いに変わりはなかったが、許せた。
時折、思い出したようにひょっこりと帰ってきたときには、本人は隠そうとしているらしかったがとても喜んでいたことも、その兄弟がまた、旅立つ前日は決まって、夜中にひとり、寂しそうにテラスで星を眺める彼女の姿も見てたことがあり、知っていた。
自分たちは、この少女にとても大きな新お会いを与えている、と。しかし、だからといって旅を止める訳にはいかない。
先日のウィンリィの科白は、ただ感極まって、心の奥底に彼女がためていた蟠りがついぽろりと出てしまったものだということも分かっていた。また、事情を理解していたからこそ、エドワードやアルフォンスに、自分の本音を隠していたに過ぎないということも、全て。

エドワードは思わず嘆息する。膝の上で握っていた拳を解いて、腕と足を組んだ。エドわードがものを考えるときにしてしまう癖だ。
「いい。・・・あれが、ウィンリィの本音だもんな」

いつにもなく殊勝な彼女と向かい合わせだった所為か、エドワードまで心なしか自分が殊勝になっているように感じた。

ウィンリィは何かを言いかけて、口を開かせようとしたまま、視線を彼から外すと、観念したように頷いた。
別に何の衝撃も受けなかった。エドワードは、ウィンリィの不安の理由を分かっていたし、ウィンリィもまた、それをエドワードが察してくれていることを知っていたのだ。
だけど、とウィンリィは強くかぶりを振って、
「それが、本音なのは認めるけど、あんたたちに無理してまで帰ってきてほしいと思って言ったんじゃないわよ?・・・あんたたち兄弟が、途方もなく大それたことをしようとしているのは、いくら錬金術が分かんない私にだって分かるわ。けど、あんたたちは人の忠告なんて全然聞きゃしないんだから。だから、私はあんたたちを全力でサポートするつもり。あんたたちが、人の忠告無視するのと同じく、私もあんたたちの意見なんか無視して私の意志で勝手に、ね」
そこでいったん、区切って言った。ひどく、自嘲染みた表情だった。
「正直、云うとね、本当は淋しい。焼け跡だけ残ったあの家とか、よく皆で一緒に遊びに行った丘とか見るとね、柄にもなく感傷に浸っちゃうのよ。それまでずっと傍にあったものが、いきなりみんな消えちゃったみたいで」
「ウィンリィ・・・」
掛ける言葉も見つからず、エドワードは狼狽したように、少女の名を呼んだ。浮かんでくる言葉が無い訳ではないけれど、彼にはその全てが陳腐に思えた。到底、彼女に掛けるには、不似合いで無責任な言葉に感じたからだ。
そんな自分に半ば苛つきを感じながらも、とにかく態度だけでも、と左の手を差し出した。

ほんのりと熱を持った頬は、思ったとおりに柔らかな弾力を含んでいた。自分よりも少しだけ色素の薄い蜂蜜色の髪がさらりとエドワードの素肌を晒した左の手の甲を擽った。ウィンリィも、少しこそばゆいような表情で目を細める。
嫌がった風も見せず、されるがままになっているので、エドワードも、やんわりと少女の肌を滑らせる手を止めなかった。
猫のようだ、とも感じたが、黙っていた。くすくすと、忍び笑いが珍しく客の乗っていない2等客列車の中に広がったが、それもやがて煩い車輪の音に打ち消されて、互いにしか聞こえなくなった。
無意識のまま、二人の距離は縮んでいき、ついには互いの吐息がかかるほどになり、ようやくエドワードは気付いた。しかし、そうなっても尚、これでアルや師匠たちが帰ってきたら誤解されるかな、と呑気な思いしか抱かなかった。幼い頃の延長線、というには二人は身体も心も成長していたし、しかし成長しきっているというほど大人でもなかった。それに、とエドワードは心の中で付け足す。

(ウィンリィの笑顔も見られたし、それでいっか・・・)

そしてそっと、その柔らかな頬に唇を落とした。幼い頃は、今よりもっと日常的に行っていたことなので、さほどの抵抗は感じなかった。ウィンリィも、少し狼狽したように体を強張らせたものの、それはほんの一瞬で、あとは身動きもしなかった。

「・・・アルに、謝らなきゃ」

その場の雰囲気にはそぐわない言葉に、エドワードはそっと、唇を離してウィンリィの顔を覗き込んだ。ばつの悪そうな苦笑を浮かべると、ウィンリィは少しだけ舌を出した。

「自分のことしか考えないで、アルはどうでもいいみたいなこと、エドに云っちゃったもん」
「・・・アルは聞いてないと思うぜ?」
「ん。そうだけど―私が云っておきたいの。けじめつけときたいし」
「そっか」

昔からちっとも変わらない真っ直ぐな気性に、エドワードは知らず、懐かしさを感じた。母の死を境に、エドワードの周りは目まぐるしく変化していった。後になって、変化を望んだのは他ならない自分だったが、それでも以前と変わらぬもの――弟が、姿こそ違え、傍にあってくれることなど――は実際、少なからず、エドワードの精神的な苦痛を和らげてくれた。彼女の態度もまた、そうだった。言葉に出したことは無かったが、感謝していた。

「・・・・リィ」
「ん?」

昔、よく呼んでいた愛称は、どちらかというと『ウィンリィ』と呼ぶよりも馴染んでいる気がした。理由はないが、アルフォンスの前ではなんとなく、その愛称をあまり使わなかったから、こちらのほうで呼ぶ回数の方が少なかった筈だが、こちらのほうがしっくりくるような思いがした。開いた距離が、縮まるような気がしたのだ。
元の距離に戻っても、まだ傍で寄り添っている感覚の残る、甘い響きがあった。
なんだかそれがとても他人事のように思えて、また、妙に気恥ずかしいと今更自覚してしまい、エドワードは、誤魔化すようにやけに明るくおどけて笑った。
「ま、あんな熱烈プロポーズ発言かましてくれるくらい淋しいって思ってるんだったらなぁ〜時々は戻ってやってもいいぜ?」
「な」

面白いくらいに顔を赤に染め上げたウィンリィは、少年の指摘によりようやく自分の発言の重大さに気付いたようだった。返す言葉も見つからず、暫く酸欠の金魚のように口をパクパクさせていたが、再び窓の外へ視線を向けると、誰にともない口ぶりで低く毒づいた。
「だから云わないようにしてたのに・・・・」
「それはそれは。ごしゅーしょーサマ。」

全然悼んでいない口調で応えるエドワードに、どこからともなく出したスパナを振りかぶると、さすがに土下座で謝られた。そんなにしなくても、まだ一応やみあがりの人間を“本気で”殴るなんてしないのに、と半ば物騒なことを思いつつ、ウィンリィは苦笑をこぼした。

「リィ」

もう一度、彼は呼ぶ。何かを、今度は言いにくそうに言いよどんでいたが、やがて一度瞬きをして、強い光を琥珀の瞳に浮かべると、決心したように口を開く。
「何年先になるか分かんねーけど・・・俺たちは“帰る”から」

それはどこか、少女に言い聞かせるためというよりも、自分に言い聞かせているように聞こえて、ウィンリィの胸を衝いた。

「本当に?信じてもいいのね?」
「・・・ああ」

よどんだままの言い方の少年の言葉で、少女の胸騒ぎが払拭される筈もなかった。しかし、ふぅと一つ、小さく息を吐き出すと、自分に出来る最大限の――ちゃんと笑えていたかは定かではないが――笑顔で、殆ど同意を求めるような口調で尋ねた。

「たとえ・・・たとえ、人を殺してしまっていたとしても、帰ってきなさいよ?」


返事はなかった。ただ、少しうろたえているのが分かった。俯いている所為で、表情が見えなかったが、恐らく驚きで目を見開いているのだろう。二人きりのときの沈黙が痛いのは、久々だった。

息が詰まりそうだったが、ウィンリィは辛抱強く返事を待ち・・・やがて、小さく少年が頷いたのを確認するとようやく安堵の溜息をついた。どうやら、緊張のあまり、息も止めてしまっていたということに気付いたのは、その直後だった。

「今更、ナシは駄目だからね」
「〜っ分かってるよっ!!」

くしゃりと前髪を書き上げて、苦笑したままエドワードは座席に凭れ掛かった。しかしそれもほんの束の間の話で、すぐに体勢を立て直し、緊張を頬に走らせた。どうしたのかと問おうとして、すぐに必要がなくなった。三つの足音が近付いてくるのが聞こえたからだ。
当のエドワードは、まな板の上の鯉のように大人しく、更に的確な比喩的表現をするならば、まるで断罪を待つ囚人のようで、本人には悪いが、ウィンリィはぷっと吹き出した。昔に一度と、先日にもう一度で、彼らの師匠であるイズミの豪胆さ(訪れた瞬間、エドワードを蹴り戻すという)は確認するまでもなかったのだが、それでもリゼンブールで悪戯っ子な二人を見慣れている彼女には、そのギャップがたまらなく面白い。

あるいは――幼い頃の肝試し大会で、きゃぁきゃぁ騒ぐ自分を他所に、「たかが作りモンだろ」と凡そ子供らしからぬ冷静さで出てくるお化けを淡々と眺めているような、文字通り怖いもの知らずの人間が、これほどまでに恐怖する様というのが、何となく優越感を誘うからかもしれないが。
尤も、あの様子では恐怖を覚えても仕方が無いと思う反面、彼女の、彼ら兄弟に対する母性の優しさを感じ取っていたので、特にフォローを入れなくても大丈夫という安心はあったのだ。

しかし、そんな少女の思惑が分かる筈もなく、エドワードは恨みがましい目で、くすくすと笑う少女を見た。

「くっそ・・・後で覚えてろよ」
「はいはい。じゃ、頑張ってね、エド」


一歩一歩近付く足音で、エドワードにつられたわけではないだろうが、自然とウィンリィも居住まいを正した。

窓の外には、閑散とした風景も既に名残さえなく、過ぎてゆく看板には『ダブリス』と表示があった。兄弟の地獄はまさにここから始まるのだろうと、他人事ならではの呑気なことを考える。





これから、事態はどうなるのか分からないけれど、ただ一つだけ確かなのは、自分がサポートしたいと本気で願うのは、後にも先にも、彼らだけなのだろうと、暫し目を閉じて、微笑んだ。






FIN


アニメ見てて、ちょっと消化不良起こしてたんで(今更)ちょっと展開いじってみた。
・・・抵抗しなきゃ縛られることもなかったんじゃないの?兄弟・・・。
大体、イズミ師匠を前にしてあんなに往生際悪いのってあり得ない。
あんな馬鹿で・・・無謀な・・・度胸きっとないよ、二人とも・・・命は惜しい筈だ(おい)。

今回はエド攻め目標で頑張った。ここのサイトのエドは、特定の誰かにだけつくことはしないでおこうと思ってたんだけど一応ほっぺちゅーだけ。元々ノーマルカプのラブラブは書き慣れてるけど、この二人のは結構新鮮・・・。
所謂珊瑚ちゃんタイプと犬夜叉タイプがくっついてるようなもんだから。犬珊嫌いだけど!!(自己主張)
ラブラブになっても、すぐにテンション元に戻るのがこの二人だと思う。

私が持つ攻めエドのイメージ=特にわざとでもないなのになんか言動が素でやらしい(待て)
(5/28記)

毎度のことですが、タイトルになんの捻りもない(自嘲)