桜乱舞
「もう春ねぇ…」
「そうだな」
「…眠くなってくるわね」
「そうだな」
「……」
「……」
「ねぇ」
「なんだよ」
「あんた、さっきから『そうだな』ばっかり」
「…そうだな」
「…あのね、も少し気の利いた言葉はないわけ?」
今日は雲一つない晴天。先程から吹く柔らかい風はほんのり温かく、浴びる者の眠気を誘う。
「こんな日は花見に限る」というかごめの何気ない一言をきっかけに、今日は休息をかねての花見をすることとなった。
犬夜叉とかごめだけが他の仲間と別行動なのは、弥勒の提案によるもの。
(気を使ってくれたのよね…)
だが、当の犬夜叉がこの調子なのだ。進展は望めないだろう。
はぁ、と小さな溜息が一つ、かごめの口から漏れる。
それに反応して犬耳がピクリと微かに動いたのを、かごめは気付いていない。
「ねぇ、そんなにつまんない?」
「…おめーはこんな桜ばっか見てて楽しいのか?」
「綺麗じゃない。花びらが風で舞ったり、凄く幻想的で…」
「花びらだぁ?んなモンが散るから道が汚れるんだよ」
「…何捻くれてるのよ」
別に…、と犬夜叉素っ気無く呟くが早いか否か、くるりとそっぽを向いてしまった。
それを見てかごめは、はぁ…と二度目の溜息を吐く。こちらは先程よりも深い。
犬夜叉と同じ方向に向き直り、隣にちょこんと座るかごめに、彼は視線だけ向ける。
かごめは前を向いたまま、再度桜を眺めていた。偶に、花びらが彼女の頬を掠める。
それを見て、先程から掻き消そうとしていた感情がまた沸々と湧いてきた。
すぐ隣に居るのに、その黒い瞳には自分の姿は映っていない。映しているのは、風に乗り舞い踊る桜。
彼女特有の優しい匂いも、桜の匂いが掻き消し、微かに香るぐらい。
…そんな桜が恨めしく思える。自分は嫉妬してるのだ、桜に。
言えない。あまりにも馬鹿馬鹿しくて。不貞腐れてた理由が、そんな幼い事だとは。
そっとかごめの背の方に腕を伸ばす。かごめは桜に見入っている為、それに気付いていない。
他の男の前でもこんな無防備なのかという不安と、俺だからこんなに気を許しているのかもしれないという優越感が入り混じり、複雑な感情が犬夜叉の中で生まれる。
(…このままいっちまっていいのか?)
同時にそんな疑問が浮かび上がる。
触れたい。抱き締めたい。…そんな衝動が湧き上がってきて。
今、自分の腕の中に閉じ込めておかないと、このまま桜の中に消えていってしまいそうな気もして。
が、その衝動に突き動かされていた為、つい先程から今までの間、我を忘れた状態だったような。
我に返るならもう少し遅くなってからにしろ、と自分自身に毒づくが、今となっては遅いこと。
掌はかごめの肩に触れるか触れないかのところにまで来てしまった。
引っ込めるか、引き寄せるか。
どちらにするか迷っている間に、ふと、指先が肩に触れてしまった。
ピクリ、とかごめが微かにと揺れ、犬夜叉の顔を見る。
視線が重なる。それと同時にかごめの唇が動いた。
「犬…夜叉?」
その声を聞いた瞬間、もう何がなんだか判らなくなった。
ただただ衝動に身を任せて、本能の赴くままに―――。
先程まで所在無く肩の上を浮いていた手で、ぐいと可憐な身体を引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
「きゃ!ちょ…犬夜…」
「…るせぇ、黙ってろ…」
掠れた、甘えるような声でそう言うと、更にきつく抱き締める。自分が出した声に少しの驚きを覚えながら。
かごめは顔を赤らめたが、特に拒む事もなく、そのまま体の力を抜いて彼のされるがままになる。
…あんな声をされたら拒もうにも拒めない。特に、犬夜叉の場合は。
(…温かい)
夢心地な気分に陥り、かごめは犬夜叉の胸に頬を擦り寄せてみた。
犬夜叉もそれに応えるように、かごめの艶やかな髪に顔を埋める。
かごめの匂いに桜の匂いが混ざって、何時もより甘い香りがした。
まだ、時間はほんの少ししか経ってない。だが、とても長い時間に思えた。
不意にかごめは、桜色の中を青白いものがスゥ…と横切ったのを犬夜叉の肩越しに見えた。
(え?あれは…)
蛇のように細長い胴。虫のような足が掴んでいるのは淡い光。
(死魂虫……!)
「近くに桔梗が居る」
――その言葉を継ぐのをかごめは一瞬躊躇する。
だが、このまま桔梗に見つかる方が気まずいと判断し、意を決して口を開いた。
「あの…犬夜叉、き…っ、ん!」
かごめの言葉に耳も貸さず、寧ろ遮るようにかごめの唇を奪う。しかも肝心な言葉を言う前に。
「んっ!ん〜〜っ!!」
必死に抵抗するかごめ。しかし犬夜叉にかごめの力が通用する筈もなく。
やっと離したと思うと耳元で低く囁いた。
「黙ってろって…言ったろ…?」
「ちょ……!!」
そう言うと、またぎゅっと抱き締めた。
普段なら何か言い返すかごめだが、思いがけない事が起こり過ぎて思考が上手く働かない。
一方の犬夜叉も、普段なら匂いで気付く筈だが、甘い口付けと抱擁に酔いしれている為に匂いを嗅ぎ分ける事ができないでいた。
…ザク――――――
土を重く踏みしめる音がする。
それは段々と近づいてきて、静かに辺りに響いた。
その音を聞いたかごめは瞬時に我に返り、すこし身体を離して、犬夜叉に呼びかける。
「犬夜叉!ちょっと聞いてる?」
「ん…?」
犬夜叉は半目のまま、潤んだ瞳をかごめに向けた。
…明らかに酔いしれている。
しかも未だ桔梗の存在に気付いていない程の重症だ。
「あんた…気付いてないの!?桔梗が…」
「桔梗…?」
かごめはしきりに後ろを指差す。が、犬夜叉はまだ状況を飲み込めていない。
だが、なにやら背中に強い殺気を感じるのは流石に判った。
「…かごめ、どうした…?」
「だから〜っ、とにかく後ろ!!」
かごめに促されるまま、犬夜叉は後ろを向く。
そこには只ならぬ殺気を放っている桔梗が居た。数メートル離れていると言うのに、ビンビン伝わってくる殺気。
「…な、桔梗!?」
やっと状況を飲み込めた犬夜叉は、心底驚いたような声を上げた。
「桔…桔梗」
「…かごめ」
(…ん?)
てっきり、桔梗は最初に自分の名を呼ぶものだと思っていた犬夜叉は、少し拍子抜けする。
と同時に、桔梗とかごめの間に漂う微妙な空気に疑問を抱いた。
敵対関係な筈の二人の間に流れている空気は随分と穏やかな物だった。
しかも、桔梗はかごめにこれ以上無い程の優しい眼差しを送っている。
(…何でだ?)
犬夜叉がうんうん頭を捻っていると、キッと鋭い眼差しが飛んできた。
「犬夜叉」
その眼差しの主・桔梗が冷たく言い放ちながら弓を構える。
「今すぐに、かごめから離れろ」
「ちょ…ちょっと桔梗!?」
「は?何言ってんだ、桔梗。そんなことする訳ねーだろ」
「…さもなくば、打つぞ」
…本気だ。
犬夜叉は、直感的にそう思った。
自分に向けられる瞳は、明らかに激しい怒りの色を含み、それを物語っている。
(…そう、例えるなら、鋼牙が俺を見てるような……。ん?待てよ!?)
犬夜叉の背中を、ツゥー…、と冷や汗が流れ落ちた。
続
(結雨の蛇足コメント)・・・すんません。触発させちゃいましたね(笑)
犬かご桔は書いててとっても楽しいですよねv見てても楽しいんだとこれで分かりました。有難うですvv
後半へ。